坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

人を殺さずに日本人が現実感覚を持つのは不可能

反対に、プロ同士の交渉では、お互いに絶対に感情的にはならないし、無駄な話もしない。なぜなら、双方の要望・譲歩がきちんと整理できており、お互いに譲歩のカードを淡々と1枚ずつ切っていく作業に徹するからだ。一方が1枚切ったら、他方も1枚切る。そうやっていくと、感情的にならず、無駄な話もせずに交渉がディール(成立)する。

 

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こんなことを言うくらいなら、敵対的交渉など最初から言わなければいい。

『魏武捉刀』という故事がある。
魏武とは曹操のことである。
曹操匈奴の使者と謁見するにあたり、自分が醜いのを気にして崔季珪という者を自分の代わりにして、曹操は刀を持って謁見に望んだ。
謁見が終わり、間諜を使って使者に「魏王はどうだった?」と尋ねさせると、
「魏王の見た目はとても素晴らしく、他に類のないほど立派でございます。しかし、牀頭で刀を持っていた人、あの人こそが英雄でしょう」
と使者は答えた。
曹操はこのことを聞いて、部下を送ってその使者を殺した。

史書としての『三国志』ではともかく、民間で曹操はこのような人物として語り継がれてきた。
優れた人物だが狭量なところがあり、特に自分の心を読んだり、自分の劣等感による行動に批判的なものがあったりすると、それが曹操を正当に評価したものであっても殺してしまう。
そしてこのような民間伝承に共通しているのが、曹操は自分に生殺与奪の権利があると思っていることである。

レイプツリーというのがある。

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メキシコの麻薬カルテルがレイプした女性の下着を木に吊るしている。
原因はアメリカが麻薬の流通を減少させるために仕掛けた軍事介入だったが、麻薬関係者を次々と摘発しても報復行動が収まらず、女性市長を殺害したりするという殺人行為に及んだりしている。レイプツリーもそういった恐怖支配のひとつである。

殺人とは残虐な行為であり、ない方がいい。
一方日本では、殺人事件は私は件数は増えていると思っているが、世界と比較しても未だに少ない。
日本は安全な社会であり、世界と比べてもいい国だ、と思う人が多いだろう。
しかし私は、さすがにメキシコと比較する気はないが、「人を殺さない」日本社会が良い社会だとは思わない。

この国が人を殺すことが少ない国なのは、「殺さなくても支配出来る」と思っているからである。
そういう思い上がった者と会話しても全く会話が成立しない。
相手を論破していくと相手は逃げるようになっていくが、それで相手の意識が変わることはない。逃げることが自分が「上」であることの証明なのである。

要するに前々回と同じ「勝頼病」なのである。自分が「上」だというのを誤認と逃避によって行うので、人を殺す必要がない。
その代わりヒエラルキーが固定される上に、世間にはびこる思潮が全て現実逃避から入ってしまう。
集団が現実逃避の思潮を生み出すため、その思潮に反論しても反論が拡散されることはない。

人を殺すのは、人間の支配欲を大きく満足させるのは確かである。
しかしチンギス・ハンやナポレオンのようなサイコパスじみた大量殺人を行う者でも、魂を支配出来ない者が存在すると思うほどひどい勘違いはしていない。
「人を殺さない」者は、魂を支配出来ない者に対して「俺はこいつを支配出来る」という勘違いを何度も起こし、失敗してもそれを認めずに現実認識の方を歪めていく。
人を殺す方がよほど健康的ではないか?

山口真帆は現在、ネットへの接続が著しく制限された環境に置かれているようである。一時は山口はネットへの接続が全く出来ないようにされていたと思うが、研音はそれが無理だと判断したのだろう。
その代わり、山口はネットへの接続が許可されてもファンクラブへの接続がほとんどで、山口個人のアカウントであるツイッターやインスタグラムへの接続が許可されるのは稀である。
研音は山口ファンを研音経由での情報に触れさせることで、飼い慣らしを図っている。ファンが研音に逆らえないと判断した時に、山口を芸能界から永久追放するつもりである。山口ファンは心を強く持ってね。
この状況を打開するには、ヴァーナロッサムが犯人との和解を破棄して、山口と犯人の関係が否定されるまで裁判を続けるしかない。

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