坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーゲームの誕生①~『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』

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今回紹介するのは『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』(以下『ビルダーズ』。
簡単に説明すると『マインクラフト』という建物を作ったり物作りをしたりするアメリカのゲームをドラクエの世界観で再現したもので、『ドラクエシリーズ』のスピンオフ作品。『ドラクエI』の主人公が「世界の半分をやる」という竜王の申し出を受けてしまった時間軸の数百年後の世界というパラレルワールド設定。竜王により、物作りの力を失ったアレフガルドに、聖霊ルビスが伝説のビルダーを遣わしてアレフガルドを再建するというストーリー。
プレイしたことはない。動画で見たのを紹介する。動画実況者は赤髪のとも。

「がみとも」と名前を入力してスタートすると、主人公のビルダーがいるのは墓場のような所。
ルビスが呼び掛け、ビルダーに使命を伝えようとすると、「体がだるい」「外に出たい」と話を聞かないビルダーwww。その度にルビスはビルダーに薬草やひのきのぼうを作らせたり、ブロックを積んで階段を作らせたりするが、今度はビルダーが寝てしまったりwww。
「まさかあなた眠っているのですか?」とさすがのルビスも信じられない感じなのが面白い。
外に出てルビスが使命を伝えたら伝えたで「実感湧かない」と言うビルダー。まあ目覚めたばっかりだから無理ないけど。それにしてもルビス様の優しいことwww。
しかしルビスはビルダーに、「あなたは勇者ではありません」と意味深なことを言う。
ルビスはビルダーに「希望の旗」を渡す。「希望の旗」は魔物と戦った者達が最後まで持っていた旗だったという、ちょっと泣ける設定である。
それ旗をメルキドの廃墟の中心の光のある場所に立てると、その廃墟に光が当たってそこが拠点になる。
するとそこに人がやってくる。ピリンという少女だ。
ビルダーが物作りのことを教え、実際に物を作って見ると、「がみともってそんなことできるような名前だと思わないんだけど」とピリンwww。好んで変な名前をつけるプレイヤーにぐさっとくるようなセリフを用意したんじゃないかと思わせる場面である。で「ううん、人は名前じゃないっていうもんね」とフォローwww。そんな諺ねーよwww。
「部屋を作って、部屋が出来たら一緒に寝られるもん」とピリンに頼まれ、いい気になって部屋を作るとこのすぐ後に来るロロンドというおっさんがビルダーのベッドに寝てしまうwww。
それで怒ってロロンドの寝ているベッドを破壊するプレイヤーがいるとかいないとかwww。実はビルダー固有のベッドを指定できないようになっているんだけど、この辺に製作者側の意図がある。こういうロリコン防止の小ネタが好きで好きでwww。

最近のゲームで特徴的なのが、サバイバル要素を取り入れたものが多いことである。
『ビルダーズ』には空腹の概念があり、空腹になるとHPが減少していく。また使用している道具には耐久力があり、使い続けていると壊れる。
ほとんど同じ概念が『ゼルダの伝説』ブレスオブザワイルド』にも導入されていて、『ブレスオブザワイルド』には空腹の概念こそないがHPは食物で回復する。定番のマスターソードでさえ耐久力があり、壊れた後一定時間で復活するという念の入った設定である。
他にも『ファイナルファンタジーXV』に食事の概念が導入され、『ザンキゼロ』などは空腹の他に便意や寿命の概念があり、非常に難易度の高いものとなっている。
元々RPGは「役割を演じる」ゲームだが、ほとんどファンタジーゲームの代名詞になった。そしてストーリー重視により、フィールドを何日も食事も睡眠も取らずに歩き続けるという不自然なものになっていった。
『ビルダーズ』も章によっては最初に食物の確保に困ることもあり、また拠点の住民の依頼で建物を作る他に拠点の守りのために壁を作ったり、その壁を魔物に壊されて修理したり強化したり、また重要なアイテムを作るには中間素材が必要になったりと、サバイバル性によって色々手間がかかる。こういう手間をかけているのを見るのは楽しい。
また『ビルダーズ』はアクションゲームである。
昨今のヒット作はアクションゲームが多い。そのせいもあり、『ビルダーズ』には経験値の概念がなく、敵を倒してもレベルアップせず、体力も増えず、力も強くならない。もっとも「命の木の実」でHPをアップできるので、成長の概念がないのではない。

