読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

安倍首相が「憲法改正に意欲」を示した意味 (おまけ)謎の共産党投票者達

前回、いや、第47回衆議院選挙と呼ぼう。
47回衆議院選挙後に、安倍首相は池上彰氏との対談で、
「今回の選挙で、政府は集団的自衛権の行使容認について国民の承認を得た」と述べた。
この件について、ハフィントンポストの記事があったが、残念ながら今は削除されている。よって、私が覚えている限りの内容を述べる。

池上「選挙期間中に、集団的自衛権の話なんかしてないじゃないですか」
安倍「いや、党首討論会では言及したし、自民党の公約にも書いてあるじゃないですか。それなのに集団的自衛権に触れていないと言うのはおかしい」
池上「ならば憲法は改正するんですか?」
池上「国民の議論が必要だ」
あくまで憲法改正を進めていくんですね?」
安倍「そういうことです」

このような内容だったと思う。
安倍首相が選挙期間中に集団的自衛権に触れていないことは確かで、むしろ景気対策を全面に出して選挙運動をしていた。
しかし私が「『この道しかない』の本音は『憲法を守るにはこの道しかない』で述べたように、47回衆議院選挙が、実質的に集団的自衛権行使容認の承認を求める選挙だった。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/12/08/103338
しかしそのことは公にされないはずだった。憲法九条をめぐる諸問題は国民が護憲=善玉の立場に立ち、政府、特に自民が九条の理念を崩す悪玉となり、国民は表面上は反発しながら、水面下で政府に承認を与えるのが、これまでの通例だった。
しかし安倍首相は集団的自衛権について、「国民の承認を得られた」と言った。これは画期的なことで、政府と国民の間の、憲法九条に関する共犯関係を表面化させたのである。
「あなた方も共犯者なんですよ」
暗に、安倍首相はこう言っている。安倍首相の発言で、憲法九条の問題で国民は、また一歩追い詰められた。

問題はこの後で、なぜ安倍首相は憲法改正に触れたのか。
共犯関係の成立により政権を維持したのだから、自ら憲法改正に触れて、共犯関係を崩すことはない。
この話は池上氏との対談でのことなので、話の流れから改憲に言及したと見るべきである。つまり口が滑ったのだ。
口が滑った以上、安倍首相の失敗である。だがこの発言がマイナスの効果を生むかと言えばそうではない。むしろ思いがけない影響を、国民に与えている。

「そういうことです」
という言葉で、安倍首相は改憲に関する発言を締め括っている。
微妙な言葉使いである。断定しているようで、
「そうなるのが自然な話の流れだ」
というニュアンスを持たせることで、わずかに責任を回避しているようにみえる。
この一連の発言から私が連想するのは、特定秘密保護法成立直後の安倍首相である。
「こんなに騒ぎになるとは思わなかった」
と、明らかな狼狽を見せた安倍首相だったが、この安倍首相の態度を軽く見てはいけない。あるいはこの時こそ、安倍首相が自らの真価に気づいた時だったかもしれないと、私は思っている。

安倍首相は基本的に強腰で、時に無意味、不必要な強腰、あるいは横暴さを見せることがある。
そのような安倍首相の態度は、全てが計算されているわけではなく、計算外の言動であることも多い。
しかしその計算外の言動でさえも、強腰によるカリスマとして一定の支持を集め、次の行動の布石となっていく。つまり計算よりも直感、本能で動いている面が、安倍首相の場合大きいのである。
繰り返すが、安倍首相の計算内の発言は、「集団的自衛権行使容認が国民に承認された」までで、改憲論は計算外、失言である。
しかしこの失言に対し、国民は無反応だった。

それではなぜ、安倍首相はこのような「失言」をしたのか。
集団的自衛権行使容認とほぼ同時に安倍首相が唱えた「積極的平和主義」について考えてみれば、安倍首相の「失言」の理由が見えてくる。「積極的平和主義」を唱える、安倍首相の心境を忖度してみよう。
「『積極的平和主義』が詭弁だなんて、国民みんなわかってるじゃないか!」
こんなところだろう。安倍さん、間違ってたらごめんなさいね。
「積極的平和主義」は、それだけ説得力がない。それどころか、使っている者のプライドが傷つく。
安倍首相は一時は改憲を検討し、現状不可能だから解釈改憲に踏み切った経緯がある。「改憲する気ですか?」と聞かれて、NOと言いたくはない。その気持ちを、「積極的平和主義」を唱えて傷ついたプライドが後押しして、改憲を進める意思と取られかねない発言となった。
これに対して国民は無反応で、支持率もほぼ変わらず。
国民はこと護憲において、政府との共犯関係を暴露された挙げ句、共犯関係によって成立した約束を反古にされたのだ。
国民は安倍首相の発言に、抵抗を感じていないのではない。ただ聞かなかったことにした。聞かなかったことにすることが、唯一の抵抗だった。国民はここまで追い詰められた。

