坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

『ローマ人の物語』から学ばない日本人

f:id:sakamotoakirax:20141027110446j:plain映画にもなった『テルマエ・ロマエ』は、文化、宗教において日本とローマの共通点を引き出していく点で、『ローマ人の物語』の継承作品である。あくまでギャグ漫画に分類されながらも、非常に教養の高い作品である『テルマエ・ロマエ』は、『ローマ人の物語』がなければ、あれほどのヒットは難しかったかもしれない。
しかし、『テルマエ・ロマエ』がヒットしながらも、『ローマ人の物語』の再ブームは起こらなかった。『ローマ人の物語』の内容が合わなくなったわけではない。『ローマ人の物語』の多神教礼讚、一神教批判の視点は、今も生きている。イラクイスラム国が誕生し、イスラム国のリーダーがカリフを称し、周辺に攻撃を仕掛ている。非イスラム教徒に改宗を迫り、逆らえば虐殺している。
このような情勢に、日本人は一定の関心を持ちながらも、主な関心は国内と韓国、中国との関係となっている。
イスラム国への関心が少ないことが問題なのではない。今の時代に、一神教による弊害を観ることで、日本人が多神教を礼讚し、そのことで自信を得るメカニズムが作用していないことを疑問視しているのである。

ローマ人の物語』のヒットの理由のひとつは、多神教の世界を描いたことにあった。
ローマ人の物語』が発刊されている間に9.11テロがあり、アフガニスタンイラクが戦場になるに及んで、「一神教は悪である」という意識が、日本人の間に広まった。
その流れに『ローマ人の物語』は見事に調和した。古代ローマの高度な文明と人間らしい芸術作品、ローマの崩壊後の中世の作品と比べれば、明瞭にその違いがわかる。『ローマ人の物語』のヒットと同時に、「多神教こそ素晴らしい」という内容の新書が書店に並んだりもした。当時は私も、多神教の日本を礼讚し、一神教を批判していた。

今、私は教義のない多神教世界には批判的で、一神教、もしくは人にどう生きるべきかを教え、時に人を厳しく戒める宗教にむしろ好意的である。このような宗教が戦争を引き起こすことは、人間が理想を実現するのがいかに難しいかということを示す一例に過ぎず、多神教世界にも相応の欠陥がある。しかしそれでも、一神教によるバイアスから免れている点だけは一貫して認め続けていた。

ローマ人の物語』のもうひとつの魅力は、その透徹したリアリズムにある。広大な領土を維持するための戦略的視点の説明など、何度も唸らせられるほどである。そして透徹したリアリズムは、多民族に寛容で、多民族と融合するローマ人の精神と相俟って、一神教=非現実的、排他的、多神教=現実的、多民族に寛容という図式を、日本人に植え付けた。
しかし現在は、嫌韓、反中国と、日本人がむしろ排他的である。それではリアリズムの点はどうか?
大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。アジアを西洋の植民地から解放しようとしたのだ。」
「戦争は向こうから仕掛けてきた。我々は被害者だ」
自虐史観を廃することが、日本人の誇りを取り戻すことに繋がる」
負けた言い訳を並べる自分が、そんなに誇らしいか?
このような主張が声高に叫ばれ、日本の世論を動かすほどになっているが、その先にどのようなビジョンがあるかと言えば、どれほどのビジョンも見えてこない。
このような風潮が、『ローマ人の物語』のリアリズムを拒絶し、『テルマエ・ロマエ』を受け入れながら、それが『ローマ人の物語』再ブームに結びつかないという捻れになっている。多神教についても、「自画自賛症候群」と揶揄されるほど、日本礼讚の本が溢れているのに、多神教礼讚の本が出ていない。
このことは、『ローマ人の物語』から、我々が本当に学んでいないことを意味する。我々は一時的にアメリカを批判することで、自らを慰めたに過ぎなかったのである。もっともヒット作のほとんどの背景はこのようなものである。ヒット作から真に学ぶ者は、僅かしかいない。

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