坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

『水瓶座の女』成立の背景

f:id:sakamotoakirax:20130921233559j:plain7年前、擬装請負に巻き込まれた。
巻き込まれたというのは、会社が擬装請負をしているのを知ってしまい、しかもそのことを会社側に知られてしまったということである。
会社側に警戒されていることに気付いた私は、立場を守るために画策した。いざくびになった時のために、それまでの経緯を基に小説を書いて出版社に送り、会社側が私をくびにしようとした時に裁判をし、勝った上で小説家になろうとも考えた。
しかし、時間が無かった。小説は、原稿用紙で1000枚はかかる。そこで、100枚程度のダイジェストにまとめた文章を書き、出版社に送った。

出版社から良い返事が来るのと、会社が私をくびにするのは、ほぼ同時だった。
詳細は語らないが、私の行為を曲解され、ひどく名誉を傷つけられた上でのくびとなった。
裁判をしなければ、社会的に抹殺されてしまうほどの名誉毀損だった。道はひとつしかない。
けれども私には、金が無かった。若気の至りで借金を抱えていた。裁判をするには、親に頼らなければならない。
私はアパート暮らしで、親は実家にいる。実家には兄夫婦も居て、週末ごとに実家に帰っていたが、私には決して居心地のいい所ではなかった。
事態が切迫していたので、出版社にはしばらく執筆できる状態にないことを告げ、私は
親にくびになった経緯と、裁判する意思を話した。
「駄目だ」
母親は言った。「裁判はしてはいけないんだ」
こういう親だ。しかしとにかく、説得しなければならない。
親は、私がくびになったことは内緒にしておけと言った。
私はその通りにした。そのため週末に実家に帰るという、それまでの生活スタイルを続けた。それで実家に住む兄夫婦は、私がくびになったことを知らないことになる。
本当に知らないかどうかはわからないが。
私は大学時代弁論部にいたので、議論の進め方は一通り分かっているつもりである。しかし、親の前ではうまくしゃべれない。
「裁判をしちゃいけないなんて間違ってる!おかしいぞお母さん!!」
などと、理屈にもならないことを言っていると、
「分かった。協力する。お母さんの持っている人脈の全てを使って戦う!」
と、母は言った。
(とりあえず協力の約束は取り付けた)
と思ったが、状況は変わらない。
相変わらず兄夫婦には、私がくびになったことは内緒で、週末に家に帰る生活を続けていた。親が約束を実行しないからだ。
しかし、私はそのままにしておいた。約束したと言っても、親はまだその気になっていない。充分その気になって、裁判に協力してくれなければ意味がない。放っておいて、約束を果たさないことに対する負い目を負わせようと、私は考えていた。

その間、私は裁判の準備を進めていた。
当面の生活費のため、失業保険を貰おうと思い、派遣元の会社には会社都合の退社にするように要請した。
しかし派遣元の会社は、私の退社理由を「本人の重大な責任による解雇」とし、失業保険を出させないようにした。
私は申し立て書を書いて、会社側に「本人の重大な責任」の部分を取り消させた。会社には1年程度勤めていたので、これで三ヶ月は失業保険が貰えることになった。
その間、裁判の準備のため、弁護士探しをしていた。
さらに擬装請負の告発をするべき役所を探していた。
2007年当時、擬装請負の告発をする場所が労働局の職業安定課だとは、あまり知られていなかった。法律に疎い私は、最初検察庁に行き、
「ここじゃない」と言われると、労働基準監督署に行ったりしていた。
ようやく職業安定課だとわかって告発にいったら、
「この証拠では調査できない」
と言われ、色々書類を調べて再度職業安定課に行ったところ、ようやく職業安定課が調査に乗り出すことになった。
「調査の結果は教えてもらえますか?」と私が聞くと、
「…これは企業のプライベートの情報になりますので、お教えできません」
と、お役人。
(企業のプライベート?)
引っ掛かったが、私は考えた。
(裁判で俺が擬装請負を知っているから会社が俺をくびにしたと主張すれば、裁判で擬装請負を公に、ひいては世間に公にすることができるんじゃないか?)
同時進行で、私はマスコミにも話していた。マスコミの記者も、私と同じ考えを提案した。
記者が同じ考えを示したことにより、私は少し自信を得た。
しかしその場合、擬装請負の事実を引きずり出して裁判で負ける、つまり私の不名誉は確定する可能性がある。もっともその場合、裁判自体は負けても、解雇理由には傷をつけたと、世間的には見られるかもしれない。
(そうなれば、実質的な勝ちだな)
とは思ったが、私の思惑どおりになるかは、弁護士に聞かないと判断できない。

