坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

初代ゼルダ


一度は鳴り物入りで導入されたファミコンディスクシステムだったが、導入されてから1年か2年でディスクシステムは下火になった。
任天堂ディスクシステムを導入した背景というのは、今になって思えばこういうことだと思う、
ファミコンは当時、テレビを通じてビデオゲームを行う媒体としては最も優れていたが、ソフトとしてのカセットはまだまだ容量が少なかった。
一方パソコンでRPGなどが盛んになっていたことにより、緊急にソフトの容量の拡大が求められていた。
容量の拡大は早晩解決できると思われていたが、容量を拡大をユーザーのニーズに合わせて行わないとファミコンの市場シェア維持に支障をきたし、他社のハードにシェアを奪われる可能性がある。
そこでカセットの容量がユーザーのニーズを満たすまでの間、ディスクシステムで対応しようというのが任天堂の目論見だった。これでファミコン本体に迫るディスクシステムのハードを大量にユーザーに買わせたのだから商売上手である。
エニックスの『ドラクエ』はディスクシステムスタート後の発売だったが、ディスクの約半分の容量のカセットで発売した。
もし『ドラクエ』をディスクシステムで発売していたら、『ドラクエシリーズ』をあのペースで発売できなかったか、『ドラクエ3』までディスクシステムで発売し、ヒットしているのに赤字で、その後のシリーズ化に支障をきたしていた可能性がある。

ということで、今回ご紹介するのはディスクシステム第一弾の『ゼルダの伝説』いわゆる『初代ゼルダ』。
もうひとつ、当時の背景を言えば、当時は『ドルアーガの塔』や『ハイドライドシリーズ』など、アクションRPGパソコンゲームを中心に流行していた。
RPGは『ウイザードリィ』など海外のゲームが紹介されることで浸透したが、国産のRPGではユーザーはターン制に馴染めず、代わりにアクションRPGが流行した。
そのアクションRPGも、正面から敵とぶつかると相互にHPが減少するというもので、横や後ろから攻撃するようにプレイするところに若干のアクション性がある程度の、実際にはアクション性の低いものだった。
このようになったのは、アクションRPGがターン制に少しでもユーザーが馴染むように、ターン制の要素のアクションRPGに取り入れたからだった(『ドルアーガの塔』は横や後ろから攻撃しても体力の減少に変化はなく、ナイトなどの体力を持つ敵を倒すとリカバーポイントが入ってある程度体力が回復するようになっている)。結局ターン制を定着させたのは『ドラクエ』だった。
『初代ゼルダ』は、こういう流れの中で発売された。
ファミコン通信』などで紹介されて、映像を見ただけでもそれまでのゲームとかなり違うというのがわかって、しかもテレビのCMでプレイ映像が流れたりして、「動きが速いなあ」と感動したのを覚えている。プレイするとそれほどでもなかったけど。
で実際にプレイすると実に新鮮。
後のシリーズでは、舞台であるハイラルは多くが緑豊かな世界だが、『初代ゼルダ』は緑の配色まではしてなくて、肌色の大地は広野か砂漠を思わせた(砂漠は砂漠で別にあるのだが)。しかしこれも味があっていい。
音楽も実に勇ましくて、『ドルアーガの塔』とこの『初代ゼルダ』のフィールドBGMはすごく好き。
プレイについては、主人公のリンクが画面の端に行くと画面がスクロールする。
画面スクロールにより、岩だらけの土地が木がいっぱいの森になったりする。
スクロールするたびに木だけ、岩だけと極端に風景が変化する。
豪快というかおおざっぱというか。しかしこういう極端に風景が変わるのも楽しかった。
この記事を書くにあたってYouTubeで実況動画を見たが、レベル1のダンジョンに入る前に、ハートを6つにしてホワイトソード(攻撃力が2倍)を手に入れ、さらにルピーをくれるゴブリンから金をせしめてブルーリング(ダメージが半分になる)を手に入れることができるとは知らなかった。『初代ゼルダ』は簡単なゲームだが、リンクが強くないうちは結構死なせることもあったから、これだけ準備できればまず死なないだろうな。
ゾーラなどの敵が放つビームや、リンクのハートが満タンの時に出るビームは7色に輝いて本当にきれいだった。特にリンクのビームは、敵や画面端に当たると四方に弾けて、それが実にきれいで。
画面左上にある、リンクの位置を表示する部分をレーダーと呼んでいたのもカッコ良かった。ファンタジーな世界観にいきなり近代的なものを差し込んだ感じで、しかも世界観の説明がないのが色々想像させられるんだよね。
ダンジョンはレベル1から9まであるけど、表示は『ザナドゥ』の影響かもね。
タイルが敷かれたダンジョンの各部屋がきれいで、しかもダンジョンごとに青、緑、金、白と色が変わっていくのも嬉しい演出だったね。そしてダンジョンをクリアすると自動的にダンジョンから出られるのもサービス感があっていい。
それまでのステージクリア型のゲームの反映なんだろうけど、『ドラクエ』はリレミトがある分損してるね。
それダンジョンの仕掛けの数々。後のシリーズから見れば単純なものばかりだけど、小学生の私にはちょうどよくて、壁を見れば「くさいなここ」と爆弾を仕掛けてみると壁に穴が開くという、さくさく進めるのが気持ち良かった。

