坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「戦争と平和を考えるマンガ」②~『ヨルムンガンド』

主人公のヨナは、武器商人のココ・ヘクマティアルの私兵として世界中を旅する。「私が武器の扱い方を教えてやる」とココはヨナに言う。
「ココはなぜ武器を売る?」と尋ねるヨナに、「世界平和のため」とココは答える。
少年が年上の女性に教えを受け、導かれるという構図は、『銀河鉄道999』を彷彿とさせる。
しかし『ヨルムンガンド』は、『銀河鉄道999』とは全く違う展開を辿るのである。

ヨナは西アジアの山岳地帯の少年兵で、ヨナと同じ孤児達が武器商人の手によって殺されたのに逆上し、基地の兵士を全員殺してしまう。その直後にココの「双子のように瓜二つな兄」キャスパーの私兵に拘束され、ココの私兵になる。
武器により両親や仲間を殺されたヨナは、武器を憎んでいた。
ココにはヨナの他に9人の私兵がいるが、注目すべきはレームである。
レームは一人の女性と結婚と離婚を繰り返している。その女性がキャスパーの私兵であるチェキータである。
結婚と離婚を繰り返すカップルというのはたまに聞く話である。なぜそのようなことをするのかが、人の興味をそそるところだが、『ヨルムンガンド』で重要なのは、なぜレームとチェキータが結婚と離婚を繰り返しているのかである。

ココの下で戦いながら、ヨナはやがてココが進めるひとつの計画に気付いていく。
その計画は「ヨルムンガンド計画」。量子コンピュータと128個の衛星によりあらゆる飛行機、ミサイルが空を飛べないようにし、物流をストップし、人間から軍事を切り離すことで強制的に全世界の戦争を終結させる計画である。
ヨナは「ヨルムンガンド計画」に反対し、ココの下を離れる。そして2年間、キャスパーの下で働く。
そしてキャスパーからも離れる。完全に私兵を辞める決意をしたのである。しかしヨナは武器を捨てられない。そしてココに助けを求める。

ココ・ヘクマティアルは「世界の運命を決めるヒロイン」であり、「平和の女神」である。
「女神」は、ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』で述べた神話学の概念であり、母であり姉である。
キャンベルは女神について、ギリシャ神話のアクタイオンとディアナの遭遇を例に挙げて説明している。
ディアナの水浴の現場を見てしまったアクタイオンは、ディアナの怒りにより鹿に姿を変えられ、自分が連れてきた猟犬に食われて死ぬ。
キャンベルはアクタイオンは、ディアナと向き合えるだけの成長をしていなかったから不幸な死に方をしたという。十分な成長を遂げていれば、「女神」に影響されることはない、と。

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ココを理解しなかったヨナは、ココの下を離れた時に、「女神」の罰を受けなければならなかったのである。

バルメは元フィンランドの軍人だったが、アフリカで国連平和維持軍に中国軍人の陳国明に部下を全員殺され、自身も右眼を失う。
「銃剣を付けた二挺拳銃の男」陳国明への復讐のためにナイフの腕を磨くバルメは、その技術が次第に陳に似通っていく。そして再び陳に会い、復讐を果たす。
この時バルメはナイフを捨てるが、ココが拾ってバルメに返す。
ココを「平和の女神」とするなら、その反対の「戦争の女神」が『ヨルムンガンド』にはいる。戦いの権化のような陳国明を殺したバルメは、「戦争の女神」になったかのようである。しかしその後戦闘で、バルメは得意のナイフを使わないのである。
ココの心酔者であるバルメは、「戦争の女神」とはなり得ない。バルメは「戦争の女神」の存在を知らせる暗示であり、「戦争の女神」のダミーである。真の「戦争の女神」は、バルメと戦い方が似ているチェキータである。

キャスパーをココの分身と考えた場合、ヨナがココの下を離れて罰を受けなかった理由が理解できそうである。
しかし「双子のようにそっくり」でも、キャスパーとココは双子ではなく、武器商人の仕事が大好きなキャスパーは「平和の女神」の分身とはなり得ない。ヨナがココの罰を受けないのは、「戦争の女神」チェキータに守られたからである。
ヨルムンガンド計画」に、ヨナ以外は全員賛成する。それぞれが自分の考えを述べる中で、

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と、レームだけが自分の考えを語らない。
レームは「戦争の女神」の罰を受けたのである。その罰は結婚と離婚を繰り返したチェキータとの「永遠の別離」である。

ヨナがココを理解できなかったのは、年齢的には仕方のないことである。
しかし、それでもこの場合はヨナに非がある。
「それでもこの世界が好きなんだ」とヨナは言う。
「好き」は「理解する」と同じである。
ココは世界が嫌いだという。
ココが世界が嫌いなのは、武器商人としての自分が嫌いだからで、「ヨルムンガンド計画」も何らかの理想があってではなく、自己嫌悪から世界を否定したものである。
ヨナは世界を好きなように、ココを好きであるべきだったのである。しかしラストは、

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「しかしココについていく」と言い、「ヨルムンガンド計画」は発動する。
ヨルムンガンド』は、大団円に見せたバッドエンドである。
このバッドエンドにより、男達に自らの汚れを認識させ、汚れた世界を愛し、汚れを否定して平和を唱えることの非を説いたのである。

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