坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「勝頼病」

 

何言ってんのかわかんねえwww。

個人的都合により、サブブログは来月に更新します。

東京都知事選、小池百合子現職知事の対抗馬は三浦瑠麗氏だと思う。
文春での連載で「新しい政党を作りませんか」と言っていたのに、一向に政党を作る気配がない。
政党を自分で立ち上げるような人ではないと思っていたので、どうやら維新に入党するんじゃないかと思っていたが、1月に都知事候補に山本太郎氏の名前が出ていたので、これは三浦氏のダミーだとピンときた。無所属で出馬し、都構想までの間に維新に入党するんじゃないかと思う。箔という点で歴代都知事に見劣りしないしね。
「現実政治に加わりたくない」と最近言っているのはおそらく誰かが「都知事選に出るんじゃないか」と勘繰っているからで、誰かにそう書かれたのを気にして取り止めない限り都知事選に出るだろうwww。
中学時代、私が風邪を引いた時、母親は私に牛乳を飲ませた。
すると下痢になった。母親は私にもっと牛乳を飲むように言った。
いよいよ下痢がひどくなり、医者に行かなければならなくなった。医者は「牛乳を飲まないように」と至極当たり前のことを言った。

家では昔秋田犬を飼っていたが、営業の仕事を辞めて実家に帰った時、母親に犬の世話をするように言われた。犬は13歳の老犬だった。
犬の世話の中には、毎日犬の体を濡れタオルで拭く作業があった。私は無職の間毎日やっていたが、犬の尻だけは拭かなかった。
「犬は2、3ヶ月に一度シャンプーすればいいんだ」
と母親は言っていた。
ところが3ヶ月経って「もうシャンプーしよう」と言っても、母親は「まだだ」と言ってシャンプーしなかった。
5ヶ月ほど経って、犬の尻に蠅が集り卵を産み、ウジが湧いた。ウジは血管に入り込んだようで、歩行が不自由になりやがて立てなくなって3日で死んでしまった。
犬の飼い方については多くの情報があるが定説の無いものが多く、飼い主も判断に迷うことが多いが、「犬は2、3ヶ月に一度シャンプーすればいい」というのは2000年代半ばでもマイナーな意見である。しかしそれでも5ヶ月も犬を洗わないというのはない。
なぜ母親が5ヶ月も犬を洗わなかったのかについて、今の私にはひとつの推測がある。「もっとこまめにシャンプーしないと駄目だ」と誰かに言われたのだ。

これが私が

信長の戦い④~長篠 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた「勝頼病」である。
「勝頼病」は、事象への判断がヒエラルキーに基づくことの総称として私は呼んでいる。
「勝頼病」の基本的な症状は、批判を受けた時に自らのヒエラルキーが脅かされたと感じ、自らの言動の正当性を「証明」するために批判と逆に自らの言動を強化することとして現れる。私の母親は誰かから「犬はもっとこまめにシャンプーしなければならない」と言われたから、自分の言動を強化して犬をより洗わなかったのだというのが私の推測である。
この症状は

「成長体験」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

によって強化され、

忙しい部署に立場の弱い者を置くと仕事が集中する。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で示した労働環境のような社会的弊害をそこら中に生み出す。それでいて日本社会の安定性が高いのは、

共依存社会 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

事象への判断だから、対象は現実認識から道徳観念まで全てに及ぶ。
「勝頼病」は日本固有の病だが、もちろん全ての判断を日本人が「勝頼病」によって行っている訳ではない。リアリズムや真っ当な道徳観念に基づいて判断されている部分もある。ただ日本人の著しい特徴は、発言だけを見れば「勝頼病」発症者に全く見えない人も、ある特定の領域に対しては徹底して「勝頼病」による対応をすることである。それは問題が存在することを知らない、その問題による被害者の存在を知らないとする対応に大抵特化する。このような対応は左派によくある傾向である。その理由は

「反論しないで別のことを言う」人達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「勝頼病」の基本的症状で対応するのが非理性的だという程度の自覚はあるからである。
この対応はそのままその特定の領域に対して、「勝頼病」発症者が全くの無能力者であることを意味する。
別に何らかの優先順位によって特定の領域の問題を無視しているのではないので、一度無視をすれば半永久的に無視せざるを得なくなる。そして特定の領域に対して自分が全くの無能であることを、最終的には自覚する羽目になる。「勝頼病」はヒエラルキーによる判断なので、無能の自覚はそのままヒエラルキーの崩壊を意味する。

「勝頼病」患者の特徴、それはヒエラルキーによって形成されたものだから、あくまで自分が属する集合内でしかその判断が通用しないはすなのに、それを外部環境にまで適用しようとすることである。
司馬遼太郎の戦国ものの歴史小説で、負けた時の逃げ足の速さを誉めるこの時代の人々の姿が描かれる。
戦国の健全なリアリズム精神に触れる場面だが、不勉強ながら世界史で逃げ足の速さを誉める風習というのは見たことがない。
世界的には戦争で形勢不利の場合には撤退するのが常識であり、日本ではその常識が定着せず、リアリズムが根付いているように見える戦国時代でも、逃げ足の速さを誉める風習が無ければ戦略、戦術的撤退は常態化されなかったのではないかと私は考えている。
桶狭間では、今川義元は途中まではリアリスティックに行動していた。しかし