『ビルダーズ』は4章構成になっていて、各章で毎回強力な武器を発明し、各章の終盤には相当にプレイが安定するようになっている。
しかし『ビルダーズ』が特徴的なのは、そのアイテムを、章の初めに失うことである。「命の木の実」でアップしたHPも、章の初めに元に戻る。
各章のストーリーはそれぞれ重い話である。
メルキド編」では街を発展させようとするロロンドに対し、ロッシという住民が街の発展に反対する。ロロンドはそういうロッシを排除しようとする。
しかし次第に、メルキドの壊滅の理由がわかってくる。魔物と戦うメルキドの住民は、飢餓により人間同士が争うようになった。その争いをメルキドの守り神ゴーレムは、「人間こそがメルキドの敵」だと判断して、メルキドを破壊した。そしてビルダーが復興したメルキドを再び破壊しようとする…。
リムルダール編」では、リムルダールの地はヘルコンドルが疫病を広め、人々は次々と疫病に倒れていった。エルという修道女がリムルダールの廃墟に病院を作ろうとし、ビルダーがそれに協力する。
エルは薬師でありながら、物作りの力がないために薬が作れず、病との戦いを諦めた祖父のゲンローワと仲違いしていた。
死に抗うことに疑問を持ちながらも、患者の治療に協力するゲンローワ。病原菌を突き止め、必要な処方箋をビルダーに作らせるのを繰り返し、患者が快方に向かっていく。しかしある時、悲劇が起こる。
完治しない患者が、「腐った死体」へと変貌したのである。病が克服できないなら、死を克服しようと考えた、ゲンローワの弟子のウルスの仕業だった…。
「マイラ・ガライヤ編」では、かつて発明家のラライと、助手のアメルダが竜王軍に勝つための研究を行っていた。やがて二人は恋人同士になる。
ラライは火と氷が融合すれば爆発的なエネルギーが生み出されることを知り、それを利用して兵器を開発しようとする。しかし物作りの力を持たないため、兵器を作ることができなかった。そこで竜王が「儂に味方をすれば人間以上の知恵を与えよう」と誘い、ラライがそれに応じる。研究に没頭し、目的を見失ったラライを恋人のアメルダが殺す…。
「世界を守るとかそんなんじゃない。あたしはただ、あいつを救いたかったんだ」とアメルダ。
殺すことが救いというのはオウムと同じなんですけど。
しかしこれは伏線である。そして「ラダトーム編」までくると、この作品の本当の意図が見えてくる。

ラダトームの地は、暗闇と灰色の大地が続く絶望の世界で、食物はおろか、道具もほとんど手に入らない。最初は「希望の旗」すらない。
食物はないが、ムツヘタという予言者が霞みを分けて食べさせてくれる。実はこの霞みは、ムツヘタが口に入れていたのをビルダーに与えていたということで、最初の難易度うんぬんというより罰ゲーム的だが、食事に困らないという点では他の章より楽である。
やがて聖水を作れるようになり、それを仮拠点の中心にある石像にかけると石化が解けて「姫」になる。
この「姫」をみんなローラ姫だと言っているが、実はこの「姫」、ローラ姫ではない。
「そんな馬鹿な!!ローラ姫と同じ『そんなひどい』って言うし、第一顔だってそっくりじゃないか!!」
そう?俺にはピーチ姫に見えたんだけどwww。

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ビルダーが夢で見る勇者の回想のローラ姫と姿が同じなのは、同じ王家の姫なら顔が似ていることもあるだろう。
そして「姫」がローラ姫じゃないのも、大した理由ではない。
この後元勇者の「闇の戦士」との戦いがあるが、そこにローラ姫を絡ませてしまうと、ストーリーがずれてしまうからである。
「姫」がローラ姫じゃないのはその程度の理由だが、これが後の伏線になる。