憲法九条の問題で、安倍首相ほど国民を追い詰めた人物はいない。
このように考えると、「積極的平和主義」も、国民の精神衛生上極めてよくないが、改憲を推進する上では有益だと言える。
私は「読者の皆様へ、衆議院選挙についてのお願い」以来一貫して安倍首相を隠れ護憲派として批判してきた。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/11/29/181017
しかし憲法問題に限り、私は安倍首相を支持する。今まで曖昧にしてきたが、自民の改憲派も隠れ護憲派と見なす必要はない。改憲論が本格化すれば、与野党の共闘も可能だろう。もっとも安倍首相は優れた寝技師だが、寝技師は寝技師のままで終わる。憲法を改正するのは、安倍首相ではないだろう。
改憲派の議員が増えているというデータもある。その記事が削除されたため、改憲派の議員の割合を呈示できないのだが、改憲派の議員の増加を、国民はもう止めることができない。
おそらく、今後10年前後のうちに、憲法九条は改正されるだろう。

(おまけ)
謎の共産党投票者達

47回衆議院選挙で、日本共産党は12議席増加の、21議席を獲得するという躍進を遂げた。
共産党の志位委員長は、「共産党議席が伸びたのもひとつの民意である」と述べた。
志位さん、躍進の理由が分かっていないのが丸わかりです。
私の見る限り、共産党が躍進した理由を説明した記事、書籍はない。また共産党の躍進に注目した記事も、寡聞にして知らない。
私も今後、共産党が政局に影響を与えるほど議席を伸ばすとは思わないが、共産党議席の変動は、政治の動きに若干の不透明感と、それに伴う苛立ちを与えると思っている。

47回衆議院選挙は、投票率過去最低の選挙である。浮動票が動かない、固定票のみの選挙で、野党、共産党議席を伸ばす目は本来ない。
壊滅した次世代の党の議席が、民主と共産党に流れた感のある47回選挙だったが、問題はなぜ、票が流れたのが共産党だったかである。
「『この道しかない』の本音は『憲法を守るにはこの道しかない』」で述べたように、47回選挙は潜在的に、集団的自衛権行使容認の是非のみが争点の選挙だった。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/12/08/103338
民主が議席を伸ばした理由はわかりやすい。つまり「集団的自衛権反対、政権交代」を求める気持ちの反映されたものである。(もっとも今の民主党政権交代を求めるのは極めて難しいと思うが)
それでは共産党は、何を求められて躍進したのか。
答えは「集団的自衛権には反対だが、政権交代には反対」の者が、共産党に票を投じたのである。とすれば、47回選挙が集団的自衛権行使容認のみが、潜在的な唯一の争点である以上、共産党投票者達は、選挙でもっともひねくれた行動をとった者達である。
そしてこの共産党投票者達は、基本的に次の選挙忌避者予備軍であると、私は思っている。次の選挙で選挙忌避をするのに、「民意の反映」と受け取って選挙対策など立てられない。
こう考えると、共産党が気の毒である。選挙の当落がほとんど読めなくなるからである。私もこの共産党投票者達が、次の選挙でどれだけ投票にいくか予測できないし、予測すること自体が無意味だと思っている。
この場で共産党の存在意義について語るつもりはないが、もし自民が過半数を割っても、連立政権に参加しない共産党の投票者は、共産党の支持者だけで充分だと思っている。
47回選挙の後で、安倍首相が「集団的自衛権行使容認が国民に承認された」「憲法改正に意欲」と言ってしまったため、今後の選挙で、憲法問題がどれだけ潜在的な争点になるのか、現時点で私も読めなくなっている。しかし今後の動向次第では、私は無意味に共産党に投票するのを辞めるように呼び掛けようと考えている。