坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「鎖国」をする

国民民主党玉木雄一郎氏が外国人の土地取規制に関する法案を提出するという。

つい最近までは、外国人の参政権に関する議論が盛んだった。

私も外国人が参政権を持つことについては疑問を持っているし、外国人の土地取得規制についても賛成だ。

しかしそれに加えて、ポーランドハンガリーウクライナからの穀物輸入禁止に踏み切ったニュースを見た。今日のニュースではポーランドは禁輸を解除したらしいが、こういう時代になったんだとつくづく思う。

 

まだ去年のことだったと思うが、BOOK OFに行って驚いたことがある。

マンガが全然なかったのである。新書もある。フィギュアもある。小説もある。しかしマンガがない。

正確には、少年誌のマンガはある。全巻まとめ買いのマンガもある。一度絶版になって、復刻されたマンガも置いてある。しかし青年誌のマンガはなかったのである。

百田尚樹氏も、「小説が売れなくなった」と嘆いていた。

 

人間には、それまで受け入れていた者が入らなくなる時があるのである。

私は昭和の生まれで、昭和の文化を吸収して育ってきた。

高校の頃に、横山光輝の『三国志』60巻を読んだ。若いうちは何度も読んだが、そのうち『三国志』も読めなくなった。

北方謙三が言っていたが、『三国志』は皇国史観なのである。劉備が善玉で曹操が悪玉という『三国志』に今さらハマれないだろう。

三国志』どころか、昭和のはじめまでは『太平記』がそこら辺で講釈されていたという時代があった。『忠臣蔵』が毎年放送されるという時代も、私の人生のかなり長い期間経験してきた。

しかしそんなものに今さらハマれない。

それが洗練されるということなのだが、心が洗練されているのに、その先にあるものをつかめない時というのが人間にはある。

私も辛い時、自分が何者なのか見えない時、好きな歴史小説を読んでも楽しめなかった時があった。そんな時、歴史小説は私に何も語りかけてはくれなかった。

心が洗練されているのにその先のものがつかめない。そんな時が成長のチャンスなのである。

そういう時は、自分の周りにあるものが自分を助けてくれないのを自覚する。心は焦るが、自分以外の何かに求めても大抵空回りする。

そんな時に「ココロのスキマお埋めしますドーン!」と高い壺を買わされたり、承認とかポジティブ思考とかに引っかかったりする。

ポジティブになればネガティブなものが消える訳ではない。

孤立して、周囲が敵だらけだったりした時にポジティブ思考なんか信じたらさあ大変、徹底的に周囲から叩かれるのがオチ。

人間の可能性を信じるのはいいのである。

しかしポジティブ思考が人を救わないのは、ポジティブ思考で人が騙しにくるのを防げないからである。自己啓発は、大抵そこまで教えてくれない。

私の学生時代の頃、よく朝日新聞の勧誘が来た。

就活を間近にしていたので、「日経が欲しいんですけど」というと、「うち日経も扱ってますよ」と勧誘員が言う。

「じゃあ日経で」と言って契約すると、朝日が届く。

その度に契約を解除して、また朝日の勧誘が来る。そんなことが何回も繰り返された。

今思えばよく何回も引っかかったなと思うが、我々は基本、どういう人を疑えばいいか教えられずに育っている。

「勧誘に引っかかるな」とは教えられた。しかしそうではなく、職業によらずどういう人を疑えばいいかを教えられないと、疑う能力は育たない。人を全面的に信じ、社会を全面的に信じて、勧誘員だけ疑えというのは無理な話である。

 

大愚和尚の言う「鎖国」の意味がやっとわかった気がする。

不遇な時、私は心を開いても人と心が通じなかった。通じたと思ったものが通じていなかった。やがて本当に心を閉ざして、ブログを書いた。

何を信じるべきかは自分で決める。その判断基準を自分の中に作るには、自分を見つめること。そのために孤立するのはいい機会である。

 

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