坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生⑰~「救うべき人間の発見」と「ノスタルジックでない昭和」と「昭和臭の男」

ひぐらしのなく頃に』で、古手梨花は殺される運命を回避するために時間を何度も巻き戻す。しかし巻き戻された時間では、それぞれ異なる展開をしても、最終的に古手梨花が殺される結末は変わらない。最後の最後で、奇跡的に古手梨花が殺される宿命を回避することができて、物語は大団円を迎える。

 『まどかマギカ』では、鹿目まどかが魔女になる運命を回避するために焼美ほむらが何度も時間を巻き戻すが、まどかが魔女になるのは変わらない。最後に奇跡的な展開をみせて、まどかが魔女になるのは回避される。 

この二つの作品の共通点は、運命を回避するためにあがく者の苦悩が、時間を巻き戻すのを繰り返して、しかも結末を変えられないことで表現されている。そして運命の回避が、何度も時間を巻き戻した果ての奇跡的な展開によってなされる点も共通している。

 

 これが『orange』、『僕だけがいない街』、『君の名は。』では、無限に続くと思われた時間の巻き戻しが制限され、『orange』、『君の名は。』では一回(しかも手紙だけがタイムスリップする)、『僕だけがいない街』では昭和63年へのタイムスリップは二回となる。 そして死ぬべき運命にある者が、主人公とその仲間の努力によって救済される。

全てタイムスリップものであるのは、必ず死ぬべき人間がいるからで、『ひぐらしの泣く頃に』から『まどかマギカ』への移行は、死ぬべき運命にある者の努力から死ぬべき運命にある者を救いたいものの努力に変わることで、死なせてしまったことへの悔いが読者の共感を誘った。 

こうした作品が繰り返しヒットすることで、読者は救わなければならない人間が自分の中にいるのを発見したのである。

 

私はこれらの作品を、日本型ファンタジーの亜流に位置づけているが、「亜流」としているのは、ファンタジーの要素がありながら、日本型ファンタジーのような形式をとっていないからで、それでいてテーマが著しく共通するからである。

 この「亜流」をどこまでにするかも、厳密には決めていないのだが、ファンタジー要素を省いていいのなら、『聲の形』や『春の呪い』なども亜流に入る。

 両者に共通するのは罪の意識である。救済しなければならないのは、救済の対象に罪の意識を感じているからで、それは『僕だけのいない街』や『君の名は。』にもよく表れている。もっとも『春の呪い』のテーマは「罪の意識を感じて相手を愛せ」なのだが。 

 

ひぐらしのなく頃に』と『僕だけがいない街』は共に、昭和の時代にタイムスリップする。 

ここでの昭和は、『三丁目の夕日』のような、ノスタルジックな気分になる時代ではない。『ひぐらしのなく頃に』の感覚は完全に2000年代のもので、携帯電話がないくらいでは、昭和の雰囲気が少しも醸し出されない。

 『僕だけがいない街』では、児童福祉法はこの時代からあったが、児童虐待は人々にとって一般的なものではなかった。昭和のアニメをみれば、親が子供に理不尽な振舞いをして、子供が起こると「親の気持ちが分からないのか」と親が言って、親子が泣いて抱き合うというストーリーが頻繁にあった。(主に赤塚不二夫) 

ひぐらしのなく頃に』や『僕だけがいない街』の昭和の風景は、ノスタルジックに見てはいけないというメッセージである。

 

 一方、その逆を行った作品もある。 平成の、もう年号も変わろうという現代に、やたらと「昭和臭」を放っている男がいる。『君の名は。』の宮水俊樹、『春の呪い』の柊冬吾、『東京喰種』の黒岩巌、黒岩武臣親子などである。

 彼らは「昭和臭」をぷんぷん放ちながら、ステータスが高く、周囲から浮くこともなく、むしろ高い評価を受けている。

 柊冬吾が「男前」とか言われながら、女性に「オイ」とか「お前」とか言うのはおかしいと思いませんでしたか? 

宮水俊樹はゼネコンと組んで町長になっているが、建設業が不況な現在、奥飛騨のド田舎でゼネコンと組むより、普通に神社を継いだ法が政治家になるには近道だと思いませんでしたか?娘と別居している父親が、演説の途中で娘の背筋の説教をするなんて、どんなに面の皮が厚くてもあり得ないでしょう?www。

宮水俊樹は婿養子だから、別居してるなら籍を抜いているだろうと思えば姓は「宮水」である。宮水俊樹の別居は、単に「家に帰らない男」の表現にすぎないんです。

 「昭和臭の男」は、「昭和」を否定するために作品に登場している。

 なら黒岩巌はどうだと思うだろう。

 黒岩巌は確かに否定されていない。しかしそれは今ある問題を、自分の問題だと捉えろということである。 では黒岩武臣は?

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うわーやっちゃってるよwww。 

女性を飯炊き女だと思ってるのがバレバレ。

この後「語弊があったかもしれないが」と言い直しているが、先に言った言葉が本音だと受け取るのが現代人の感覚である。後で言い繕えば悪意と思われないと思うのは昭和の感覚なのである。 

黒岩武臣はCCGに勾留され、カネキが龍になった時に釈放される。 伊東倉元に「仕事はこっちでやっとくわ」と言われ、そのまま退場かと思えば現場復帰する。なぜ退場じゃないんだろうと思ってたら、「女房に言われたから」と。

 なるほどね。

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