旅の扉」を手に入れてその先に行くと、BGMが変わり、『ドラクエIII』のフィールドBGMになる。
熱いねえ!ファミコン版の時は「もの悲しいフィールドBGMパートスリー」と思っていたけどwww。
BGMといえば、各章のボス戦のBGMで「おお…これはゾーマとの戦闘BGMだな!」と思ったら『ドラクエVI』の通常戦闘BGMだったwww。『III』も『VI』も相当やったはずなのに。
そしてラダトーム城の廃墟に着き、ラダトーム魔城から「希望の旗」を取り返して、ようやく話が進展する。
相当困難なように見えるが、ラダトームの廃墟に着いた後は聖水によって鉄や石炭も手に入るようになり、多少手間がかかってもその後の進行は容易そうである。最終章を困難に見せる効果的な演出である。
ラダトーム城に「希望の旗」を立てると、人が集まってくるようになるが、その中の一人が「ロトの血を引く多くの若者が竜王を倒しに行ったが帰って来なかった」と言う。
ドラクエI』にも似たようなセリフがあるが、「ロトの血を引く多くの若者」とは言っていない。これが「姫」がローラ姫でないことの伏線である。

ルビスの遣わした三賢者がラダトームにやってくる。三賢者はピリン、エル、アメルダである。ただしピリンは戦闘能力がないため旅ができず、代わりにロロンドが来る。
三賢者がなぜこの三人なのか?特にピリンが賢者に見えないためよくネタにされている。
女性キャラだからだと言えばそれは当たりであるwww。
もう1つの理由は、「悪意で人の顔を馬鹿にしない」ことである。厳密にはピリンはビルダーを「ぼんやりした顔」と言っているし、アメルダは「乳くさい顔」と言っている。しかしピリンはロロンドの髭を見て「すごい人」だと言っているので本当に顔で判断しているだけであり、アメルダは荒事のプロとして、ビルダーを荒事ができる顔だと思わなかっただけである。
「とぼけた顔」、「間抜けな顔」、「寝ぼけた顔」など、顔を馬鹿にして他人を貶めるのは日本人の常套手段なのである。
顔だけではない。
マイラの荒くれ共はビルダーの筋肉のない体を馬鹿にしたり、しまいにはビルダーを「伝説のボディビルダー」と呼んで皮肉ったり、ムツヘタは一緒に走った後に「お主儂を抜こうとはしなかったか?
」などと突っ掛かってきたりする。こういういちいち人を攻撃して自分を上位に置くのは日本人がよくやる手なのだ。
しかし基本は主要な女性キャラだからというのは間違いない。
ただしエルには注意しておこう。
三賢者の一人で、明らかにビルダーに好意を持つエルは、普通に見ればヒロイン格である。(もっともビルダーを女性にした場合は恋愛基本恋愛感情ではないが)しかしエルは一点だけ賢者らしくないのである。
実は各章には裏設定があり、それぞれの地方が滅亡した本当の原因が隠されている。それはそれぞれの拠点の住民の存在によってわかる。
メルキド編」は飢餓により人々が争ったのが表向きの原因だが、真の原因は「空気を読むこと」である。それは「取り柄はないけど空気の読める女」チェリコが証明している。ロロンドとロッシの争いを人々が「空気を読む」ようになれば、メルキドは争いの絶えない街になるだろう。ロッシは街の発展に反対し、ロロンドが発展を促進したことでゴーレムに目をつけられたが、ロッシが正しかった訳ではない。ゴーレムは人々が空気を読んで争うことの、紛争の象徴なのである。
「マイラ・ガライヤ編」でラライが竜王に味方して兵器を発明するのは「目的を見失う」ことで、マイラのその象徴が「筋肉」である。
既にテーマが兵器競争になっているのに、荒くれ共は筋肉を自慢し、筋肉の有無で人を判断する。
こと「目的を見失った」筋肉を批判するキャラがシェネリで、幼なじみのコルトに好意を持たれているがシェネリは眼中になく、荒くれ共に拠点を持つ。
コルトは「筋肉」からシェネリを守ると心に決めるが、朝目が覚めると机の上にダンベルが置かれていたり目があった荒くれが胸の筋肉をピクつかせたりして筋肉地獄に陥り最後には洗脳されるwww。しかしその頃にはシェネリは「筋肉より大事なもの」に気づき、やはりコルトはアウトオブ眼中。
そして「リムルダール編」の病の真の原因、それは「過保護」である。
「過保護」共依存の形ひとつで、それを指摘するのが住民のザッコである。ザッコはエルを「嫁にはいいかもしれないが息が詰まるだろうなあ」と言っている。
リムルダールの病は「自立しないこと」の暗示で、病でなく死を克服しようとしたウルスは「自立しない」者をただ養い続ける行為で、それは「過保護」のエルの到達点である。真の病の克服は、親との関係を切って自立することである。