弁護士探しは、なかなかはかどらなかった。
代理人、つまり弁護を引き受けてくれないだけでなく、相談にも応じてくれないことも多かった。それは私が受けた不名誉の内容による。弁護士も、私の言い分に納得してくれないのである。
ようやく、
労働審判をしてみてはどうですか?」
と言う弁護士が現れた。
この弁護士も、代理人を引き受けてくれるのではない。労働審判を自分で行うのである。
裁判で会社の擬装請負を公にすることだが、結局聞けなかった。弁護士は話の主導権を手放さないので、
「はい、次の予約がありますので」
と、相談を打ち切られてしまうのである。この時期、私は会話の主導権を奪う話し方ができなかった。
労働審判とは、仲裁である。和解を目的にしたものなので、審判が決裂しない限り、世間に公表はできない。
そのことは、労働審判をすると決めてから知った。しかし私は、労働審判をする方針を変えなかった。和解が成立することは望んでいないが、戦い続けるには、弁護士の協力が必要だった。労働審判が決裂して、弁護士が味方になってくれる可能性に、私は賭けていた。

その間、就職活動はほとんどできていない。
とても手が回らない。ならばと、親に仕事を紹介してくれるように頼んだ。
「とても手が回らないからよ。裁判の邪魔にならない仕事を紹介してくれな」
いささか虫の良い頼みである。
「……」
母親は、何も言わない。
三ヶ月がたった。失業保険も直に切れる。
「ちゃんと仕事探してくれてんのか?」
苛立って親に聞いたが、親は何も言わない。
私は毎日、裁判の手続きをしたり、労働関係の役所に行ったりして、擬装請負を公にする方法を模索していた。
ある時、派遣会社が厚生年金と健康保険に、一時的に社員を加入させないようにして、その分をピンはねしていることに気づき、社会保険事務所に告発した。
派遣会社がピンはねしていた分は、国民年金として私が支払っていたので、その分の金は私に戻された。三ヶ月分である。
私は会社案内で、三ヶ月間厚生年金に加入しないことを説明されていた。
会社案内で伝えるということは、私以外、ひょっとしたら派遣社員全てが、三ヶ月間厚生年金に加入していないかもしれないということである。
私は社会保険事務所に聞いたが、やはり教えてもらえなかった。しかし裁判をすれば、このことを自分から言う者が出てくるかもしれない。
(裁判で勝つ材料は、集めるだけ集めた)
私は思ったが、やはり親が動かない。親が動かないことで、私は精神的に疲労していた。

そして労働審判の日になった。相手側には弁護士がついている。
わかっていたことだが、私は動揺した。相手側の弁護士は言った。
「坂本さんの主張を私は全く認めておりませんし、またこちら側の主張を変えることもありません。坂本さんがやると言うなら、最後まで戦います」
随分な強気である。
(ーーこれは、裁判になったらヤバいと相手側が思っているからじゃないのか?)
私は思ったが、すかさず仲裁者が動いた。
「坂本さんどうですか?裁判をするか、または要求を取り下げるか、10分間休憩して考えるというのは?」
どこか、示しあわせた匂いもする。
(そうか、ここでやると言ったら、後は裁判しかないんだ)
休憩になって、私は気付いた。
私は考えた。相手側がとことん強気に出たということは、裁判になったら相手側が後が無くなるということかもしれない。
(その可能性は高いな)
しかし、無職で資力が底を尽き賭けている私が、裁判できるだろうか。
(裁判に持ち込んで、親に無理やり協力させるか)
考えたが、裁判に持ち込んで、親の協力を得られる確信が持てない。
結局、労働審判の申し立てを取り下げることにした。後は、親を再度説得して裁判するだけである。

しかし、親の態度は変わらない。私が裁判すると言うと、
「裁判はしてはいけないんだ」
と、話が元に戻っている。
「裁判なんか、あっちこっちでしてるじゃねえか!!」
私が反論すると、親は何も言わない。
「この程度で論破される意見に、俺の人生は壊されるのか」
むかっ腹がたった。
(俺は、親に殺される)
私は、母親に雑巾を投げつけた。

