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A社についた時には、既に日は沈み、わずかな残照により、人も車も影の形で見えるだけだった。私は、A社の駐車場に車を止めた。
(ーーさて、俺はここに何しに来たんだっけ?)
っておい!!
私は未だに、A社に来て何を言えばいいかわからなかった。
私は社員通用口から入ろうとし、
(なんか違う)
と思って躊躇した。駐車場に戻って考えていると、
「よう、戻って来たのか?」
と声をかけられた。見ると、シルエットだけでも見覚えのある人だとわかる。
「いえ、そうじゃないんですけどーー」
もごもごと言うと、少し話して、その人は離れて行った。
(ーーそうか、俺はB社で働いる者じゃないから、通用口じゃなく正面玄関から入らなければならないんだ)
こんな簡単なことにやっと気づいて、正面玄関に向かう。
玄関を入ると、インターホンがある。
しばらくインターホンを見つめて、無視して奥に進んだ。
久し振りのB社。
(相変わらず広い)
B社は敷地面積が広く、工場が大きい。棟が二つしかない。
古い工場によくある、いくつもの棟を連携させた入り組んだ構造になっておらず、非常にシンプルである。
(廊下が長い)
遠くにこちらに向かってくる人がいる。
その人とすれ違うのに時間が
かかる。互いに視認しあっているのは、なんとなく気まずい。
するとすれ違いざまに、
「ペコッ」
とお辞儀をする。この長い廊下のせいで、B社の従業員はR社の従業員より、いくぶん礼儀正しい。
このように、北海道の道路で車がすれ違うように二人とすれ違うと、また一台、いや人が廊下に出てきた。
(ーーん?)
と思ったのは、この車、いや人は、私が近づいていくと立ち止まり、逆の方に向かっていったからである。
こういうのは、目立つ。
私は、その人を知っていた。総務の∂課長である。
B社に派遣される時、私は∂課長に面接を受けた。
「ーーまあいいか」
と言って、∂課長は私を採用した。
(まあいいかって何だよ)
と、その時、私は思った。それ以来、∂課長と話をしたことはない。
(ーー∂課長は、俺に気づいたか?)
考えた。目は会わなかった。
また逆方向に行った。
(しかし、俺と∂課長は向き合った)
廊下の構造や、礼儀の問題ではない。既知の者に対する反応として∂課長の対応は異様だった。
(まあいいや)
私は総務室に入った。
総務室には、K課長がいた。
K課長は、私を見ると満面の笑みを浮かべた。
(まるで、俺が来ることを予期していたようだ)
とは、この時は思わなかった。
むしろ逆に、私は懐かしさに包まれたのである。古巣に帰った気持ちになり、緊張感が若干ほぐれた。
「何の用?」
私を食堂に案内して、K課長は聞いてきた。
電気は、付けない。
扉が半分空けられていて、廊下の光で、かろうじてK課長の顔の輪郭がわかる。
(ええと、何を言えばいいんだろうなーーそうか!!)
「さっきのK課長の表情で、K課長が私のことを知らないんだとわかりましたよ」
懐かしさでいっぱいになっていた私は、そう言ってしまった。
「俺に言っても、力になれないよ。俺は異動したから」
「ーーMくんのこと?」
K課長が聞いた。
「いや、事情がどうあれ、Mくんは自分で辞めたんですから、そのことはいいんですよ」
「何も知らない」はずのK課長と話が噛み合う違和感に、私は気づいていない。ただ、
(K課長って、こんな気さくな人だっけ?悪い人じゃないけど、もっとつっけんどんな人だったようなーー)
とは思っていた。
私は、相変わらず自分が何を言いにきたかわからない。
「何を言えばいいかな、ええと…」
としどろもどろになりながら、
(そうだ!!)
と、やっと言うべきことを思いついた。
「あの、私がくびになったいきさつについて話がしたいんですけどーー」
ってそれかい!!
「あ、その話なら、ちょっと待って」
と言って、K課長は食堂を出て行った。
しばらくして応接室に通され、待っていると、K課長は∂課長を連れてきた。
「君が解雇されたいきさつについて話したいということだがーー」
「はい、私が解雇された理由は、表向きは私の作業上の問題ということになってますがーー」
「表向きじゃなくて、実際そうなの」
K課長の言葉に、私は返せなかった。
「君が辞めた後も、うちでは何人もの人をリストラしている。これは経営上、仕方のないことなんだよ」
∂課長はそう言い、さらにその後、
「我々はその気になれば、請負の社員をその日のうちに解雇することができる」
と言った。
(ーーえ?)
