坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

『里見八犬伝』に見る女性尊重

南総里見八犬伝』は、鎌倉公方足利持氏が起こした永享の乱の余波として、持氏の遺児春王、安王を擁した結城合戦で里見義実が城を落ち延びるところから始まる。義実は三浦半島から安房へと渡り、安房の神余光弘に代わって領主となった佞臣、山下定包を討って安房二郡の領主となる。

その際神余光弘の愛妾で、山下定包とも密通しており、光弘の死後は定包の正妻となった玉梓を、一度は助命しながら、その言葉を翻して処刑したことにより、里見家に玉梓の呪いが降りかかる。

八犬伝』は名詮自性(名がそのもの自体の本性を現すこと)、勧善懲悪の物語として広く知られている。しかしこの『八犬伝』、男女平等の物語であることはほとんど気づかれていない。

八犬伝』が『水滸伝』の影響を受けたのは確かだが、ある一点においては完全に『水滸伝』のアンチテーゼである。

水滸伝』は高校の頃に読んだが、どうしても受け付けなかったのは、出てくる女性が全て悪女であることである。その徹底した男尊女卑の思想は私は受け付けなくて、『水滸伝』は一回しか読んだことがない。

水滸伝』のスピンオフが『金瓶梅』で、梁山泊の108の豪傑の一人行者武松の兄の仇、西門慶が主人公である。その内容が、西門慶が酒池肉林を繰り返す話で、『水滸伝』と並んで四大奇書の一つとされる。この二つの小説に、中国人の本音が二分されて表れているようである。

 

玉梓の呪いは凄まじく、玉梓は死んで八房という犬に生まれ変わり、義実の娘伏姫と義実から奪い取る。

伏姫は役行者からもらった「仁義礼智忠信孝悌」の八つの字のある霊玉の数珠と、法華経の読経の功徳により八房に体を許すことはなかったが、八房の気を受けて八人の子の種子をその腹に宿す。

それでも玉梓の怨念は浄化されている。そのことは霊玉の仁義八行の字が「如是畜生発菩提心」に変わり、さらに伏姫が八人の子の種子を宿すと、霊玉の字が仁義八行に変わっていたことでも明らかである。しかし玉梓の呪いはここからがすごいのである。

里見家の家臣金碗大輔が伏姫奪回のために八房を鉄砲で撃つと、二つ玉の一つは八房に当たるが、流れ弾が伏姫にあたり、さらに腹に犬の子がいないことを証明するため、伏姫は割腹して死ぬ。その時傷口から出た白気が、仁義八行の八つの霊玉を飛散させる。

 

玉梓の怨念は浄化されたが、玉梓の怨念は残り、八犬士を苦しめることになる。玉梓の生まれ変わりである八房が、子犬の時に乳を与えた狸にも、玉梓の怨念が乗り移っていたからだ。

その怨念により犬塚信乃は許嫁の浜路を失い、犬田小文吾は妹を失い、犬江親兵衛は両親を失い、犬村大角は父と妻を失う。なぜこれほどまでに犬士に不幸が降りかかるかといえば、それには理由がある。

浜路は犬山道節の異母妹で、母は道節とその母を殺そうとして露見して殺され、浜路は物心つかないうちに犬山家から絶縁され、犬塚信乃の叔母夫婦の養女となっていた。

犬江親兵衛の曽祖父は杣木朴平といい、奸臣山下定包を討とうとして、誤って主君の神余光弘を撃ってしまった人物である。その際追手をかけられて那古七郎を討ってしまうが、那古七郎の弟が古那屋文五兵衛である。杣木朴平の孫が山林房八で、古那屋文吾兵衛の子が犬田小文吾とその妹の沼藺、房八と沼藺の子が親兵衛である。

八犬伝』は名詮自性と勧善懲悪の他に、因果応報の物語である。山林房八は沼藺との結婚後にこの因縁を知り、その頃破傷風で伏していた犬塚信乃が、男女の血を傷口に注ぐことで破傷風が治るという秘法を知り、自らと妻の沼藺を犠牲にして信乃を救う。