ラダトームの住民は、石化が解けて元に戻った旧時代の人間である。
そこに三賢者(と代理のロロンド)が到着すると、竜王を倒すのがビルダーか勇者かで争いが始まる。
旧時代の人々は勇者こそが竜王を倒すと言い、ビルダーの力を信じない。三賢者達はビルダーこそが竜王を倒すと主張する。
そしてルビスも、「竜王を倒すのはビルダーの使命ではない」と言い出す。ビルダーの使命はアレフガルドを元の状態、つまり「竜王を倒す勇者が誕生する条件が揃う」状態に戻すことだと言う。
この当たりでムツヘタが意味深なことを言う。戦っても強くならないビルダーを「人間ではないみたいだ」と言うのである。
先に述べたように、各章ごとに十分に成長を感じられるゲームシステムである。また経験値で成長しないのは初期RPGからの伝統的スタイルで、『ゼルダの伝説』は今でもこのスタイルを踏襲している。章の最初に全てを失う点以外、そんなにゲームスタイルが違う訳ではないのに、なぜこんなに違いを強調するのだろう?

三賢者が「いにしえのメダル」、「雨雲の杖」、「太陽の石」を持って来て、元勇者「闇の戦士」を倒してアイテムを手に入れ、「聖なるほこら」を作り「虹のしずく」を作成すると、「あなたの使命は終わりです」とルビスは言う。しかし竜王は倒していない。竜王を倒す勇者はいつ生まれるかわからない…。
ビルダーは「仲間の笑顔が見れないのは嫌だ」と言う。そういうビルダーに、ルビスは衝撃の事実をもたらす。
ビルダーはかつて物作りが得意な若者で、一度死んだのをルビスが蘇らせ、ビルダーとしての力を与えたものである。ビルダーとしての力は、使命を全うすれば失われる。しかし竜王を倒そうなどとすれば、力を使い果たしビルダーは消えてしまうと。
それでも竜王と戦うというビルダー。それまで「全ては聖霊の導きのままに」で話を締めていたルビスは、「全てはあなたの選択のままに」で話を終え、ビルダーを見放す。

竜王と戦う時は、持っているアイテムが全て使えなくなる。経験値で成長せず、道具で強くなるビルダーにとって窮地である。
しかしここで、ルビスが粋な計らいをする。バトルフィールドに主要キャラクターを呼び出し、。各キャラがビルダーにアイテムを手渡していくのである。そのアイテムでビルダーは竜王と戦う。
竜王を倒すと、ルビスは「私と竜王は、いにしえより人と魔物のことわりを…」と語ろうとするが、「そんなことより今は早く青空が見たい」とビルダーは遮る。そしてその場でビルダーは「光の玉」を作り、闇を払い光を取り戻す。
おおっと、今重要なことを言いかけましたよ~!!
ルビスと竜王が人と魔物のことわりを示すための存在なら、ルビスにとって竜王は「必要な存在」なのである。ならばなぜルビスが竜王を倒そうとするのか?
勇者がいつ生まれるのか、ルビスにもわからないという。ならばこう考えるべきだろう。そもそもルビスには竜王を倒す気がなかったと。
これで、「ロトの血を引く若者が旅だったが帰って来なかった」と言う意味、そしてビルダーがよく勇者の夢を見る意味がわかってくる。
それに答える前に、ビルダーと勇者が同一人物ではないかという疑問に答えておこう。ビルダーの見る勇者の夢や、「闇の戦士」が最後には逃げてしまうため殺せないこと、それが「自分を殺せない」という意味に解釈できるからである。ルビスは「あなたは勇者ではない」否定しているが、ひょっとしたらルビスは嘘をついているのかもしれない。
結論から言おう。ビルダーは勇者ではない。
ビルダーが勇者の夢を見るのは、ビルダー、いやプレイヤーが「勇者になりたい」と思っているからである。
「ロトの血を引く若者が何人も旅立って行った」のは、『ドラクエI』をプレイしたプレイヤーである。
そして現状維持を望むルビスには、ビルダーに勇者=己と戦わせて勝たせる理由がない。だからビルダーは勇者ではない。
これは、「アレフガルドを復活せよ」という変な日本語のサブタイトルにも関わっている。最近の日本人は言語能力が発達しているので、これが変な日本語だと気づくことは製作者側もわかっている。間違ってつけたサブタイトルではないのである。
それではビルダーとは何か?
ラライは人の選択によって、世界はいくつもの世界に分岐していくと言う。パラレルワールド理論である。
エルは元勇者を「彼は人間らしい選択をした」と言う。竜王の誘いに乗った勇者を肯定したのである。そしてアメルダは「元勇者のせいでこんな世界になったけど、この結果にたどり着いたんだしあたしは楽しかったよ」という。この言葉によって、道を誤ったラライも、そのラライを殺した自分も肯定したのである。
ひとつの世界でなく、「間違い」も含めた様々な世界を肯定する。それが『ビルダーズ』のテーマである。
それでは「ひとつの世界のみを肯定する」とはどういうことか?それは「宿命」を信じることである。
しかし

