坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

ドラゴンボールを考える⑤~『宇宙サバイバル編』の予想と『復活のF』

さて、『ドラゴンボール超』(以下DB超』)の今クールED『遥』の動画をご覧頂こう。 少し前まで、「悟空が見えない敵と戦っている」という動画がyoutubeにアップロードされていたが、今はない。 

あの動画がなければ、これから述べることは考えなかった。 このEDは、『宇宙サバイバル編』のラストを表すものである。しかし敵は見えないのではない。 

序盤、画面が暗いが、削除防止のため動画が加工されているためで、実際はもっと明るい。

 各宇宙の戦士達が出てくるが、第11宇宙の三人の戦士の背後に炎がある。これは、この三人が武舞台に残っているからである。

他の宇宙の戦士達は、全員脱落して全王に宇宙ごと消滅させられたのである。

 悟空は草原の真ん中にいて、悟飯が悟空のそばにくる。

 第7宇宙の他の戦士は、やはり草原にいるので、悟空に近い場所にいるとわかる。しかし彼らは見ているだけである。 

その理由は、彼らは脱落してベンチ席にいるからである。武舞台に残っているのは、悟空と悟飯しかいないのである。

 注目すべきは、ベジータが脱落していることである。『DB超』は悟空が主役、ベジータが準主役の構成だが、ベジータが脱落して悟飯が残れば、悟飯が準主役である。 

そして『DB』は悟空が勝てない敵に勝ったり、悟空ができないことを誰かがやったりすると(ブルマが悟空が作れない機械を作ったりするなどは除いて)主役交代である。

悟空が脱落して、悟飯が最後に武舞台に残るようなことがあれば、実力が悟空が上でも悟飯が主役である。


 第9宇宙が全王に消滅させられてドン引きさせられた反発で、生き残った戦士達が反乱を起こすという予想が出ているが、そのようなことは起こらない。

 鳥山が界王神のようなやさしい神でなく、ビルスや全王のような「荒ぶる神」を登場させた以上、『DB超』は神話である。

 神話では、神は人間に試練を与え、人間は神の試練を受けて、それまでと違う人格へと変貌する。

 神は人間に試練を与えるが、試練=神ではない。神への反逆は試練の否定であり、神話の否定で、そのような展開を『DB超』がするはずがない。 

なお、スーパードラゴンボールで消滅させられた宇宙が復活する可能性はあると思っているが、それは単純なハッピーエンドではない。悟空か地球、あるいは両方に災厄が降りかかる展開になるだろう。

 第11宇宙のディスポがビルスに似ているのは、ディスポを倒す者が「ビルスを倒しうる者」だからである。

 悟空の相手がジレンで、ラスボスの風格を漂わせているが、ディスポは裏のラスボスで、その相手は悟飯である。

 この間の放送で、ディスポのポテンシャルが悟空以上なのがはっきりして、経験知で悟空とヒットが勝ったので優勢だったが、これは悟飯が主役になるための布石である。

 そして、これは悟飯vsビルスの対戦が無いことを意味している。

その理由も先に述べた『DB超』が神話だからで、悟空vsビルスは可能性があるが、悟空はビルスに勝てないだろう。

 以上の伏線が見えてきたことから考えると、『宇宙サバイバル編』は恐らく最後の長期シリーズで、その後は最終回に向けた展開になるだろう。


 さて、『復活のF』である。 『ナメック星編』では余裕があり過ぎて掘り下げきれなかったフリーザの悪の本質を、『復活のF』は見事に描き出している。

 「地球の地獄」は花が咲き誇り、妖精やぬいぐるみがパレードや歌を披露する世界である。

 フリーザミノムシ状態で、その光景を見せつけられ続ける。 この世界がフリーザには限りない苦痛なのだという。 

フリーザにとって、人が自由に楽しんでいること自体が苦痛なのである。

何かクラスの中に見えない階級とかがあって、「どのくらい大きな声で笑っていい」とか、「教室の中でどのくらい自由に楽しそうにふるまっていい」かが決められてるみたいな…

 