だが、私は気づいてしまった。
気づいたことのひとつ、それは容量の節約のために、同じような地形、ダンジョンなら同じ形の部屋を使い回していたことである。
同じ地形を使い回すなら、リンクを中央にして画面をスクロールさせるよりも、リンクが画面端に行くたびに1画面ずつスクロールさせた方がいい。容量が少ないこの時代ならではだが、山、森と1画面ごとに地形が変化するのはこういった背景があったのである。
もうひとつは、リンクはデフォルトよりLIFEは約5倍、攻撃力、防御力共に4倍、さらにハート全回復2回の赤い薬で、LIFE5倍×攻撃力4倍×防御力4倍×赤い薬×3で、最終的にデフォルトの240倍強くなっている。
もちろん敵も強くなるのだが、リンクの成長曲線のの方が高いため、終盤はプレイが安定してリンクが死ぬことはない。
終盤はプレイが安定するが、開発側もそれに対応した措置をしていて、タートナックという騎士やウィズロープといったマジシャンばかりの部屋とか、パタラという「こりゃダメージ浮けるのしゃーねーだろ」というしかない敵を終盤に配置してくる。
ラスボスのガノンにしてもそうで、姿を完全に消して、大きな盾でも防げないビームを放ってくるが、そもそも姿の見えない敵の動きを予測するのは不可能であり、その予測不可能な敵のビームを避けるのも相当無理がある。
しかもプレイヤーは、序盤から楽なプレイに慣れているため、終盤でも敵の攻撃を避けることへの情熱が湧かず、多少ダメージを浮けてもごり押ししがちである。そして実際にクリアしてしまう。
こうして『初代ゼルダ』も、ダメージを浮けるのは前提のターン制RPGを定着させるための、アクションRPGのひとつとなったのである。

『初代ゼルダ』の発売は1986年で、エンドロールのBGMはクリスマスの曲のような楽しさを感じさせた。発売は2月だったけどね。
クリアした後『裏ゼルダ』もやって、表裏合わせて全クリアに5時間。これを半年間楽しみました🥰いや~子供の頃って繰り返しが平気なもんだね。

RPGでは、第2作から格段に難しくなるシリーズのゲームがある。すなわち『ドラゴンスレイヤー』→『ザナドゥ』、『ハイドライド』→『ハイドライド2』、『ドラゴンクエスト』→『ドラゴンクエスト2』。
そしてこれらのゲームシリーズは、第1作はユーザーを掴むための入口で、2作目が本当に制作者が作りたかったゲームだと私は思っている。
この法則を『ゼルダシリーズ』に当てはめると、『ゼルダ』を放って作った宮本茂さんが本当に作りたかったゲームは『リンクの冒険』となる。
あの激ムズのアクションが作りたかったゲームなんて、宮本さんは本当にアクションの人なんだね。

ゼルダシリーズ』は、最初に宮本さんが作って、その後青沼英二さんという人と二人が中心になって制作してたけど、宮本さん自身はあんまり『ゼルダシリーズ』を手掛ける意欲はなかったんじゃないかと思う。
リンクの冒険』(1987年)から『神々のトライフォース』(以下『神トラ』、1991年)まで時間空いてるし、『神トラ』の後日談の『夢を見る島』(1993年)から『時のオカリナ』(以下『時オカ』、1998年)はさらに空いてるしね。
しかし『時オカ』で3Dになって、3つの世界線とそれ以前の物語というコンセプトが出来上がって(この3つの世界線も後で放棄するのだが)、宮本さんも『ゼルダシリーズ』やる気になったみたいである。そのうち2Dのものはカプコンに制作を請け負わせてね。

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