信長の戦い③~桶狭間 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、信長の意図が読めなくなった段階で信長を見下して休憩をとった。その油断したところを信長は襲撃した。信長は義元に「勝頼病」を発症させたのである。
長篠の場合はもっとひどい。
勝頼は、信長に対して自分が上位者だと思っていた。
しかし戦略的に不利な形勢に立たされたことによって、勝頼の怒りが爆発した。
なぜ勝頼が怒るのかと言えば、下位者が上位者に逆らうのは「悪」だからである。
よく考えてみよう。勝頼にとって信長は外部環境である。しかし勝頼はヒエラルキーによって判断しているのである。
上司が部下を本気で憎むのは、しばしば部下が上司を「してやったり」と鼻を明かすようなことをすることである。上司の失敗や無能を本人の顔前に突き付けるようなことは、上司にとって「悪」の行為なのである。
お分かりだろうか?長篠で勝頼は合理的な「善」と道徳的な「善」が自分にあると思っているのである。だから「勝頼病」発症者は、しばしば合理的にも道徳的にも「悪」を行う。その結果は、長篠に見るように武田軍団の壊滅である。
戦前の特攻隊も、このように行われて日本を壊滅させた。
左派は右翼の特攻隊礼賛を笑うが、自分達が被害者でなく加害者の系譜を引いていることに気付かない。
だから集団的自衛権日米安保を否定しながら、沖縄を半永久的に見捨てるという永続敗戦構造に陥っている。そして中国の脅威から目を背け続ける。特攻隊と同じ破滅願望である。
ここまでくると、「勝頼病」発症者に下位者だと思われている限り、話が全く通じない。交渉とは名ばかりで、「勝頼病」発症者は相手に「自分が間違っているとわからせる」作業としか思っていない。
よほど強力なカードを持って交渉しても、中には相手に「お願い」するように要求するアホがいたりする。相手に「お願い」させると、強力なカードより自分の方が優位に立ったと思うのである。そういうアホは最近流行りの橋下流交渉術の敵対的交渉も通用しないアホで生きている価値がないので私はそういう奴は人格を破壊した上でさっさと交渉を決裂させることにしているwww。
「勝頼病」発症者には下位者と判断した者に対する思い上がりがある。それは「俺はこいつを支配できる」という思い上がりである。何か根拠があるかというと別にない。単にヒエラルキーで判断しているだけである。発症者は支配できない人間の存在に根本的に無知である。
「勝頼病」発症者に甘い態度をとるのは禁物である。発症者はほんのちょっとしたことで相手が自分の軍門に下ったと判断する。軍門に下ったと判断されると、それまでかけてきたプレッシャーが発症者の中で「0」になる。これはヒエラルキーの問題で、「正義」の問題だからである。
また発症者は小さい可能性にどんどん自分を賭けていく。そのため争いがなかなか収まらない。

歴史的に見て、「勝頼病」から完全に自由だったと言えるのは織田信長一人である。そして日本人である限り、「勝頼病」からは逃れられない。
外国人に「勝頼病」がない訳ではない。しかしそれは別名「アイヒマン実験」と呼ばれるミルグラム実験が示すように、特定の状況でしか発症しない。また発症してもそれは道徳観念の歪みとして表れるだけで、現実認識は少なくとも大きくは歪まない。

他に「勝頼病」を少なくとも対外的に克服出来たのは、維新の元勲達である。つまり「勝頼病」の克服には、圧倒的な敗北の経験が必要である。
信長だけは、その高い資質で自力で「勝頼病」から自由になった。ただ理論上、「勝頼病」を信長ほどの資質がなくても克服出来る者はいる。それは最底辺に属する者である。下がいないから、「勝頼病」の発症のしようがないのである。しかし彼らは「犠牲になる」ように育てられているので、ほとんど自殺によって命を絶っており、未だ「勝頼病」を克服して生きていると判断出来る者を私は知らない。
もうひとつ「勝頼病」を克服する道は、

定言命法に達しなかった日本人 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように宗教でも哲学でも何でもいいから、定言命法を自分の中に作ること、いや正確には定言命法を見につけて、自分を含め「悪人でない人間は存在しない」こと、そしていかなる方法をもってしても、道徳的な悪を道徳的に正当化することはできないと思い知ることである。
啓示宗教は現在世界中を覆っているが、その始まりはモーゼが創始したユダヤ教である。
それはまさに「発明」だった。モーゼの「発明」により、世界史の戦争は死者が増加したが、啓示宗教の国の中ではより人が道徳的に振る舞うことができるようになった。

山口真帆ツイッターが3月16日から止まっていた。
3月22日までは山口が痩せただのSweetがなんたらというツイートだのよくわからない情報がネットに流れていたが、22日から26日までそれがピタリと止まった。
時々「#山口真帆ツイッター」の検索ワードで探してみるのだが、この期間にでたのが

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この画像のみ。
そして26日の山口のツイート。

 

桜を取った画像だが、昼に撮影したのに夜10時に投稿している。
投稿が頻繁なら、自撮りしてすぐ投稿するのが普通である。しかし山口のツイッターの更新頻度は低いので、タイムラグがあるのは不自然だと断定はできない。しかし、

getnews.jp

https://megalodon.jp/2020-0327-1647-41/https://getnews.jp:443/archives/2466812/gate
ってアホか‼️
いくら何でも「よくね?」ってコメントしただけの本人も写っていないツイートを記事にする奴はいないだろう。それにしても「よくね?」ってこれ、本当は山口不機嫌なんじゃないの?
以上から、このように推測する。
山口は22日か23日から26日の夜までにネットにアクセスできない所に軟禁された。そして研音は24日に山口の写真を撮ってネットに流し、26日に昼に撮影した写真を渡してツイートするように指示して山口を解放した。22日は私のブログの更新日である。
ええ~次期総理候補って冗談か本気かは読者の皆様の想像にお任せなんだけどこれは黒幕の存在の信憑性が俄然増して来ましたよ~!!

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