坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(32)~『夢で見たあの子のために』が見せる「近未来像」の姿とは?

僕だけがいない街』の三部けいの次回作『夢で見たあの子のために』の主人公、中條千里の初登場シーン、

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決めすぎwww。
いやカッコつけてるんじゃなくて、理由があってのポーズなんだけど、この初登場シーンの印象が悪いせいか、『僕街』と違って、最初はこの作品に入り込めなかった。
次に2巻のラスト、

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いくら何でももっと笑ったことがあるだろうwww。高校生にもなってそんなに笑ったことがなかったら、廃人をなってるってwww。
いや俺も小説で似たようなことを書いたことあるんだけど、主人公は読者がもっとも自己投影する存在なので、これじゃ作品の世界観に入り込めないのである。

中條千里は、『僕街』の主人公の藤沼悟よりも判断力と行動力を高い。
おかげで話がサクサク進む。廃屋に灯油缶があってそれを被ったら中身は灯油じゃなく水だったなんていうご都合主義は、アクション映画ではよくあることである。そういうご都合主義はあまり気にならない。それよりも千里を中心としたアクションや駆け引きの方が気になる。
しかしそういうアクションメインで話が進むと、「これは一体いつの時代なんだろう」という疑問が湧いてくるのである。
『僕街』も時代感覚があまりない作品だったが、「夢で見たあの子のために』はもっと時代感覚がなく、現代のように見えて、近未来を描いているのではないかと思わせてくるのである。

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ヤクザに拉致されボコられて、400万の金を盗られ、眼鏡が無事だというだけで「何てツイてる日だ」と言う。日常が幸福でないため、眼鏡が無事というだけでそこに幸運を見いださなければならない、そんな生活を送っている者の胸中が伝わってくる一コマである。
今の日本で、未来が明るいと思っている者はほとんどいない。
作家達もまた、その明るくない未来を何とか予測して描こうとしているが、作家達もまた、充分に未来を予測しきれていない。
小池田マヤの新連載『鮮烈通貨』に、ドブ川で金色のウナギを釣るシーンがある。

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ドブ川という、60年代の公害の時代を思わせる光景は、「ヘドロの下は金でいっぱい」という作品のテーマに通じるものだが、本当に近未来がドブ川がそこら中にある風景なのかといえば疑問である。このように、作家達は近未来を描くのに苦慮している。
どちらの作品も最初に読んだ時、私はリアリティを感じなかった。しかしそこに描かれた風景は、少しずつ現実になっていると今は感じている。「何てツイてる日だ」と言う『夢で見たあの子のために』の一コマのように、日常が辛い事で満ち溢れていて、ほんのちょっとしたことに幸運、時には幸福を感じなければ生きていけない者が、少しずつ増えてきているのである。

千里の祖父は、千里には「わしには将来お前が幸せになる姿しか見えん」と言うが、恵南には「将来千里が幸せになる姿が見えない」と言う。恵南に言った方が祖父の本音である。
千里は5歳で父母と双子の兄を殺され(殺されたと思っていた)、その復讐のために「火の男」を見つけて殺そうと思っている。そういう境遇の男が、幸福になる姿が見えないのはある程度はやむを得ないことである。
ヤクザの加東が千里に話があってきた時には、「スカウトじゃないでしょうね」と恵南が疑うが、

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と言っているが、ヤクザの業界でも使い物になるのはしばしば「こんな奴」である。千里がヤクザになれる人間だと思わせないための、明らかなミスリードである。また千里は、不良にカツアゲさせてその金を取り返して被害者に返し、被害者からその金を半分貰うというアコギな商売をしていたが、半面「真面目」の肩書きが欲しいとも言う。「火の男」を探すのに、「真面目」の肩書きが必要不可欠だとは思えない。
一体、中條千里とは何者なのか?
それを解く鍵となるのが、同時期に連載が始まった『来世は他人がいい』である。
深山霧島は学校では普通の成績上位の高校生だが、夜は街を徘徊してケンカに明け暮れ、女を風俗に沈めようとするろくでなしである。
霧島はヤクザの大伯父の所に12歳で押し掛けて、以来表向き「ヤクザの孫」で通している。そんな霧島に染井吉乃が「ヤクザになりたいの?」と聞くと「まさか」と否定し、

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と言う。
霧島は、自分がヤクザになるしかなくなっていることへの自覚がないのである。
千里も同様である。彼らは自分がヤクザになろうとしていると自覚していない「普通の人々」なのである。

『春の呪い』の「近親婚的なもの」と「罪の時代」の終わり - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の「罪の時代」の後の姿がここにある。
『夢で見たあの子のために』は、本当にヤクザになる前に更正するように呼びかける作品である。
もっともその逆に、「ヤクザよ増えろ」と呼びかけている作品もある。
『来世は他人がいい』もそういう雰囲気があるが、一番わかりやすいのが『テラフォーマーズ』である。

--“彼ら”は確かに勉強が苦手な者が大半ですが…知能が低いからああなったという訳ではありません。彼ら自身が単純である事を選択したんです。彼らの持つ一見“根拠の無い自信”は、そもそも知識や収入などの実力が根拠なのではない。彼らの自信は彼らの“行動の速さ”と“立ち回りの早さ”に対するものだ。精神医学界ではこう言っていた者さえいます。もしも日本全土が焼け野原になった時…最初に立ち上がって瓦礫を片付け始めるのは--

 

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「人間全員がこれだったら社会が崩壊しますが、こと緊急時においては手続きよりも勝率よりも“今走り出せる人間”が必要になります」と『テラフォーマーズ』では言う。
この「ヤンキー」を多く作り出すのが右翼である。
『東京喰種』でカネキが結成する「黒山羊」は、あんていくのメンバーと「アオギリの樹」の残党で構成される。「アオギリ」とは自衛隊の情報機関「アオギリグループ」のことで、右翼を指している。右翼は変革に必要なのである。だから私は

今や左派より右翼の方が優れている - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で右翼を評価した。
別に右翼に同調する必要はない。現象として不可逆的であり、有益でもある以上受け入れるべきだと言っているだけである。

『夢で見たあの子のために』の結末は既に見えている。
「火の男」は千里の父親の双子の兄弟であることが5巻で判明している。「火の男」は父の仇のようで、実は父親そのものである。
千里の双子の兄一登は、「父親」に従ったもう一人の自分の姿であり、千里が「火の男」を殺そうと思うのは、仇のようでいて、実は「父親」への恐怖が憎悪に変わったものである。そして「父親」を殺すことで、「父親」と同一化しようとしている。その「父親」と同一化した姿が一登である。
だから千里は、一登と違う自分の姿を見出だし、「父親」を殺すのでない形で否定して「父殺し」を為し遂げるのがこれからのストーリーの流れだろう。

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