坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

古今の姓のあれこれ

古代社会では、姓を持たないことが多い。

世界中の神で、姓を持つ神は、八百万の神がいる日本と古代ローマにしか存在しない。中国も神話の時代まで行くと、堯とか舜とか姓がなくなる。

古代ローマではガイウス・ユリウス・カエサルといったように氏族名、家門名があるが、こういうのは稀な例である。古代社会の一番の問題は、父親が誰かはっきりしないことなのである。

もっともここで挙げたカエサル自身が不倫の大家である。古代ローマの共和政の時代には、不倫をされたという政治家が多数出てくるが、実は不倫が噂になることが、姓が生まれる条件なのである。姓の無い社会では、不倫は噂にならず、記録されることもない。共和政時代までのローマ人は、不倫を止めることができたのではない。妻に不倫をされた場合、ローマ人の男は妻を離婚したのである。帝政時代になって、アウグストゥスが不倫を厳罰にする法律を定め、娘のユリアが不倫の罪で島流しにあったりして、帝政時代のローマでは、不倫の数は相当減ったらしい。

ローマ以外では、例えばエジプトではラムセス2世が子作りの世界チャンピオンで、一説によれば160人以上の子がいたらしい。しかしエジプトには宦官がいなかったので、その子供のうちの数十人はラムセス以外を父親とする子だろう。

そのラムセスにも姓はない。メソポタミアサルゴン1世にもハンムラビにも姓はない。セレウコス朝シリアはセレウコスを祖をする王朝で、プトレマイオス朝プトレマイオスを祖とする王朝。やはり姓はない。だからクレオパトラにも性はない。

ガリアでカエサルの最大の敵だったウェルキンゲトリクスにも姓はない。もっともローマの支配が浸透すると、ローマ人以外でも姓を持つ者が出てくる。ユダヤ人のヨセフスは、フラヴィウス朝から姓を貰ってヨセフス・フラヴィウスと名乗ったりする。ガリアにはカエサルの手がついて生まれた子供の子孫を名乗る者が数多くいて、ユリウスの氏族名を名乗っている。

東洋も大体事情は似通っており、例えばチンギス・ハンはボルジギン氏族のキヤト氏の出身だが、キヤト・ボルジギン・テムジンなどとは名乗らない。

モンゴルの始祖説話にアラン・ゴアという女性が登場し、アラン・ゴアは夫が死んでも月の精が通ってきて子供を産む。本当に父系で血が繋がっているかという問題には、深入りするなということをこの説話は意味している。

朝鮮半島新羅では、朴・鵲・金の三つの氏族でひとつの王朝を成している。私の知る限り、女系で王位の継承が行われた東洋で唯一の王朝である。

ヨーロッパでも西ローマ帝国が滅びると、メロヴィング朝は祖先のメロヴィクにちなんだ名称、カロリング朝カール大帝の名にちなんだ名称、リューリク朝はノルマン人のルス族の長リューリクにちなんだ名称で、姓を名乗らなくなる。

中世ヨーロッパでは、父親の名前を姓の代わりにするようになる。『ヴィンランド・サガ』のトルフィンは「トールズの息子」と名乗るが、「トールズの息子」の部分が姓の代わりで、ソルフィン・ソルザルソンとなる。ジョンの息子はジョンソン、ニックの息子はニクソンとなり、それがそのまま姓となる。ロシアでは父親の名を姓とする歴史が長く、やがて父親の名がミドルネームになる。

日本では、天皇が姓を与えることで、その氏族が同じ血族であることを保証した。しかし通い婚の実態は改まらなかった。

平安時代になり、諱が我々の名前に近いものになると、通字が生まれる。織田信長の「信」や徳川家康の「家」など、代々諱に同じ字を使うようになる。

しかしこの通字も、最初は藤原時平、兼平、忠平の兄弟、道隆、道綱、道長の兄弟、頼通、教通の兄弟のように、父を同じくする兄弟の間で同じ字を使ったのである。

清和源氏も頼光、頼親、頼信の兄弟、義家、義綱、義光の兄弟と、親子よりも兄弟間の絆が重視されたのが、「頼」と「義」が親子の血縁関係を表す通字となる。

つまり武士の間で、通い婚が廃れ嫁入り婚が一般的になるのだが、嫁入り婚、というより一夫多妻が定着すると、畠山義就のような人物が出てくる。

畠山義就の父は守護大名畠山持国だが、母は一説には皮屋の子とか、桂女(遊女)であったと言われ、義就の他に小笠原長将との間に持長を、飛騨江馬氏との間に子をもうけていたという(しかし小笠原持長と畠山義就は41歳の歳の差があるため、同母の兄弟であることはあり得ない)。とにかく複数の異性と関係を持つ女性で、義就自身が持国の子でないとみなされていた。

実の父親が名義上の父親より身分が低い可能性が示された、私の知る限り最初の例である。義就以前の日本史では、平清盛白河法皇の子と言われたように、実の父親が名義上の父親より身分が上である可能性がある時だけ、人の噂になったのである。それだけ実の子でない子が生まれる可能性が、武士の間で減っていたということである。

通い婚から嫁入り婚へと意向する中で苗字が普及した。「そがの」「もののべの」という「〜の」が取れて、「足利」「新田」などと名乗るようになった。すると公家も近衛、一条といった苗字を用いるようになる。

明治後、古代からの氏が廃止され、全ての国民が名字を持つようになったが、意外と古今東西の姓の事情に通じた判断なのかもしれない。

 

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