日本型ファンタジーの誕生⑧~ゲームがファンタジーへの扉を開いた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、私は「宿命」がファンタジーの流行に必要だったと述べた。
「~の子孫」、「生まれ変わり」などの要素で「宿命」を感じるファンタジーゲームを最初に作ったのは堀井雄二である。
それは、日本にファンタジー作品を生み出すために必要な階段だった。そして堀井は、その階段を『ビルダーズ』で外しにかかったのである。
「宿命」を信じることは、自分にふさわしい未来があると信じることであり、そのために社会、家族、仲間を肯定し、現状を受け入れることである。
「宿命」を信じるために必要なもの、それは「成長」である。目に見える「成長」によって、人は自分に未来があると信じることができる。だからマンガもゲームも、大幅な「成長」をする作品となる。しかし現実には、「宿命」は人間の視野を狭め、社会に停滞をもたらす。
ルビスと竜王は、互いに異なる役割を演じているように見せながらも、実はひとつの目的に向かっている。それは「ほどほど」の創造、繁栄に人間を留め、現状に満足させることである。それが「間違わないこと」だが、それは一部の人間の都合による「間違い」のなさであり、広い意味でのものではない。
今より多くの可能性を得るには、多くの「間違い」を受け入れなければならない。
ドラクエI』をプレイして、クリアできなかった人はほとんどいないはずである。しかしそのプレイヤー達は、『ビルダーズ』では竜王に勝つことができなかった。「宿命」を感じるために思考を停止させ、ルビスと竜王の罠にはまったからである。
ビルダーとは、創造により現状を打破し、今とは違う世界を作る者である。
その意味で、選択を誤った「闇の戦士」もまたビルダーである。だから「闇の戦士」は殺せなかったのである。

竜王を倒した後、「姫」は「あなたは消えてしまいますが、私達が願えばまた会えるでしょう」と言う。
そして最後に、ビルダーらしき者が弟子と共にラダトームの再建をしている場面が写し出される。
「おお!さすがは伝説の…」というところで物語は終わる。これで、ビルダーは生きていたとみんなは思う。
しかし、ビルダーは死んだのである。「伝説の…」がビルダーだとは言っていない。創造の仕事をする者は、創造のために命を燃やし、死んでいくのである。


ゲームはプレイするものである以上、選択もプレイの重要な要素だが、日本のゲームは選択肢を極力求めず、一本道のストーリーを進むスタイルが踏襲されてきた。
しかし一本道のストーリーを装いながら、そのスタイルを破壊するゲームがとうとう登場した。ストーリー性の破壊、サバイバル要素、その他日本のゲームスタイルの破壊に挑戦するゲームを、私はいくつか見つけているそのようなゲームを、今後紹介していこう。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。