その後も、親の態度は変わらない。
(このまま、俺の持っている真実を世間に公表できないなら、どうするか)
気休めに、私は考えた。
(工場に乗り込んで、加害者を殺すか)
こんなことでも考えなければ、やりきれなかった。
(加害者を殺して、警察に捕まれば、擬装請負その他の企業犯罪も明るみに出せる)
殺人などを犯せば、企業犯罪も闇に封じられる可能性がある。だから、あくまで気休めである。
何しろ、くびになってから4ヶ月が経っているのだ。失業保険も打ち切られた。
精神的に疲れて、頭も回らなくなってきている。
そんなことを考えているうちにまた週末になり、また実家に戻った。
また、裁判についての話し合いが始まる。
「裁判は、やっちゃいけないんだ」
母親は、同じ話を繰り返す。
「裁判なんか、あっちこっちでやってるじゃねえか」
私が、やや飽きた論破を繰り返す。
「そんな裁判なんかして、負けたらどうするんだ」
「その時は、相手を刺せばいいんだよ」
つい、私は言った。いや、計算してのことだった。親に、私がいかに追い詰められているかを伝えようとしたのだ。
その時、何も語らなかった父親が、始めてしゃべった。
「人を殺すなんてとんでもない奴だ。お前は勘当だ」
言われて、私は家を出て、アパートに戻った。
父の性格はわかっていた。
(はったりにすぎない)

翌日、兄が私を呼んだ。
(やっと出てきたか…)
再び、私は実家に行った。
「裁判は、資金面なんかを考えると難しい」
兄は言った。
私は、うまくしゃべれない。頭が回らないのだ。
(あれ?昨日の親父の言ったことなんか、気にすることないのに…)
「で、お前何だ、相手を殺すのか?」
兄が聞いてきた。
(殺す前に、殺すって言う奴がいるのかよ)
と思ったが、
「いや、殺すって言っても、実際殺せないだろう」
私は答えた。
「その会社が悪い会社何だろ?だったら俺がまともな会社を紹介してやる。紹介できる会社なんかいくらでもある」
「大体執念深くいつまでも恨んでるんじゃない」
(…よく言われるが、いつまで恨むのが許されるんだろう…)
回らない頭で、私は考えた。
裁判をすることを、忘れたわけではなかった。
しかし私は、一度落ち着きたかった。私は仕事の斡旋を、兄に任せることにした。
(俺は4ヶ月戦った。俺の戦いは評価されたんだよな…)
疲れた頭で、私は思った。いや、そう思おうとした。

そして紹介された会社が、『不作為の行為は加害行為である』の食品会社である。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/11/10/014748
しかも、この会社も擬装請負をやっていた。
この会社の出荷部門が別会社になっていて、その会社から食品会社に人が派遣されていたのだ。確証を掴んだわけではないが、会社の性格から、法律を遵守しているとは考えられなかった。
家族は私を、食品会社の正社員にしようとしたが、私はバイトで通した。
休みは一日だけ。朝7時から終わるのは早くて9時、12時過ぎまで仕事をすることもあった。
おかげでできた借金は目減りしたが、裁判も、小説を書くこともできない。

会社に入って半年が経ち、今度はリーマンショックのあおりで、残業が減った。
残業が減って、時間の余裕ができた。そんな時に、出版社から電話がかかってきた。
(そうだ、この事件は小説にできるんだ)
一連の苦境続きで、すっかり忘れていた。
編集者と話し合い、小説を書くことになった。一年が経ち、400字詰め1300枚の第2稿ができた。
しかし今度は、出版社が不況で、本を出せないと言ってきた。
「半年待って下さい」
編集者が言ったが、半年経っても、出版に至らない。
私は毎日のように、各地を旅する夢を見た。
この夢を見るのが嫌だった。今の環境から逃避したい願望の表れだとわかっていたからだ。
肩凝りが酷くなり、首と肩がぱんぱんに膨れあがった。休日は、夕方まで動けなかった。
毎月、ジリジリと借金が増えていくので、食事もぎりぎりに切り詰めた。
集中力が落ち、冬になると事故を起こした。この時期、冬が嫌だった。

食品会社には、3年勤めた。
3年もいたのは、辞められない理由があったからだが、ここには書かない。辞められない理由が、食品会社と揉めた時の取引材料になるからである
「裁判はやっちゃいけないんだ」
よく親が言っていたのは、よく人を陥れていたからだろう。
「私が被害者だ」
と言う者を、加害経験のある者は憎悪する。そして被害者を陥れ続けた挙げ句に、善悪が完全に逆転し、被害者が家族でも陥れるようになる。
食品会社を辞めてから、家族とは絶縁状態である。
小説は、一人称で書いたものを、三人称に直すことにしたが、家族との軋轢を編集者に話したら、どんどん疎遠になっていった。
小説を直す時間を考えて、短編を書いた方が速いのではないかと考えて生まれたのが、『水瓶座の女』である。

水瓶座の女』は、この数年間の怒りを詰め込むようにして書いた。
『リング』を超えた」と広告で書いたが、誇張したつもりはない。ホラーの恐怖が最も大きくなるのは、人が見たくないものを見せることにあるからである。
収録されている短編『惣右衛門の死』は、東日本大震災の直後に書いたもので、東日本大震災の影響を受けている。

アマゾン『水瓶座の女』
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