坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「日本の美の概念 婆裟羅とヤンキー」に一つだけ反論。

http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2014/02/26/105057
わび、さびと「婆裟羅」は全く逆の美意識です。わび、さびは茶の湯と強く結びつき、室町時代に流行した枯山水庭園とは別の概念となっていますが、根本的には同じ美意識です。枯山水の特徴は、全く美ではないことにあります。岩と砂利だけ、緑が全くない。これを本当に美と思えるでしょうか?誤解のないように言いますが、西芳寺の庭園は美しいと思います。しかし西芳寺は苔による緑があり、質素な中の美しさがありますが、岩と砂利だけの庭を美と思うのは難しいでしょう。しかし枯山水があることにより、本来美と思わない事物にも美を見いだす、日本人の細やかな美的感覚が生まれる。日本人の美意識を育てるには、枯山水という全く美的でないものを、美の頂点とする必要があるのです。
「婆裟羅」が、いくさを生業とする武士が生み出した美意識であることは確かです。いくさというのは、生と死が激しくぶつかるところであり、非常に動的なものです。
この動的なものに美の根拠を置いたのが婆裟羅です。婆裟羅はむしろ、ルーベンスの絵画やラオコーン像に通じるでしょう。ルーベンスの絵画はではありませんが、非常に動的です。ラオコーン像は苦悶の表情、肉体の捻り、筋肉の躍動感などが非常に動的です。動的になるか、華美になるかの違いだけで、根源は同じです。
なぜ日本で、「わび、さび」という文化が生まれたかと言えば、その文化が生まれた時代に理由があります。室町から安土・桃山時代、幕府の権力は弱く、日本中が関所で分断されていました。そして何より、貨幣がありませんでした。当然幕府は貨幣を発行しておりませんし、永楽銭に代表される明銭はありましたが、実は明銭は、明(当時の中国王朝)では使われておりませんでした。明の貨幣は宝鈔という紙幣で、銅銭は発行したのに使われず、海外貿易用とされ、後に銅の産出量が減少し、銅銭は全く発行されなくなります。通貨供給が無くなったのです。
つまり、この時代は貧乏なんです。安土・桃山時代を貧乏というと意外に思うかもしれませんが、事実、この時代の武士の生活は質素です。食事と言えば、米と塩汁、これだけです。上杉家の名のある武士でさえ、一日二食米と塩汁、五のつく日に焼き魚を食べた、という記録があります。この時代が活発に見えるのは、銀の産出量が多かったからです。世界の銀産出量の三分の一。銀が豊富だから貿易はできますが、国内経済は金、銀、米が交換手段、つまりバーターです。茶店はあっても、宿場町がない。秀吉の作った天正大判は純金度70%。秀吉はインフレ政策を取ったわけですが、バーター経済では怪しい貨幣は使われない。結局貨幣経済が浸透し、宿場町が整備されたのは寛永年間、三代将軍家光の頃でした。しかしそれより前の時代に、商品経済が勃興し、文化が発展したのです。人々は文化に目覚めたが、金がない。そういう環境で、人々は美と感じにくいものにも美を感じられるように、感覚を磨いていったのです。