と『3月のライオン』でも言っているが、悪人にとって、人が自由であること自体許せないことなのである。

 思うに、尼崎連続殺人事件でも、人が殺される順番はこのような感情で決まっていたのではないだろうか。

 つまり殺された人間を、殺した人間が笑う。

 より多く笑った人間が生き残り、笑わなかった人間が次のターゲットになる。 

同じ笑った人間でも、笑いの少ない者が次のターゲットになる。

殺された人間を笑わないのが、殺した人間への批判になるからであり、人が自分を批判する自由を持つことを、悪人は許さないからである。


 『復活のF』は、劇場版とTVアニメに、大きな違いはない。ただTVアニメは尺を長く取ることで、フリーザの悪がさらに掘り下げられているようである。 

『復活のF』で、超サイヤ人ブルー(以下SSJB)が初登場する。 「でも所詮超サイヤ人じゃないですか」 というフリーザに対し、

f:id:sakamotoakirax:20170822171157j:plain

f:id:sakamotoakirax:20170822171431j:plain

っていうけどへっ!どゆこと!? 

あにこ便のツイートにはなかなかいいツッコミがある。

@t_setsuna スーパーサイヤ人ゲシュタルト崩壊してる

 

ザブトン三枚。 他にもいいツッコミがある。『神と神編』での、ビーデルの妊娠報告の時のツイート。

 @tokyo_teleport ビルス様もう地球破壊しちゃっていいよ(・_・) 

 

ザブトン全部取っちゃってww

 ってザブトンがどうとか今の若い人達にわかんのかなー。


 で、話を戻すとSSJBとは何か


?う~ん…。


 ウン、つまり青>赤>黄なのね!?


 納得!! 


悟空がSSJBになり、フリーザゴールデンフリーザになって戦うが、力はフリーザの方が上である。 

『DB』では、悟空が終始優勢に戦うのが勝利の定番だったが、『復活のF』以降、悟空が劣勢を挽回して勝つ展開がしばしば見られるようになる。

 ゴールデンフリーザはパワーの消費が激しいため逆転するが、その前にフラグが立っている。ビルスが「ベジータと二人で戦えば勝てる」と言っているのである。

 優勢になったところで、悟空がソルベの光線銃に胸を撃たれて再逆転され、ベジータが交替する。

 ビルスの星での修行中に、ウイスが「自分の強さに自信があり過ぎて油断している場面がよくある」と、悟空に忠告する。しかし悟空が油断しがちだと言われたのは、『復活のF』が最初である。


 SSJBになったベジータフリーザにとどめを刺せるところまで追い詰めるが、フリーザが地球ごと破壊してしまう。


 でえじょうぶだ、ナメック星のドラゴンボールで元通りだ!!

 と言ってはいけないww。確かにそうなのだが、ここはこの場の雰囲気を汲み取るべきである。

 家族が死んで悲しむ仲間達や、悟空の後悔する様子が描かれる。

 人間は死んだら終わりだが、『DB』の世界観では死んでも生き返れる。 しかしそれでは、人が死なないために懸命に戦う場面を描ききれない。だから『復活のF』の中だけでも、悲しみ、後悔する場面を入れたのである。


 ウイスが時間を巻き戻して、フリーザが地球を破壊する前に、悟空がかめはめ波でとどめを刺す。

 戦いが終わり、パーティーが開かれるが、1度地球を破壊されたことの気分の重さは払拭できない。

 悟空が、「たまには組んだ方がいいと思うか?」 とベジータに聞くと「それでも俺はごめんだ」 とベジータ

f:id:sakamotoakirax:20170822190316j:plain

と悟空。 ここで初めて、我々はほっとするのである。

元の『DB』の世界観が戻ってきたと。 まるでマジックである。

 『DB』は、悟空が常に優勢に戦うことで、読者、視聴者が安心して楽しめる世界観が売りである。

 だから時間の巻き戻しをしても、我々は地球が破壊されたことへの気落ちは無くならない。

 ドラゴンボールで地球を復活させた場合、ここまで気落ちしないだろうと思うのは、ドラゴンボールは既に戦略に組み込まれているからである。 誰もドラゴンボールを思い出さないと、その絶望感は見るに絶えないほどのものだった。 

そして悟空のこのセリフで、『DB』の世界観が戻ってきたが、それは悟空とベジータが、地球の運命を考えずに戦いを楽しむ世界観となったのである。

 マンガ版では、『復活のF』のところがごっそり抜けている。

それはマンガの悟空が原作を引き継いだキャラで、油断したり、地球の運命を考えずに戦いを楽しむキャラではないからである。 


古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。