古今東西、世界は全て母系、または母系と父系の双系制の社会だった。
この双系制の社会を、ユーラシア大陸では父系制の社会へと整理していった。
古代において、愛は決して称賛されなかった。アポロンとダフネの例や、トロイア戦争でのパリスとヘレネのように、愛は悲恋に終わるものとされてきた。母系社会だろうと父系社会だろうと、愛は社会にとって決して有益なものとはみなされなかった。
父系社会において、結婚は家と家の結びつきであり、そこに自由意志に基づく恋愛が成立する余地はなかった。
双系制社会において称賛されたのは性欲そのものである。ギリシャ神話のヴィーナスに代表されるように、性欲=多産の象徴として、農業の豊穣と結びつけられて賞賛された。
愛が社会の中で称賛されることはなかった。その流れを変え、愛を称賛したのは12世紀のトゥルバドゥール(吟遊詩人)である。
愛と言っても、そのほとんどは未婚者の恋愛ではない。不倫である。
不倫の文化については、ヨーロッパでもフランスが特別な地位を占めている。なにしろフランス王のほとんどが「王様の実の子ではない」と陰で囁かれているし、デュマ=ペールの小説でも社交界の紳士は「妻が不倫をしても夫は見ないふりをする」と書かれているほど、不倫の文化は徹底している。
デュマ=ペールの子デュマ=フィスの作品『椿姫』の主人公マルグリット=ゴーティエを娼婦というのは正確とはいえない。
マルグリットは愛を売っていたのである。複数の男の愛人となり、デートをしたり料理を作ったりする。
フランスの不倫の文化がこのようなのは、元々愛がキリスト教の道徳観から外れたものだからである。キリスト教の道徳が社会的なものであるのに対し、愛は個人的なものであるからである。結婚は親が決める社会的な行為である以上、愛は不倫であるしかなかった。愛は反社会的であり、ヴィクトリア朝のイギリスなどの例外を除けば、愛は個人の経験を正しいと認める勇気となり、西洋の個人主義の起源となった。
「個人同士で愛し合う勇気が重要であったのは、それが西洋に個人の重要性を認識させたからであり、他人から伝えられた口先の言葉だけでなく、自分の経験を信じるべきだという信念与えてくれたからです。それは、画一的で強固な思想体系に反して、人間性とは何か、人生とは何か、価値とは何かについての個人的な経験の正当性を重視しています」
と、神話学者のジョゼフ・キャンベルはいう。
トリスタンはマーク王の使いとしてイゾルデを迎えに行くが、二人はイゾルデの母が調合した惚れ薬を誤って飲んでしまい、恋に陥る。吟遊詩人によれば、真実の結婚は相手と一体になったという自覚から出てくる結婚であり、肉体的な結合はその自覚を確かめるための儀式に過ぎない。逆から始まるということはありえない。
吟遊詩人により広められた愛の文化は宮廷風恋愛を生み、その恋愛は女性が男に試練を与えるという形で進められた。それも橋を守るとか、戦場に赴くなどという試練である。
このような試練を女性が男に与えたのも、男が力や勇気があるかだけでなく、優しさがあるかを試すためでもあった。
優しさとは、共に苦しむこと、愛のために苦しむ覚悟があるかということである。そしてこの思いやりの心が、聖杯の物語へと発展していくのである。
聖杯伝説の主人公パーシヴァルは、父親にある若く美しい女性と結婚するように勧められる。しかしパーシヴァルは「ぼくは妻を与えられるのではなく、自分で勝ち得なければなりません」と答える。
パーシヴァルが聖杯王に会うと、王は負傷していた。「どこかお悪いのですか」とパーシヴァルは尋ねようとしたが、控えた。騎士は無用な質問をしないものだと教えられていたからである。そしてパーシヴァルは、冒険に失敗する。
それから5年間、パーシヴァルは様々な試練や困難を経て、もう一度聖杯王に会い、「どこかお悪いのですか」と尋ねる。その言葉が王の傷を癒す。
キャンベルは、パーシヴァルが自ら配偶者を勝ち得る宣言をしたことを、ヨーロッパの始まりだという。
女性への愛が愛する人への思いやりを育て、さらに他者への思いやり、苦しみを共にする心を涵養し、そして社会を癒したのである。
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