坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「成長体験」

不作為の行為は加害行為である - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたような明らかに過剰な労働を他でも体験したことがあり、なぜそうなるのか考えた。

パワハラ上司は無能である② - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でも述べたが、パワハラ上司には、作業において必要な確認をしないものが多い。そして確認しないで作業ができることを優れていると思っている。その辺りが 過剰な労働を強要する原因となっていると思われる。


 厳しい環境で仕事をしていると、その人の能力が上がる。 

作業のスピードが上がり、作業の手順が頭の中で次々と組み上がり、順々に作業を処理していけるようになる。 

このような経験は若い時にすることが多く、また非常に快感である。 このような体験をすると、人はそれを「成長」と捉える。

そして「成長」に快感が加わっているので、「もっと『成長』したい」という想いと、「この『成長』を他の人も体験して欲しい」という、二つの想いが生じてくる。 

「成長」した人はその「成長」が評価されて、役職について部下を持つことが多い。だから自分の「成長」を他の人にも体験させ、他の人の「成長」を業績の向上に組み込んで指導をすることになる。 

しかし多くの場合、他人はその「成長」した人と同じようには「成長」してくれないのである。 


「成長」した人は同じように「成長」しない人に苛立ちを感じ、「成長」しない人を非難するようになる。その過程は

toianna.hatenablog.com

などでも詳しく述べられており、また私も社会人としてではないが、学生時代に同じような経験をしたことがある。 

トイアンナ氏のように、「成長」を全ての人に同じように求めるのは間違っているという結論に達する人もいるが、その逆に、「成長」しない者が間違っているという考えを強めていく人もおり、むしろそちらの方が多いだろう。 

「成長」を全ての人に求める人とそうでない人の違いは、「成長体験」の後の経過の違いによるところが大きいようである。つまり「成長」を人に求めて失敗したか、そうでないかの違いである。

 ここで注意しなければならないのは、「成長」を他人に求めて全面的に成功した一群が存在すると思ってはならないことである。

 そのほとんどは「成長」を他人に求めて失敗している。しかしその失敗を、失敗した人の責任にすることで自分の責任を直視せずにいる。しかも同僚とその「他責」を認め合っているので、「他責」に疑問を持つこともない。こうして他人に「成長」を求める傾向と「他責」は一体化、構造化する。

 他人に「成長」を求める傾向と「他責」が一体化した構造は、企業にとって都合がいいものに写る。 何か問題があった時に、それを自分の責任と思い、努力して「成長」する人は企業の業績を上げてくれるからである。 しかしその裏にあるのは、本来企業、役員、管理職がとるべき責任を転嫁したいという本音である。

だから「他責」が成果を上げているうちはともかく、離職者が増え、業績が伴わなくなると、企業は構造に引きずられた選択をするようになる。

 本来人間にできないことを強要しているのに、さらに時間当たりのノルマを上げるようなことをするのである。それは本来自分がとるべき責任を転嫁することで、既に心の中に芽生えている罪の意識から強引に目を逸らしているのである。

こうして作業員が過労で倒れるなどの「破局」が起こる。 

過労で倒れるような被害者ばかりでなく、加害者もまた、厳しい労働環境にさらされている。「早くしろ」とせっつかれて、必要な確認作業もすっ飛ばしてそれでもしばしば成功していくのは、何か問題が起こればすぐに他人のせいにするという「他責」により、「自分が正しい」という信念が揺るがず、そのため高い集中力を維持できるのである。 

その集中力は当然、強いストレスを生んでいる。

そのストレスを発散するために人に怒鳴って、益々「他責」の構造を強化する。 こういう会社では、何かあった時に「誰がやったか」という「犯人探し」が頻繁に行われる。

「人のせい」にすることで作業手順、ノルマ、システム、構造の問題から目を逸らし続ける。その構造を作ったのが自分たちだからである。

 しかしその構造も維持し続けられなくなって、機械化などの業務の改善に企業は取り組むようになる。こうして「成長体験」は、猛烈な失敗の体験と罪の意識に代わる。


 かつて日本は、1000分の1ミリの狂いもない作業を手作業で行い、その職人芸により工業立国として、世界第二位に経済大国にかけ上がった。

 しかしその職人芸は、PTSDによるものが大きいと最近では思っている。

『天才脳は「発達障害」から生まれる』では、戦後の人々の多くが戦争での体験を心に蓋をしたまま、戦後の経済再建に取り組んだと述べ、その一人として、ダイエー中内功を紹介している。 

そして高度成長を支えた職人芸ができたのは戦前生まれの人々で、わずかにでも近いことができるのは第一次ベビーブーム世代までだと思っている。

全て定年を迎えた人々であり、それ以外の人々は1000分の1ミリの狂いもない作業など不可能である。

 しかし職人芸を行った人々の歴史が亡霊となって人々の記憶に残り、その記憶が強烈なパワハラを産み出していたのである。


 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。