新皇を名乗って関東独立を求めた平将門を討った俵藤太は、英雄として別格の扱いを受けたようである。「俵藤太物語」では、瀬田の唐橋に大蛇が横たわっているのを、俵藤太は恐れることなく踏みつけて渡ると、大蛇は女性に姿を変え、一族を苦しめる三上山の百足を退治するように懇願する。
俵藤太以前、日本の最大の英雄はヤマトタケルだが、『日本書紀』では、ヤマトタケルは伊吹山の神が大蛇になって横たわっているのを踏んづけて、伊吹山の神に敗れて死んでしまっている。つまり俵藤太はヤマトタケル以上の英雄だということである。
しかも大蛇が女性に変じるが、この女性は橋姫である。橋姫は人を呪う鬼女で、宇治の橋姫が有名だが、橋姫は瀬田の唐橋や一条戻橋にも登場する。
宇治の橋姫の初出は『山城国風土記』で、浦島伝説のサイドストーリーのような話である。妊娠した橋姫が海藻が食べたいと夫に言って、夫が海藻を取りに行っていると、龍神が気に入って婿にしてしまった。
この話が変化して、嫉妬に狂った女が丑の刻参りで有名な貴船神社に七日間籠り、貴船明神のお告げで21日宇治川に浸って鬼となる話になる。
もっとも、俵藤太は百足退治の後竜宮に行っているから、藤太が会ったのは橋姫の恋のライバルの竜宮の姫と見た方がいいかもしれない。
この俵藤太と対比されているのが源氏である。
源満仲は「ただのまんじゅうぶしのはじめ」と言われながら、百足退治も鬼退治もすることなく終わった。この満仲の陰徳により、子の頼光が大江山の酒呑童子退治をすることになる。
頼光には坂田金時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武という頼光四天王が従う。
この四天王の一人の渡辺綱が、一条戻橋で橋姫に会う。
綱は橋姫に愛宕山に連れて行かれそうになるが、名刀「髭切」で橋姫の腕を斬って難を逃れた。
渡辺綱が茨木童子に襲われて、腕を斬って難を逃れるのも、同じ一条戻橋である。
橋姫と茨木童子の話はほとんど同じなので、どちらかがもう一方の話の元なのだが、渡辺綱の構造的な役割は頼光の分身であり、頼光の代わりにヘマをすることにある。つまり茨木童子も酒呑童子の分身で、表向きは酒呑童子を退治しているが、裏では酒呑童子に逃げられている。もっともこういうことはよくあるようで、俵藤太にも倒し損ねた百目鬼という妖怪がいる。
渡辺綱だけでなく、四天王は皆頼光の分身である。
坂田金時は金太郎という童子の姿を被せることで、「小さ子の物語」にすることにある。
卜部季武には産女に会う話がある。
季武が馬で川を渡っていると、川の中程に産女がいて、「これを抱け」と言って赤子を渡す。季武は赤子を受け取って岸に向かう。産女は「子を返せ」と言って追うが、季武は取り合わない。館に帰ってみると、赤子は木の葉に変じていた。
この話は恋愛による子作りの失敗を表す。俵藤太が瀬田の唐橋の大蛇が変じた女性に竜宮に連れて行ってもらったり、平将門の女房と通じたりするのと比較させて、清和源氏を下げる為の物語である。
碓井貞光は大蛇退治の話があるが、これは俵藤太が大蛇を苦しめていた百足を退治したことから、大蛇退治くらいさせてもよいということなのである。なお碓井貞光は、十一面観音の加護で大蛇を退治しているが、これは坂上田村麻呂が建立した清水寺の本尊が、十一面千手観音だからそれにあやかったのである。
英雄として花開いた源頼光も、俵藤太に比較されるという形で、陰ながら功徳を積んでいた。
俵藤太の子孫は繁栄したが、清和源氏には敵わなかった。また渡辺綱の子孫も、それなりに繁栄した。
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