坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

頑張って修行してもかめはめ波は出ない

https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2023/01/14/004114?_ga=2.115702022.1032778722.1669267127-131981009.1625566099
で、うっかり「気功波などのリアリティのある攻撃」と書いてしまったが、はたして気功波はリアリティのある攻撃だろうか?
お答えします。昔の私を含め、修行すればかめはめ波が撃てるようになると思っている日本人は結構いますwww。
それがヒットコンテンツの怖さである。『らせん』を読んだ時も、自分がリングウイルスに感染したような錯覚をした。実際そういう錯覚を覚えて角川の編集部に電話した者が多数いたという。
私がリスペクトする小池田マヤの短編に、料理に想いを込めると食べた人がその気を受け取ってしまって食べられなくなるという話があってあーあるある…ってあるか!と思い直したこともある。それが優れた作品の持つ魔力である。
こういうリアリティのあるファンタジーは、我々の脳内の非論理的な部分に入り込んでくる。しかしそれはまた、我々がファンタジーを求めているからである。
我々がファンタジーを現実だと錯覚する場合、我々の中に願望がある。無制限に成長すればどんな困難も乗り越えられると思う。だから無制限に成長するマンガを好み、気功波なども鍛えれば出せると錯覚したりする。仕事でも同じことを繰り返せば手の動きかのどんどん早くなって千手観音の手のように動くようになると思ったりする。しかし所詮人間、どんなに手の動きが早くなっても無限に速くなる訳ではない。どんな状況にも対応できる優れた作業員とは、自分の限界を知り抜いている者である。
願望、それはその人のコンプレックスの裏返しでもある。自分のコンプレックスを直視しないと願望がファンタジーを取り込み、思考パターンを形成する。その思考パターンの歪みが人生を変化させていく。大抵は悪い方にである。たとえはたから見て順風満帆であっても、その人には常に不安がつきまとうことになる。

こういう幻想にすがるのを、仏教では「莫妄想」という。「妄想するなかれ」という意味である。

また「無記」とも言う。ブッダはあの世のことなど、考えてもわからないことについて語らなかった。あの世のことを考えるのは妄想なのである。孔子も「怪力乱神を語らず」と言った。ブッダ原始仏教も、孔子の教えも現実のためにある教えなのである。
妄想を取り除くためには、徹底的に現実を知るのが一番である。
現実を知るのに一番いい方法は、集団から離れることである。集団の中にいるのが一番妄想を生みやすい。
最近では統一教会の例などである。安倍元首相を暗殺した山上徹也容疑者の家庭が統一教会への献金により崩壊したのを見て世論が沸騰したが、最初からこの統一教会騒ぎを私は胡散臭く見ていた。騒いだ人々は本当に統一教会を問題視していたのか?
統一教会の問題点は既に多く改善されていた。統一教会の問題は、法律さえ知っていれば誰も被害に遭わない程度の問題に過ぎなかった。統一教会を問題視することで多少の改善があったとしても、宗教と政治の関係について十分に考える訳でもなく、多いに空振った感があった。
集団の中にいるのが一番現実感覚を失いやすいのである。
幕末の長州も攘夷だ倒幕だと大いに騒いで一度は天下に孤立したが、そうして現実感覚を身につけ明治維新に導いた。明治後では伊藤博文が「恐露病」と呼ばれるほど、維新の元勲はロシアを恐れていたが、日露戦争では国力のぎりぎりまでを使ってロシアに勝った。維新の元勲がいなくなってから、太平洋戦争という無謀な戦いに日本が突入していったのは有名な話である。
自分の中の不安を取り除き、妄想から離れ現実を生きたいと思う人は、集団から離れる生き方をすればいい。その時何かしら失うものがあるが、その失ったものが、自分に何が足りなかったのか教えてくれるだろう。

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