坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生⑲~『アイアムアヒーロー』3:「クルス」と「巣」の意味

アイアムアヒーロー』では「クルス」と呼ばれる人々が登場する。
「クルス」は元々固有名詞だったが、「クルス」と同種のキャラが多数登場することで、特定の人々を指す言葉になった。
「クルス」は大抵ブリーフ一枚の姿で、超人的な身体能力を持つ。
「クルス」は多くが自宅警備員であり、精神的に引きこもりがちな鈴木英雄と共通点を持つ。ならば鈴木は「クルス」なのか?という疑問が生じてくる。
ブリーフ姿でない鈴木は「クルス」でないと言えるが、それにしても鈴木が「クルス」と紙一重の存在なのは否めない。
この「クルス」が何者なのかが、この作品を理解する鍵である。

「クルス」を理解するために、まず「女王蜂」の早狩比呂美の理解が必要である。
感染後、比呂美には全ての人間、ZQNがぬいぐるみに見えている。
ZQNと格闘した時、相手の顎を引きちぎればそれがスポンジに見え、比呂美の意識の中で皿洗いを始め、実際にはZQNの頭に引きちぎった顎を擦りつけている。

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ZQNの腕を引きちぎれば、「手術しなきゃ」と言って、ZQNの肋骨を引き裂く。比呂美は自分の加害行為を正しく理解しておらず、無自覚である。
御殿場アウトレットモールで頭に釘を撃たれてから、比呂美の意識は外界と遮断される。
目が覚めた時には、比呂美は背が伸びて鈴木と同じくらいになっていた。そして人間の常識を超えた怪力を出したり、ZQNと交信したりするようになる。
背が伸びたり、パワーアップしたりするのは成長の暗示だが、比呂美の場合は違う。精神的に成長しないまま、大人の体になったので。

16巻に、イタリアのルッカでの話がある。
ZQNパニックの中で、1人の少女が親とはぐれて泣いている。
少女は非感染者のようだが、手で引っ張っているのはぬいぐるみのようで、早狩比呂美が感染後に夢の中で見たぬいぐるみと同じである。
少女は男に声をかけられて、搭のてっぺんに避難する。そこからはZQNが集合した「巣」が見える。
「巣」について、避難者の一人が仮説を提示する。ZQN騒ぎは宇宙人の侵略によるもので、インフラに被害を与えずに地球の支配者を移行するためのものだと。そして「巣」から新しい文明が生まれると。
しかしその宇宙人は数が少なくて、文明を維持できない。そこで地球人を使ってハイブリットな宇宙人を作ろうとしている。その新しい宇宙人を生み出すのが「女王蜂」だと。そして自分達は、「女王蜂」の世話係として存在していると。
非感染者と思われていた人々は、実は全員ZQNだった。僅かに脳に残った意識が、自分を人間だと思わせていただけだった。そしてZQN達は、日本語とイタリア語などの言語の違いがあっても意志疎通ができている。男の考えでは、「女王蜂」の世話係だけが、わずかに人間性を残せるのだという。
ZQN達が少女を連れていこうとしたところで、それまで「パニーニ」としか言わなかった男がナイフで突っかかっていき、日本人観光客の首を切り落とす。コートの下はブリーフ一枚。「クルス」である。

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他のZQNはそれぞれの言語で意志疎通ができるのに、「クルス」だけは言葉が全ての言語に変換されている。
「変種か?」と、仮説を話した男が言う。「なぜこんな奴がいるのかわからない、我々を創った者は、なぜ欠陥品も創ったのか」とも。
男は仮説を話した男の肉を噛みちぎって食い、ZQN達から少女を救出する。
ZQNの肉を喰ったり、異常さがありながらも、ヒーローの登場を思わせる場面である。しかし、少女に「どこに行くの?」と聞かれると、「ママのところだよ」と「クルス」は答える。結局他のZQNとすることは変わらない。
仮説を提示した男の話は、読者をミスリードしているように見えて、ZQNパニックが何を意味するかを考える材料を提示している。

スペイン・バルセロナでは、頭と足だけになったZQNが街を徘徊している。
ルッカ同様、人間の姿はもう見られない。
バルセロナの建築物を模したZQNが街を清掃しており、街は非常に清潔な状態を保っている。CO2を排出することもない。世界にとって、人間とZQNのどちらが有益かわからなくなるような話である。
ZQNは歩きながら考えている。ZQNには三種類のタイプがいる。一つは感染を拡大する人間型ZQN、もう一つは街を清掃するZQNに代表される建設型ZQN、そして人間もZQNも構わず攻撃する攻撃型ZQN。頭と足だけのZQNは、攻撃型ZQNを「存在理由の意味不明な」、「敵対しているように行動」を取り、「対立する別の種族」ではないかと考えている。
建設途中のサグラダ・ファミリアを完成させるように、「巣」が覆い被さっている。
頭と足だけのZQNがそこにいくと、巨大な子宮のようなものがあり、子宮の中に生命のようなものが見えている。
それを見て、「新しい生命を創り出しているのか?」とZQNは言うがその途端に生命らしきものは溶けて消滅してしまう。
「生と死を繰り返しているのか?」と考えるZQNに、「生と死に意味はない」と答える者がいる。上半身はスーツで、下半身はブリーフ一枚の「クルス」で、顔はサルバドール・ダリに激似である。

