参政党の党員か支持者かはわからないが、確か熊本武将まつりとかで参政党ののぼりを持って参加したとのこと。
イベントの趣旨に別の趣旨を持ち込むというのは、実際にそういうことが起きてみないと考える機会のないことである。そして実際に起こってみて、「ああそういうこともあるのか」と私は思った。それにしても大多数を前にそういうことをするのはすごい度胸である。
参政党の党員か支持者が、不治の病にかかってその分野の医者ではなく、懇意の歯科医に治療を依頼して、その歯科医の指示を聞いて死んだとのこと。
人間直感が役に立つことが多いが、長い人生を送っているうちに、直感だと思っていたものが単にそれまでの経験則に過ぎなかったということがある。しかもその経験則はその人の人生のある時期までの経験則であって、環境が変化してそれまでの経験則が役に立たない時がある。この歯科医の言うことを聞いて死んだという人がまさにそうで、その人が人生の終わりに信じられる医者の助言が、懇意の歯科医だけだったというのは、その人のそれまでの人生から引き出された結末であって、憐れさを催すものである。
参政党は、護憲構造が崩壊してからの、最初の自己承認運動である。
その運動の長くで多くの間違いを生み出しながらも、自立した個人を作り出していく。
その政治活動も、大阪府知事選に候補者を立てたり、日本発のSNSを作ろうと言ったり、ただのネズミじゃないと感じさせる。
粉もの文化の大阪に「小麦は有害」という参政党が候補者を立てるというのは面白いし、そうでなくとも強力な候補者に刺客を送り込んで政党をアピールするというのはよくある手である。
日本発のSNSもまた面白い。それがイントラネットになるなら反対だが、TwitterやFacebookに対抗するSNSになる可能性があるなら多いにやるべきだ。スパイによる情報の漏洩を防ぐというのもいい。
確かに候補者に公認を与えないという例は多い。
小さなことだが、候補者に対しどっちつかずの態度をとって党を守るよりも、候補者の発言に党が責任を持つという点で好感が持てる。
政治家が「〇〇だが、△△だ」と表現するとき、言いたいことは△△の方で、○○はリスクヘッジに過ぎない。「テロは許されないが、社会(政治)に原因が…」という表現の本丸は後段で、全体の意味するところはテロ擁護。すでにネットで散見されるこうした言説はすべてスルーすべき。
— 細野豪志 (@hosono_54) 2023年4月15日
細野さん、「○○だが△△だ」は人を冷静にさせるのに有効な話法ですよ。それとも俺は政治家じゃないからOKなの?
NHK党改め政治家女子48党は、参政党と対立している。
わかるところもあるのだが、参政党の価値を認めていないようであるのはよくない。いや確認できてはいないのだが、政治家女子48党が参政党の価値を認めている発言というのを私は知らない。
だって諸派党構想でしょ?いろんな意見があって諸派党構想は成立するんでしょ?
政治家女子48党は自民党を支持するという。NHKという利権を崩すために自民とくっつくのはありだが、それで参政党という新興勢力を認めることなく叩くというのはいかがなものだろうか?
自民という上にべったりで、そのくせ多様性を認めたような諸派党構想をやっても、表面だけ多様な似非個性派が集まるだけということになりかねない。それは多様性を偽装した単一性となって、諸派党構想を萎ませることになる。長期的にはマイナスだろう。
参政党と対立してもいいのである。しかし参政党こそが自立した個人を作る、日本に数少ない源泉であることを認めることである。
上にべったりの似非個性派にできることなんて限られてる。
例えば、私などはこう思うのである。
ホリエモンが色々勉強していて、テスタステロンを注入しろとか人間は不老不死になれる可能性があるとか色々言っているが、別に大いに勉強すればいいと思う。しかし私にはほとんど縁のないことである。
そんな話を何度聞かされても私にそんなものに触れる機会などない。死ぬまでない。だったらそんな情報もいらない。私にとってホリエモンの情報はほとんどくだらない。
個性を発揮するには、自分が違うと言ったら違うという土性骨が必要なのである。何が何でも交われないものは交われない。というものがなく、右に倣えをした上での個性などたかが知れている。
参政党よ、間違いがあってもいい。思いきりやるがいい。思いきりやった後に、自分達が何者で、自分達が何によって守られるか知るだろう。
古代史、神話中心のブログhttp://sakamotoakiraf.hateblo.jp/もよろしくお願いします。