『呪術廻戦』は4巻まで。
虎杖悠仁が「宿儺の器」として、両面宿儺の指を全部食ったら殺されるという条件で呪術師として戦う。なんか自分のことほったらかしで戦いに参加してるのがいい。
「『覚悟はできた』ってことでいいのかな」と聞く五条悟に、「全然」と答える悠仁。
「なんで俺が死刑なんだって思ってるよ」といいながら、やはり呪いはほっとけないと悠仁は言う。
それが「お前は強いから人を助けろ」という祖父の遺言で、「ほんとめんどくさい遺言だよ」と悠仁はぼやく。
でも少なくない人にとって、人生とはそんなものなのである。
人生が長いか短いかだけではない。
また人生が長くても、人生の成功の道がどこかで閉ざされてしまうこともある。
人生に生きる意味はない。それでもなんかの世話を焼いたりして、徒労のような一生を終える。
私は単なる自己犠牲の話は嫌いだが、虎杖悠仁の犠牲というのはそういう、一見無意味に見える人生を表しているのかもしれない。
宿儺との「誓約」も面白い。戦いの際に1分間体を明け渡すのが「誓約」だが、その間誰も殺さない、傷つけないと宿儺返され言う。
「信じられるか!」と叫ぶ悠仁に、「守らねば自分が罰を受ける」と宿儺は言う。
宿儺は邪悪だが、「身に余る私益を貪れば報いを受ける」と宿儺の方から言うのが面白い。邪悪とは普通、そういう理がわからない者のことを指すのだが。
宿儺によれば「あくまで利害による”縛り“」であるとのこと。別に善でも悪でも構わないが、そういう「利害」で結びつくことができなくて意外と苦労するのである。ここにちょっとした未来を感じたりしてしまう。
しかも悠仁は「誓約」のことはしっかり忘れさせられており、そのための宿儺にいじめられる。
「ここまで会話が成り立つ呪霊」と七海健人は呪霊を見て驚いている。そういや『進撃の巨人』や『アイアムアヒーロー』のモンスターは会話ができなかったっけ?
「無関心こそ人間の行き着くべき美徳」というセリフもある。早くそうなってほしいwww。
「アンタらがしょーもない地位や伝統のために塞き止めていた力の波が、もうどうしようもなく大きくなって押し寄せてんだよ」と五条悟は言う。なんかこれも、今の時代を反映してる言葉って気がする。
それにしても五条悟強すぎ。『鬼滅の刃』にも継国縁壱というめちゃめちゃ強い奴が出てくるけど、こういうのなんか意味があるのかな?
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