坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

野党支持者でも安倍政権擁護者でもない者達の登場

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公明が衆院選を五輪以後にするように要求。枝野さんが「衆院選は4月26日を想定」と言ったから、確定的な情報だと思ったんだけど、公明の要請があったら延ばさざるを得ないだろうね。

安倍首相が立憲民主党辻元清美氏の質問に「意味の無い質問だよ」とヤジるとまた国会は空転、新型肺炎に関する法整備など、必要な審議が進まない状況が続いている。
新型肺炎については、安倍政権が外国人の入国に対して超法規的な措置を行ったが、それが超法規的であるために、事後的であっても法整備を行って、超法規的措置の合法性を高めなければならない。安倍政権の措置に法的な裏付けが無いままにしておけば、法治主義が崩壊してしまう。だから新型肺炎に関する法整備は喫緊の問題である。

世間は「桜」やヤジなどの、安倍政権の不祥事を批判する野党を応援する者と、野党が必要な審議の時間を無駄遣いしていると見ている者に二分されている。
ところが、かつては野党支持者と安倍政権擁護者の、二つの勢力の対立だったのである。「野党が必要な審議の時間を無駄遣いしている」と見ている者達は、決して安倍政権を擁護している訳ではない。どうしてこうなったのか?

野党は安倍政権を悪だと言っているが、本当は安倍首相は野党に「餌」を与えているのである。
安倍首相は「不正」を行うことで野党に「正義」を与える。野党は「正義」を遂行することで有権者の支持を得る。
一方、安倍政権を擁護する者もまた現れる。「安倍首相に間違いはない」とする者達である。森友、加計事件の時などはまさに野党と安倍政権擁護者の対立構図だった。今は露骨な安倍政権擁護者は影を潜めている。

野党支持者でも安倍政権擁護者でもない者達、それはかつては野党支持者だったかもしれないし、あるいは安倍政権の擁護者だったかもしれない。私は印象としては元安倍政権擁護者が多いような気がしている。なぜなら彼らは野党を批判するが、安倍政権には批判でも擁護でもなく距離を置いている感じがするからである。
野党支持者も安倍政権擁護者も、突き詰めれば同じ日本社会の住人である。それはどちらも権威を重視するということである。しかし彼らは権威と距離を置き、そのことにより権威より大事なものに気付き始めている。

なぜ野党が審議自体を遅らせる必要があるのか?
その理由は、思考停止のためである。
安倍政権の超法規的措置は、法治国家を揺るがせかねない。そういう事態を放置するのは、この異常事態を常態にしたいからである。
正義にも序列がある。
法治国家にとって必要なのは法治主義の確立であり、何より最高法規である憲法違憲状態を無くすことである。
ところが、九条に反する自衛隊があるように、日本は違憲状態が常態なのである。それどころか、今では野党は砂川判決に反する個別的自衛権を合憲と主張するようになった。憲法をより一層ねじ曲げたのである。
違憲状態が常態となっているのは正義の根本が失われているということで、そのために正義が序列化できないでいる。どの正義がより重要なのか判断できないのである。だから野党は国会審議をいくらでも停止させられる。
国会審議だけではない。
野党は政府の不正を批判するが、野党に不正をする者はいなかったのか?批判することで何をどれだけ変えられたのか?不正は政治にしかないのか?
未だに日本は老後の年金生活すらままならない者が多いのに、野党は何をしていた?年金の拡充のために何をした?
年金のために努力したのは政府である。「一人当たり老後の生活費用が2000万足りないという報告書を政府が隠していた」と報道された時、誰がどう反応した?
正義も価値判断も、序列化も優先順位もつけられることなく、様々なものが棚上げになり放置され、野党は政府を批判することで社会を秩序立てようとしているが、実際はカオスであるのを隠蔽しようとしている。
隠蔽するためには、安倍政権から「餌」を与え続けられる必要がある。こうして二つの勢力が均衡し、政局に一定の安定をもたらしている。二つの勢力が対立すればするほど二つの勢力は共に強くなる。安倍政権はそういう共犯関係を作り出している。

そんな中で、日本維新の会足立康史氏が国会で安倍首相に「なぜ共産党破防法の捜査対象なのか」と質問し、「昭和26年~28年に共産党が暴力行為を行ったため」と答弁する場面があった。
野党からも安倍政権擁護者からも距離を置いた者達は、共産党が昭和26年の例を引いて暴力主義と見做されても、痛快にしか思わない。しかし同時にまた、彼らは冷めてもいるのである。
彼らの冷めた空気は、野党のエネルギーの熱をも奪い取っていく。そして野党の熱が冷めた頃には、彼らのベクトルは安倍政権批判に向かうだろう。
彼らは、権威に距離を置いたが、まだ権威に反抗するほどではない。しかし彼らはやがて、自分達の求めるものの根本が、違憲状態を無くすという、立憲主義としての改憲論に目覚めていくだろう。

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