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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

ストーリー性の80年代、内面を見つめる90年代、明るい2000年代、そして…

80年代までの曲は、ストーリーがしっかりと盛り込まれた曲が多くある。例えばこんな曲。

なるほど名曲である。名曲だと思うが、今聞くとパンチが弱い。なぜそう思うのか考えて見たが、ひとつには歌詞にメロディーが引きずられているからではないか?

もう一曲見てみよう。

歌詞が紡ぐ悲しいストーリーに、最初は強く引き込まれるが、やはり何度も聞けない感じがする。
そう思うのは、決して私だけではないだろう。なぜならストーリー性の高い曲が多い80年代より、ストーリー性の薄い90年代の方が、曲が売れているからである。

韻を踏んでリズムを作れる日本以外の多くの言語では、ストーリーで詩を作り、曲にできるが、日本語はメロディーにしかならず、ストーリーを歌詞に埋め込みにくい、らしい。
私の言語学と音楽についての知識では、邦楽と洋楽の違いを説明できないが、このような曲を聞くと、やっぱりそうかなと思う。

歌詞の大意は、

「大昔、山の上の王国と谷間に暮らす人々がいた。
山の上の王国のどこかに宝物が埋まっていて、谷間の住人達は、それを自分達のものにしようと思った。
谷間の住人達は、王国に宝物をよこせと要求し、王国は拒絶した。
戦争が始まり、谷間の住人達は、山の上の王国の人々を皆殺しにした。
傍らの石を掘り起こすと、そこには『地上に平和を』と書かれてあった。それが宝だった」

というものである。

韻を踏んでリズムを作れる洋楽の性質は確かにうらやましいが、日本語を責めても仕方のないことである。しかし90年代は、この問題を多少なりとも克服した年代である。
その克服の仕方は、歌詞からストーリー性を排して、メロディーを重視する曲創りにあったと思う。しかも単純にストーリー性を排するのではなく、ストーリー性を排する代わりに、テーマ性を高める歌詞創りをするのである。
例えば、こんな曲である。

非常にハイセンスな歌詞で、また難しい歌詞である。
「記憶の中で ずっと二人は 生きていける 君の声が 今も胸に響くよ…」のフレーズが非常に印象的だが、歌詞全体は決して恋愛がメインではなく、自分を見失った者が、過去にアイデンティティーを見出だして立ち直る内容である。けれども決してストーリーでなく、テーマを絞った歌詞になっている。

90年代は、このように自分の内面を見つめる歌詞が増えた結果、歌詞のストーリー性から解放され、メロディー重視の曲が増えたようである。
歌詞がストーリーから解放されると、歌詞の内容を気にする必要もなくなり、こんな曲も出るようになる。

歌詞内容に意味はほとんどないが、とにかくノリがいい。

一方、テーマ性を突き詰めると、暗くなりすぎる欠点がある。例えばこの曲。

いや、いい曲なのだが、何度も聞くとこっちが長いため息が出てしまいそうになる。

90年代には、新曲をリリースする度に曲が重くなっていくアーティストが多かった。人間の内面に焦点を当てる以上、重く、暗くなるのは宿命だった。しかし中には以外な成功例もある。

『月光』は2000年の作品だが、私は十分に90年代の特徴を備えた作品だと思っている。
もしこの曲が嫌いな人がいるとすれば、それはこの曲がもつ、異様な迫力のせいだろう。
全体として、内面の苦しみを歌いながらも、各フレーズはバラバラになりがちである。それを

「I am GOD'S CHILD この腐敗した 世界に堕とされた…」

のフレーズが全体を締め、緊張感のある歌詞に仕上げている。
この上から目線。そう、深く内面を見つめると、精神は周囲への反抗に向かうのである。

もっとも2000年代は、むしろ内面を見つめるのとは逆ベクトルで成功している曲が多い。例を挙げれば、このような曲である。

明るい面に焦点を当てる。これもひとつの成功例である。

それでは今はどうだろうか。
おっさんのぼやきだが、今はそんなにいいと思う歌には中々巡り会えない。
この曲なども、ヒット曲らしいが、私にはそんなに良くない。

こんなことを言うと本当に歳を取ったと思うが、歌詞が薄っぺらく聞こえる。
なぜそう思うのだろう。それに答える前に、2曲聞いて頂こう。

読者の皆さんは、この2曲を聞いてどう思うだろうか?
名曲である、と私は思う。しかしまた同時に、手放しでは誉められないとも思う。
その理由は、読者の方々にもわかるだろう。2曲とも、女性に対して「上から目線」なのである。
青春の影』は、ラストのフレーズを「今日から僕はただの男」が先にくればまだそれほどでもないのだが、「今日から君はただの女」と歌ってしまうため、その後が取って付けているようになっているし、『想い出がいっぱい』は、ロリコンと紙一重である。
しかし、男が女を導くという「大きな物語」が通用した時代が確かにあって、2曲とも、その時代に産まれた曲である。(つまり、昔の方がロリコン率が高い!!)私が名曲だと思うのは、その時代に生きていたからで、手放しで評価できないのは、今に生きているからである。

今の曲は、リリースされる前にPC化されており、「大きな物語」が紡げない。だから恋愛の歌を作っても、歌詞が薄っぺらく感じてしまう。
だからといって、男尊女卑の「大きな物語」を復興しようというのはもちろんナンセンスである。音楽は、今与えられた環境で勝負を続けていくしかない。
しかし今のようにロックが受けず、内面を見つめる曲が流行らない現状で、どれだけ人の心に残る曲が産まれるだろうか…

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。