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「あなたは人間か?」と尋ねるZQNに、「その質問も意味ないな」と答える。
ZQNは「クルス」に、ZQNパニックを地球外生命体の侵略と考えるか」と尋ねると、「地球の内も外もわけること自体ナンセンス」と否定する。「自分の中で生と死を繰り返し出口が見えない」とZQNが言うと、「生と死の輪廻からの離脱」と「クルス」。「それは不死ということか?」と言うZQNに、「生命の輪の中にいる限り理解するのは難しいだろう」と言う。

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「ZQN…『ゾンビ、あるいはそうではない』だろ」
と「クルス」は言う。
このダリ似の「クルス」は、怪物=人間から「怪物でない人間」になった者である。
「クルス」の言葉の意味は、「ラザロの復活」と同じである。「ラザロの復活」は、肉体に対する精神の不滅を示すものである。だから肉体の保持のために精神を殺してはならない。精神を殺した者は、生きながら死んでいるのと同じであり、その姿がZQNという形で示される。だから「生と死に意味はない」と言い、「生命の輪の中にいる限り理解するのは難しい」と言うのである。それが生のあるべき姿である。あるべき生が時に命を捨てさせるのは、全ての普遍的な思想は奴隷根性を否定するからである。
そして「怪物でない人間」になる道は、自分と他者を区別しないことである。
しかし『アイアムアヒーロー』で、人間はZQNになりたくないから戦ってきたはずである。それなのに自分がZQNと同じだと思うことが、「怪物でない人間」になる道なのである。
その理由は、戦っているという点ではZQNも人間も同じであり、客観的な相違を見つけるのは不可能である。だからZQNになりたくないと思って戦うほど、自分とZQNが同じだと認めざるを得なくなる。むしろ違いを強調するほど、人間はZQNに近づいていく。
頭と足だけのZQNは、この後木になり、バルセロナの街を見守ることになる。
ZQNが頭と足だけなのは、戦いを放棄したからである。そして攻撃型ZQNを「存在理由の意味不明」、「敵対しているように」、「対立する別の種族」として差別している。これは非暴力主義とも違う。非暴力主義は暴力を否定しても戦っているのである。戦いを単に否定したZQNが木になったのは、ZQNが人間になれなかったからである。

「クルス」は、「クイーン・ビー」と対をなす学校の王「ジョック」になりかわったものである。
これが『アイアムアヒーロー』のユニークな点で、自宅警備員に象徴される「クルス」の本質は「絶望した者」である。それは「クルス」の「絶望が希望に変わるという言葉に現れている。
だからこの作品のテーマには反逆、革命があるのだが、そう単純でないのは、単なる価値逆転では本質が変えられないことも示されているからである。

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で述べたように、「巣」は「個にして全、全にして個」という『ナウシカ』の王蟲の発展型である。全てが一体になったように装いながら、その中には差別があり、差別の隠蔽のために一体感を演出している。

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「すぐに『個』が解体されて『全』にとけこむ人もいるし『個』のまま孤立して『全』の底に沈んでいく人もいる」
という「巣」の「名も無き集積脳」の説明も苦しい言い訳で、集合しない「個」を排除している現実を隠そうとしている。

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この「巣」の正体は「和の精神」である。
表向きは「全てが一体」で、本質がスクールカーストである「巣」は、表面を綺麗にしても何も産まない。だから子宮の中の生命は消えたのである。
「和の精神」では、本来意志疎通が不可能な状況で人々が同調していく。だから言葉の違う者同士で意志疎通ができる。
しかし「クルス」はそれができない。だから言葉を全ての言語に変換して語る。そして「クルス」は「巣」支配しても、「巣」と集合できない。「クルス」は「クルス」としか集合できない。

鈴木英雄が早狩比呂美を救出できなかったのは、最後に「クルス」に味方したからである。
「クルス」に味方したことで、鈴木が「クルス」に近い存在なのは間違いない。しかし鈴木が「クルス」にならなかったのは、心を閉ざしているからである。鈴木はヒーローになれなかったが、ヒーローになれる要素はそこにあった。

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