坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「利権分権構造」を崩す安倍政権

 

というがさてどうか。

安倍政権は3月2日からの全国の学校の休校を要請した。
この件については、現在賛否両論に分かれているが、約二週間経った今忘れかけていることがある。安倍政権が休校を要請した当時は「要請じゃ足りない」という意見があったのである。休校を実施しないところも出てくるというのだ。それが今になっては、休校が要請でなく指示であったかのような論調である。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

では、「学校の設置者」は国、地方公共団体、私立の場合は学校法人で、学校の設置者のみが休校にできるのに、「学校の設置者」が教育委員会になったり各学校の校長に一定量の管理権限が委ねられていたりする。
大体法律もおかしくて、教育委員会の権限に「執行」とか「設置、管理及び廃止に関すること」などという言葉が使われていたりする。決定を国や地方公共団体が行って教育委員会事務管理を行うというのならわかるが、「執行」、「設置、管理及び廃止に関すること」として教育委員会が学校の設置者だというニュアンスを醸し出している。学者や自治体も随分勝手な解釈をしている。なぜこんなことになるのか?
もうひとつ、今回の新型コロナウィルスを巡る国会審議で、政府にマスクの備蓄がいくらあるのかと質問されて答えられない場面があった。
「地方にはある」とは言えるが、「国にいくらある」とは答えられなかったのである。その後国の備蓄が確認できたのかという情報は掴めていないのだが、おそらく0ではないにしても非常に少ないのだろう。
国がマスクを備蓄するのは法律で定められていることである。日本は中央集権国家のはずである。それなのになぜ十分な備蓄が出来ていないのか?
中央集権による動脈硬化という論理ならわかる。しかし動脈硬化により血流が末端まで流れなくても、中央が采配を振るうことは可能なはずである。それができないようになっている。
ここまで言えばわかるだろう。日本は本当は分権国家なのである。ただし地方分権ではない。利権に「分権」されているのである。
日本の中央集権は「建前」である。集権された権力を法解釈でねじ曲げて利権に分散される。だから法解釈のねじ曲げによって地方にマスクが備蓄され、政府にほとんど備蓄されなかったのだろう。

日本の農業問題では、市場原理導入論の他に食糧自給率維持のための農業保護論がある。農業自由化に押されて、最近ではもう聞かれなくなった論だが、私の中ではずっと、農業自由化と農業保護を天秤にかけて揺れ続けていた。
しかしようやく最近、農業保護を止めて自由化すべきだという結論に至った。

lullymiura.hatenadiary.jp

にあるように、太陽光発電に最も有効な休耕地の利用が規制によってできない。
少子化する日本社会を支えるためには付加価値の高い製品開発による国際競争力の維持と効率的な社会に作り替えることが重要だが、日本には付加価値の高い製品を生み出すアイディアがほとんどないので、とことん効率的な社会を目指す以外に当面道はない。
食糧自給率の維持など、国際競争力を維持できる国が享受できる贅沢である。日本は競争によって農業人口を減らしてコスパを下げてやっていくのが、今は一番の選択である。
それなのに、休耕地さえ太陽光発電のために使えないという無駄が続いているのである。
「休耕地を太陽光発電のために利用する」というのは、「本来あなた方にとって損はない」という裏がある。
このロジックが通用しないのは利権があるからである。利権はしばしば非妥協的である。それは正論を認めてしまえば、利権が全て崩される可能性があるのを本能的に知っているからである。
そして利権を守るために、一見正論らしいことを言う。それは長い時間をかけてメッキが剥がれていくがメッキが剥がれた時には既に手遅れになっている可能性もなきにしもあらずである。

安倍政権は新型インフルエンザ特措法によらずに休校を要請したが、そこで要請に応じた「学校の設置者」達が、要請によって起こった様々な問題への対応を巡って政府を批判するようになった。
要請に答えるかどうかは「学校の設置者」の任意である。そして利権の本質は責任逃れにある。休校の要請による問題を安倍首相の「リーダーシップ」による責任に転嫁することで責任を回避しようとした。
そしてその責任の回避は、新型インフルエンザ特措法の改正を後押しした。改正新型インフルエンザ特措法は政府が休校を指示できるようにしたもので、この法改正により、改正前特措法によらない休校要請がより法的根拠に乏しいことがより鮮明になった。無法、横暴により批判を受け、最終的に支持率を回復するという、安倍政権のお決まりのパターンである。有権者が最終的に安倍政権を支持するのは、その者達が無法、横暴の中で生きているからであり、その中には当然利権に関わる者がいる。
そして安倍政権は危機の際にリーダーシップを発揮できる権力を構築した。この権力は利権を崩すものである。
今年に入って、安倍政権は新たな段階に入ったと私は見ている。今までと違い、利権に手を入れる傾向が強まったのである。
この傾向は、去年の秋くらいからの、ひとつの特徴を素地としている。それは今までほぼ一定の間隔で行われていたスケープゴートの吊し上げが行われなくなった、またはそれが行われようとした時に反論によって封じられる傾向である。この傾向を素地として、安倍政権はより改革的な政権になった。

山尾氏は改正新型インフルエンザ特措法の緊急事態条項を立憲主義に反すると言うが、立憲主義法治主義の上に成立するのではないのか?

検察の黒川検事長の定年延長の件もそうである。この件を法律違反として「三権分立に反する」と言う者がいるが、実に鬱陶しい。そんなに法律違反だと言うなら裁判すればいいんだよ!!全く三権分立を唱える者ほど、三権分立を理解していない。

www.cyzo.com

はタイトルは煽り気味だが、内容は良く読めば研音批判で、山口の売り出しに不熱心な研音のせいで山口の人気が低調しているという論調である。そりゃそうだよね。山口を潰すために山口を入れた研音さんだもんね。
研音がタラタラやってるせいで去年の山口いじめの黒幕が次期総理候補だって噂になってるよ?
大体山口のツイッターのフォローが未だに研音だけってどういうこと?何その「完全なる支配」?AKSの方がはるかにマシじゃん。どんだけ前近代的なんだよ!!

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。