坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

福岡、中州の思い出

福岡は、私にとって全く違う世界だった。
転勤で半年ほど住んだだけだが、福岡の印象はその後も強烈に私の中に残った。いつかまた福岡に行きたい、住みたいと長い間思っていた。そういう住みよい場所だと思う場所ほど長くは住めないもんだ。
福岡の強烈な思い出は一蘭のラーメン、居酒屋で出たチャンジャ、そして中洲である。私は中洲のキャバクラにはまっていたのである。
20代の後半、就職1年目で、営業で全く数字が出せず、私を奮起させるために上司Hがキャバクラに連れていった。
ブランデーをしたたかにくらい、数字が出てないから当然上司Hの奢りである。また連れて行ってもらえるかなかと思ったら今回だけと言われてがっかりした。そう思う私も相当甘いのだが、数字が出なくて自分に自信が持てないと、今すぐこの状況を打開してくれるような強烈な何かを求めてしまうのである。
奢りじゃないから次からは自分の金でキャバクラに行った。
そのキャバクラで出会ったのがくみだった。最初にキャバクラに行った日についた子を指名しようとして、間違えてその日についた別の子の名前を言ってしまってついたのがくみで、こんなことはくみにも最後まで言えなかったが、これがはまったはまったwww。
「晶ちゃんの浮気者」などといった言葉でのやり取りに、すっかりやられてしまった。
週に1、2回は中州の店に通うようになり、その頃貯金はどのくらいあっただろう、最高で40万はあっただろうかと思うが、その貯金も底を尽き、カードローンに手を出してしまった。
それでも、数字が出ない。とうとう私がクビになるという話がきた。
私は福岡に居たかった。ゴールデンウイーク中のある日、精神的に追い詰められた私はとうとう新規を出した。額は10万、最低の金額だった。
しかしその5月は数字が出た月であり、合計で500万の新規が出た。歩合は5万はもらっただろうか。
その5月は非常に長く記憶に残る月だった。新規が出たのに残業が続くのが嫌で、いや残業でキャバクラに行けないのが嫌で、仕事の途中で帰ってくみの店に行ったこともある。もっとも翌日は日曜だが出社した。当時私は残業はそれほど苦にならず、キャバクラに行けないのが嫌だった。

そんな風にして5月が過ぎ、私はくみの店に通い続けた。
仕事で疲れて、酒を飲みながら眠ってしまうこともあった。毎日一番最後に会社を出るので、会社の鍵は私が持たされていた。しかし寝坊して、店が開くギリギリに会社に着いて店を開くことが度々あった。
冷静に考えれば、毎月新規が出ないのはわかっていた。数字を出しても、私がキャバクラで飛ばす金にはとても足りない。こんな生活が続かないことはわかっていた。
それでも私は、くみに会いに行きたかった。そして終わりは突然来た。
六月の終わりに、私は大阪へ転勤することになった。
私はショックだったが、まあこれも借金王一直線の私に対する、福岡の上司達の親心だろう。
「最後は、俺のために泣いてほしい」と私はくみに言った。この時には、借金は50万を越えていた。
最後に店に行った時、本当にくみは泣いた。
私は嬉しかった。もっとも同僚に言わせれば嘘泣きということだがwww。
こうして私は福岡を去り、大阪に行った。

盆休みに福岡に行ってくみに会い、大阪に戻ってしばらくすると、くみにメールが送れなくなった。
電話は通じる。そしてやがて、上司Hとくみが恋愛関係になったということを知った。
知らせたのは福岡で課長をやっていた人である。その課長はわざわざサイトを作って、それを毎日私に送ってきた。私をからかうためである。
私は、毎日それを見ていた。
私は相当怖い顔をしていたようで、人が寄り付かなくなった。声も小さい声を出していたが非常な低音で、よく声が通っていることが自分でもわかった。私が話しかけると、相手も恐る恐る返事を返したものだ。
「上司Hも結婚してるのに、不倫なんて」と、福岡で私の班長だった人が言ったが、慰められても私は納得しなかった。恋愛に善悪がないことは、当時言語化できなくても私にはわかっていた。
(俺が身を引いた方がいいのか?)
などということを、初めて考えた。私とくみは付き合っていないのだから身を引くも何もないのだが、自分の利害関係を脇に置いて、相手を思いやる気持ちが湧いたのは初めてのことだった。
「あいつ」と、ある時くみと電話をして、上司Hのことをそう呼んだ。
「あいつ?」くみは食いついてきた。
「いいだろ?このくらい」私が言うと、
「殺しに行こうか?」くみは言った。
「おー殺しに来いよ。そうすりゃまた会える」
「また、会える…」くみは呟いて、
「どんな殺し方がいい?」と言った。
「長く苦しむ殺し方がいいです♥」
今思えば、この頃の私も大分破滅思考だったwww。
その翌日に、くみは電話に出なくなった。

それからしばらくして、大阪での私の班長と話している時に、福岡の課長のサイトを見せた。バカな話で、誰かに訴えるという発想が私にはなかった。
すぐにその課長がクビになり、上司Hも会社を辞めたと聞いた。
それからもしばらく、大阪で営業の仕事は続いた。上司に怒鳴られ、終電まで残業し、暗い闇の淵にずっと覗き見ている気分だった。
くみほどに入れ込む子はいなかったが、それでも私は、中州の幻影を求めて、しばしば夜の梅田の街を彷徨い歩いた。

 

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