坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

『太平記』の宋学と武士の欲望の対決

太平記』は、文学的には決して質の良い作品ではない。

太平記』の基本イデオロギー宋学である。つまり南宋朱熹が始めた朱子学で、南宋がモンゴルの元に滅ぼされたことへのルサンチマンをばねにして思想を形成している。有名な言葉が「尊王攘夷」で、この言葉に踊らされた中国人は、女真族の金に徹底抗戦した岳飛を崇め、その岳飛を陥れて金に国土を割譲して講和した秦檜を、岳飛を祀る岳王廟に岳飛にひざまづく像を作り、参拝者は秦檜の像に小便をかけたという。

太平記』はそういう宋学イデオロギーが貫かれているが、源頼光酒呑童子の話があったり、「源氏でなければ将軍になれない」と書いたりして、久々の源氏将軍である足利幕府を立てようとしている。江戸時代、尊王攘夷といえば、「夷」とは東国政権である江戸幕府を指したものだが、『太平記』では尊王はあっても攘夷まではいかない。幕府が京にあったというのもあるのだろうか。

そもそも幕府はあるべきだというのは時代の常識的な考えであって、『太平記』の思想的バックボーンである楠木正成でさえ、一度九州に敗走した足利尊氏が、大軍を率いて攻め上ってきた時、後醍醐天皇に尊氏と和睦するように勧めている。そればかりでなく、「新田義貞の首も合わせて差し出せ」と言ったというからすごい。

新田氏の祖の新田義重は、足利氏の祖の足利義康の兄で、新田義貞は、本来なら自分が源氏の宗家たるべきだと自負していた。北条氏が足利家を優遇したために、新田氏は足利氏より格下と見られた。

太平記』の構成の良さだが、このため義貞は尊氏のライバル的な位置を占めている。しかし時代の空気からいえば、義貞は「空気の読めない奴」だっただろう。尊氏への反感から南朝に与したが、「源氏のくせに幕府を否定する奴」くらいに思われていたのかもしれない。

この時期、足利氏の天下を肯定する物語が多く作られている。『難太平記』という、足利一門の今川貞世が書いた書がある。足利氏の先祖の八幡太郎義家は、「自分は七代の子孫に生まれ変わって天下を取るという置文を書き残したが、七代の子孫の家時は自分の代では達成できないため、八幡大菩薩に三代後の子孫に天下を取らせよと願文を残して自害したと、『難太平記』には書いてある。

南北朝時代というのは、これだけの軍記物としての構成要素を持っていながら、いざ物語を進めていくと話がまとまらなくなってくる。後醍醐天皇崩御すると怨霊となって復活し、崇徳上皇や井上皇后まで怨霊として登場させ、大塔宮護良親王足利直義の奥方の腹の子に生まれ変わって天下を乱そうとする。全然違う物語になっているのである。

日本中の武士が足利尊氏を持ち上げるエネルギーは凄まじい。だから後醍醐天皇が敵でなければ、尊氏は源頼朝のように、たやすく天下を手中にしていたであろう。

しかし後醍醐天皇は、あくまで天皇親政に固執し、幕府を認めなかった。尊氏にいかにエネルギーが集中しても、天皇親政を求める理論を武士達は作れなかった。

太平記』とは、後醍醐天皇宋学理論と、より多くの土地を求める武士の欲望の真正面からのぶつかり合いなのである。ストーリーの構成要素が充分にあるのに出来がいまいちなのは、現実に勝利した室町幕府が、正しさの根拠を自らに持っていないためである。

正しさの根拠がないなら、『三国志』の曹操のように、悪人としての痛快な開き直りがあれば、『太平記』も随分と面白いものにできたのだが、尊氏という人物は、自分が正しくないことに耐えられないようなところがあった。悪人として開き直っているのが、佐々木道誉はともかく高師直では品がないというしかない。

それでいて、『太平記』は戦後しばらくの間まで人々に愛された。『太平記』は講釈師によって語られ、客の入りが悪い時は、「本日正成登場」と宣伝すれば寄席はたちまち満員となったという。

 

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