坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「ぼっち」市民権

かつてオタクという言葉が出た時は、世間は相当な偏見をもってオタクを見た。
オタクという言葉の登場が相当悪いタイミングで出てきたせいもあるんだけど、それでも「僕オタクでーす」という者が次々と現れて、オタクは次第に市民権を得ていった。市民権を得たどころか、かつてはサブカルと呼ばれて通常の文化とは一線を画していたマンガなどが文化の主流となって、今では1億総オタク化である。
また「ぼっち」という言葉がある。
よく「ぼっちだから」と言っているのをSNSで目にする。
「ぼっち」と言いながら、SNSで普通に会話している。
「ぼっち」というのは、あくまで学校や会社などの特別な場所での「ぼっち」なんだろう。

昔は私も、職場では人と話をしなければならないと思っていた。
話すといっても、初対面と変わらない人と話せることには限りがある。前はどこの職場に勤めていたかとか、前の職場では何年勤めたとかである。
そういうことは、話しにくいことが多い。話すと何らかの処世訓で締め括られて話が終わってしまうことも多い。「別に注意されるために話した訳じゃないのに」と思ってしまう。
ところがリーマンショックの後から、職場で人と話すという習慣がほとんどなくなってしまった。休憩所では全員沈黙。全員「ぼっち」(笑)。
私は休憩時間はほとんど誰とも話すことなく過ごしていた。話さないのがこれほど気楽だとは思わなかった。

私は大学時代、弁論部という特殊な環境にいたからわかるが、趣味、嗜好が合う仲間は教室や200人や300人の学校ではほとんど見つからない。1000人単位、10000人単位の環境でないと見つからない。
もっともそれも、ネットの普及により格段に見つかりやすくなっている。
人間のアイデンティティを持てる環境は、ネットにより学校や会社の重要度が明らかに低下しており、副業やYouTuberの登場により、収入面でも会社の重要性は確実に低下している。
社畜」という言葉も目にする。「社畜」というのは潜在的な意味での「ぼっち」の対義語である。彼ら「社畜」達は、会社で働くことに意義を見いだしているから「社畜」と名乗っている場合もあるし、「社畜」であることに疑問を持ちながらも、自らを「社畜」と名乗っていることもあるかもしれないと思っている。「社畜」と名乗る者達の職場の満足度は様々だと思うが、「社畜」が「ぼっち」と潜在的な対立を持っているのは確かだと思う。そして「社畜」は「ぼっち」と対立しているが、その対立の過程で「社畜」から「ぼっち」に移行する者は多いと思うし、現状を緩やかな個人主義への移行の過渡期と捉えれば、「ぼっち」から「社畜」に移行する者は少ないと思われる。
「ぼっち」という言葉は、次第に市民権を得つつある。そして「ぼっち」という言葉は、会社に対し潜在的に「NO」を突きつけている。

 

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