親兵衛は生まれつき左手が開かず、そのため片輪の車という意味で大八と呼ばれていたが、両親が信乃を救うと、左手が開き、仁の玉を持つ犬士であることが明らかになる。

犬村大角の妻の雛衣が死ぬのは因縁はないが、雛衣は大角の母方の従妹で近親婚であることが非業の死の原因である。

このことは犬塚信乃の甲斐でのストーリーでわかる。ここに登場するのが信乃の許嫁と同名の浜路で、浜路の父四六城木工作は母方の伯父の娘、麻苗を妻とした。つまり従妹婚だが、実は浜路は養女で、その昔鷲に攫われて行方不明になった、里見義成の五の姫君だった。浜路姫は後に信乃の妻になる。『永遠の0』と同じ、死んだと思った者が戻ってきて結ばれるストーリーである。犬村大角は後に里見義成の三女、鄙木姫と結ばれる。これも死んだと思った者が結ばれる物語である。

このように、『八犬伝』では不幸にも因果、もしくは理由があるのだが、それでも玉梓の呪いが一番大きい。八犬士の受難の多くを玉梓の呪いに帰せるのは、それが男尊女卑へのアンチテーゼだからである。決して善人でなく、領民を苦しめ不倫をした悪女であっても、約を違えてはならないとしながら、実は女性をもっと大事にしろと言っているのである。

それでは船虫はどうか?『八犬伝』中盤において悪事の限りを尽くし、ことごとに犬士の前に立ち塞がる船虫は紛れもない悪女で、作者の馬琴も別に同情していない。

しかしここで船虫とのバランスを取るのが犬阪毛野である。

女性と見紛う美貌の持ち主で、母が三年懐胎して生まれたという異常出生の経歴の持ち主である。こんな経歴は八犬士随一の犬江親兵衛にもない。この犬阪毛野の存在が、毒婦船虫が女性の評判を落とすのを中和しているのである。しかも船虫のミレディー張りの活躍に対し、毛野の活躍は少ない。これは女性の対決ではなく(改めて言うが、毛野は男である)、毛野が船虫の毒を中和する存在であることを意味している。

加えて女性の立場を上げるために登場するのが政木狐である。『八犬伝』のラスボス的存在は、八房を育てた狸が変化した、八百比丘尼妙椿だが、なぜ妙椿は狸なのだろうか?

妙椿との対決は、表向きは神童犬江親兵衛との戦いだが、裏では政木狐との対決である。では政木狐はなぜ狐なのかといえば、悪女といえば狐だからである。

政木狐は、河鯉孝嗣の乳母の政木を殺したため、政木の代わりに乳母になった。その後不忍池の辺りで旅人を助け、功徳を積んで九尾の狐になる。ウィキペディアでは、政木狐は、狐は元来瑞獣であり、玉藻前などの妖獣イメージは誤りであると書いてある(私が読んだ『八犬伝』の現代語訳には、そのことは書いてない)。そのことを知っていれば、私の小説も違った書き方をしただろうに…

とにかく、政木狐は悪女=女狐イメージを払拭するのがその役割で、ラスボス妙椿は狸にして悪女イメージを和らげているのである。千人の命を救った政木狐は、龍となって昇天する。

それでもまだ足りないと思ったのか、馬琴は虎のエピソードまで入れてくる。巨勢金岡の虎の絵には瞳がなく、瞳を描き入れると絵から抜け出して人を襲うと言われていた。管領細川政元が絵師に瞳を点じさせると、虎は抜け出して騒動になるが、犬江親兵衛が退治する。

「龍虎相撃つ」というが、「画竜点睛を欠く」龍は瞳を点じると昇天し、馬琴の虎は瞳を転じると、両目を潰されたうえ拳固で頭を割られる。寅年生まれの私としてはスッキリした話ではないのだが…

 

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