坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

創価学会と憲法の共通性

日本の総世帯数四千六百七十八万世帯のうち、八百二十一万世帯、五・七世帯に一世帯は創価学会員の世帯である。しかし戦後に大発展した創価学会は、憲法九条が無ければ、その規模は今とは大きく違っていたかもしれない。
創価学会を大発展させたのは、第二代会長の戸田城聖である。戸田城聖創価学会を発展させただけでなく、公明党を設立し、さらに国立戒壇の設立を目指した。
戸田の公明党の政治活動について、文化活動であると説明している。
「選挙になると会員たちの目の色が変わってくるので、支部や学会の信心を締めるために使える」
「学会には金がないので、自ずと公明選挙になり、それは国家を救済することに役立つ」
意味がわからないのは、政治、文化、宗教が定義されていないからである。
次に国立戒壇について。戸田は日蓮正宗の国教化を「妄説」として否定しているが、その後で、
「しかし、われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経広宣流布にある。すなわち国立戒壇の建立だけが目的なのである」
と述べている。戒壇とは僧に戒を授ける壇のことで、言葉が大きく矛盾している。国立戒壇自体については、
「時の権力者および国民大衆、三大秘法の最高善なることを納得させることであろう」
と戸田は述べ、具体的に述べてはいない。
言葉を明確にせず、矛盾しても平然としているその態度は、憲法で「交戦権」を否定しながら、解釈で「自衛権」を認める戦後の日本と共通している。
日蓮宗系の宗派は、しばしば論理が飛躍することで有名で、例えば元寇の予言についても、日蓮が帰依する法華経には書かれていない。日蓮宗系の論理の飛躍の悪癖と、憲法の矛盾が相俟って、増幅されたことにより、創価学会は大発展したのである。

三代目の会長の池田大作の時代も、創価学会は教勢を大きく伸ばしたが、七十年代を境に、創価学会の繁栄に陰りが見え始める。
七十年代以降の大きな出来事は、国立戒壇の否定、強引な折伏活動の停止、日蓮正宗からの離脱である。(折伏についてはこちらhttp://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E4%BC%8F
組織が危機にさらされることで、その指導者がカリスマとなることはよくあることで、創価学会は元々日蓮正宗の在家組織であり、日蓮正宗が立場的に上位にあった。だから日蓮正宗からの離脱は危機への対応と言えるだろう。しかし国立戒壇の否定と折伏の停止はそうではない。
創価学会インタナショナルは世界各地で、「ガンジー・キング・イケダ展」を開いている。
ガンジー・キングは非暴力により国の独立、権利の獲得を成し遂げた偉人だが、池田は強引な折伏により教団を発展させ、折伏活動と国立戒壇において敗北した人物である。
教団の発展についても、三千世帯程度の教団を七十五万世帯にした戸田の模倣であり、確かに大発展だが、池田が戸田以上のカリスマであるかは疑わしい。
池田は優れているからというより、むしろ創価学会がその信念を曲げたことにより、逆に池田をカリスマにすることで教勢を保っていると言える。この点、憲法九条を祭り上げる空気がすっかり薄れた中で、憲法九条ノーベル平和賞を取ろうとする者が現れているのと似ている。
池田は幹部の前で、しばしば「創価学会には一人も人材がいない」と語っている。周りを貶めることで自分を高めるのは、日本人お得意のカリスマ維持の手法だが、この言葉には、そうしなければ教勢を維持できないという焦りもあるのかもしれない。