私はこの言葉に引っ掛かった。
(そんなに簡単にくびにできるはずがない)
そう思ったが、当時の私は労働法を知らない。
「しかし、その場合は解雇予告手当の60パーセントを支払わなくてはならない」
∂課長は続けたが、私には意味がわからない。ただ、
(どうもこの人は、言わんでもいいことを言ってるな)
と、自分が何を言えばいいかわからない代わりに、相手の値踏みをしていただけだった。
「それで、君はどうしたいの?」
K課長が聞いてきた。
「はい、私がくびになったいきさつについて話がしたくてーー」
「うん、それで?」
「あの、私がくびになったのは、F所長の不正によるものでーー」
「うん、それで?」
「その、所長はEさんをリーダーにしようとしたんですがーー」お前、今どこにいるの
「R社です」
「R社?へえそうーーそれで?」
K課長は軽く言った。
「それで、私には『リーダーじゃない、連絡係だ』って嘘をついてーー」
「うん、それで?」
(∂課長と比べて、K課長はさすがだな、なるべく自分の主張をせず、俺に意見を言わせようとしている)
とまた関係ないことを考えている。
健全な精神の持ち主なら、「Mくんの辞めさせ方がひどい」と言うのだろう。
しかし私は、こういう場合、
「どんな事情があっても、辞めた本人が悪い」と言われ、抑圧されて育ってきた。Mくんを弁護できるような、健全な精神は持ち合わせていない。
「それでーー私とクリスタルグループの間に起こったことを、社内公表して下さい」
と、私の主張は一気に飛躍してしまった。
「それは我々の問題じゃない。そういうことは派遣会社に言って下さい」
と、∂課長は言った。
この時期、擬装請負についての考えがまだ充分でない私には、反論できない。
「でも、Eさんってもう辞めたんじゃないの?」
K課長が言った。
(ん?)
私はK課長に疑問を持った。これまでK課長を値踏みしながらも、疑問を持ったのは初めてだった。
「いや、Eさんは戻ってきたって聞きましたよ」
と言うと、K課長は黙った。
「何だそれは、君はEさんを辞めさせろと言いにきたのか?」
∂課長が言った。
「ええ、そうです」
ここまできたら、そう言うしかない。
「何だそりゃ、話にならん!!」
と言って∂課長は立ち上がり、応接室を出て行った。
「……今度は、もっと考えてから来て」
そう言って、K課長も出て行った。
(ーー俺がなぜ『B社にいかなければならない』と思ったのか、やっとわかった)
帰りの車の中で、私は考えた。
(俺は自分の中にある、派遣先への信頼を壊しに言ったんだ。派遣会社だけを信用せず、派遣先が話が通じると思ったら、必ず俺の首が締まることになるからーー)
謀略を繰り返すことになっても、私は派遣先が、最後には必ず理解してくれると信じたかった。派遣先が信じられなくなれば、信じるべきものが何もなくなってしまう。
(今、俺の中の派遣先への信頼は壊れた。しかし今日の失敗が原因で、俺はくびになるかもしれない。それも今日中にだ。なにか手はあるかーーあった!!)
先に述べた通り、私は「Mくんの辞めさせ方がひどい」と言えない、不健全な精神の持ち主である。
健全な要求を退けられた後、必ず抑圧された。しかし抑圧が繰り返されるうちに、私はこんなことができるようになった。
家に帰り、
〈争いの圏外にいなよ〉
とMくんにメールを送った。
〈どうしたんですか?何かあったんですか?〉
とMくん。私がB社に行ったことをメールで説明すると、
〈わかりました〉
と返してきた。
(ここからだ)
私は返信した。
〈それは派遣会社の問題だって。いいのかね、擬装請負絡みの問題なのに〉
Mくんからの返信はなかった。
それから数日経ったある日、私はR社で作業をしていた。
Θ係長と目が合った。Θ係長はへへっと笑って、現場を去って行った。
「お前、凄い目で回りを見てるって、みんな言ってるぞ」
と、Vさんから言われた。
(もう、警戒を解いても大丈夫なようだな)
私は思った。
(二重スパイ的なMくんの存在が効を奏したとは断言できないが、すぐに何かが動くことはない。B社への乱入を不法侵入と訴えられるかと思ったが、それもないようだ。しかし敵は)
敵は、Aグループそのものだという認識に、既に私は経っていた。
(敵は、必ず俺をくびにしようとするだろう。その時に向けて、対策を立てなければならない)
(つづく)
水瓶座の女
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