坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

「この道しかない」の本音は、「憲法を守るにはこの道しかない」

自民300議席超えの予想。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141204-00000577-san-pol
これが当たれば、私の「自民は議席を伸ばさないが、大きくは減らさない」という予測がまた外れることになる。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/11/29/181017
選挙は蓋を開けて見なければわからない。しかし「議席を伸ばさない」という私の予想は、自民に議席を伸ばすだけの得点がないということだった。
予想とはいえ、どこをどう間違えたのか。
そこで思い至ったのが、このCM。安倍首相の「この道しかない」
http://m.youtube.com/watch?v=wObNcHUzRZ0

「消費税増税を延期しました」と、誇らしげに語る安倍首相。
増税が正しいかどうかについて語るつもりはないのだが、8%に増やして景気を冷え込ませたのは安倍首相だと、経済に疎い私でも思っている。
国民だって、納得はしていない。二年だから今回の選挙は、過去最低を下回りそうになっている。しかしそれでも、自民は大勝するのである。
安倍首相の目的の1つは、消費税増税による景気の悪化に対する免罪である。しかし免罪されるには、それに対する代償が必要である。安倍首相は何と引き換えに免罪されるのか?

平和憲法によって平和が守られた」という主張が説得力を失っていったのは、政治史的には村山首相が「自衛隊は合憲」とした時からだろう。
それまで護憲こそ絶対の正義で、憲法を骨抜きにする自民が悪玉だった。強権な悪玉自民に、善玉の社会党などの左派勢力が対抗するというのが、戦後の日本の政治構造だった。
「いつかは社会党が政権をとって、自衛隊を廃止して、我々の正義を実現してくれる」
と、どれだけの社会党支持者が本気で思っていただろうか。今となっては私の想像も及ばないのだが、村山首相が「自衛隊は合憲」としたことで、憲法九条が悪だという「真実」を、社会党支持者は突き付けられた。
「真実」を突き付けられたトラウマは、我々が想像するよりも大きかったようである。
社民党と名を変えた社会党は、今や全く存在感のない政党となった。
対称的名のは共産党で、自衛隊違憲とする主張を変えなかった共産党は勢力を維持した。しかしそれ以上に注目すべきは、共産党が、旧社会党支持者をほとんど吸収できていないことである。自らを善玉と信じていた者が、実は悪玉だったという「真実」を突き付けられて、旧社会党支持者は、根本的に立ち直ることができなかったのである。
思想の変化はゆっくりと訪れる。旧社会党支持者のトラウマは、次第に国民全体に波及していった。
そして村山政権から二十年立って「平和憲法によって平和が守られた」という主張に、国民はほとんど反応しなくなってしまった。

国民が無意識に理解しているのは、護憲=野党=善玉の構図は、もはや通用しないということである。
国民は、護憲が善だと主張して欲しいとは、もう思っていない。
憲法を変えて、今までの自分達が間違っていたという「真実」を、突き付けられたくないのである。
そのためには、護憲=野党から、護憲=与党の構図への転換が必要である。
護憲=与党で、完璧な理論武装をした政党ーーそんな政党の登場は期待できない。
欠いているのは理論武装である。ならば理論武装に替わるものがあればいい。それは「横暴」である。

安倍首相は、国民の言葉にできない要求に、見事に答えた。
現在の景気低迷を民主党の責任にし、8%の増税の責任を棚上げにして10%への増税ストップを手柄にする。
安倍首相は、国民の期待に答えてくれる。そう思った者は、選挙で自民に投票するだろう。
「いくら何でも無茶苦茶だろう」
と思いながらも、改憲に踏み切れない者は、選挙に行かないだろう。
しかも、小泉純一郎型の一点突破である。与党の一点突破に、野党が多角的な対応をして結局は与党に破れるという、お決まりのパターンである。
この選挙こそ、実質的な現行憲法による集団的自衛権行使容認を、与党が国民から承認を受けるための選挙である。しかも与党は集団的自衛権についてほとんど触れずにである。
こうして、相互の免罪による共犯関係が成立する。共犯関係こそ、最も強固な紐帯である。しかしこの共犯関係、国民の方が分が悪い。
さらに、「積極的平和主義」というおまけがついている。実は「積極的平和主義」とは、「平和憲法により平和は守られた」という歴史観、というより「神話」の全否定である。積極的平和主義は、過去の戦争と全く結びつけられない。この「積極的平和主義」も含めて、国民が与党を承認することで、「平和憲法により平和は守られた」と主張する野党はほぼ死滅する。

安倍首相が、一時でも改憲を真剣に検討したことは、私は全く疑っていない。
しかし安倍首相が改憲を検討したことは、結果的に国民への揺さぶりになってしまった。
アンケート調査で、一時改憲派は過半数を超えた。この時国民は、自分達と歴史の断罪を覚悟した。
そこに、免罪符が与えられた。
この免罪符に、国民が飛びついた、とは言わない。多くの国民が、選挙を忌避しようとしているからである。しかし免罪符は受け取らないが、断罪を求めてもいないのである。

この、憲法を巡る潜在的な承認を求める争いは、今後も続くだろう。
憲法を巡る潜在的承認を求める争いの前に、他の争点は全て表層的なものとなる。それこそ固定票、浮動票などの分析が、当面無意味化するほどに。

そして、現行憲法集団的自衛権の行使容認により、国民はさらに自信を無くしていく。
現在でも、日本人は自信を無くしていると指摘されているが、一般的な経済や格差が原因だという指摘を、私は余り信じていない。
日本は、今でも世界第三位の経済大国である。格差も、アメリカに比べて小さい。
それなのに、先進国の中で自殺率が高い。出生率が低すぎる。

「積極的平和主義」を、我々国民がどう受け止めるのか。
「詭弁は、政治家に任せておけ」というのが、おそらく本音だろう。
国民が政治家を軽蔑する。しかし憲法九条が歴史との関連を絶たれたのに、軽蔑するだけで現状を変えようとしない
そして今の政治家は、昔ほどに軽蔑する要素が少ないやがて政治家が詭弁を言うのを求めているのが、他ならぬ自分自信だという真実に直面する。こうして自己嫌悪に陥っていく。

しかし、自民が憲法を巡る潜在的な承認の一点に、存在意義が限定されていく構図は、中長期的に非常に脆い。やがて、55年体制崩壊のような形で瓦解するだろう。
その時に、野党が自民との対立軸を造って置かなければ、55年体制崩壊の時と同様にまた政界は混乱する。