坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

全て自分で決めれば罪悪感から自由になれる

「策が成功した!」と
<p><a href="https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/11/10/014748?_ga=2.215901463.1860501792.1537344223-543134467.1537344223" data-mce-href="https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/11/10/014748?_ga=2.215901463.1860501792.1537344223-543134467.1537344223">不作為の行為は加害行為である - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」</a></p>
でIが倒れた時、私はそう思った。
Iは倒れたことで同情されたが、Iは社内では孤立していた。社内にはIの悪口を言う者がいたが、その度に、
「いや、Iはすごいよ」と私は言った。事実そう思っていた。箱取りに必要な身体能力はものすごいものがあった。
しかし、何度かそのように言って、
「そうか、俺はIの悪口を言われたくないだけなんだ」
と思い直した。私のIへの純粋な評価だけでなく、私のIへの罪悪感がそのように言わせていたのだと。
それ以来、私はIに罪悪感を感じなくなった。

箱取りの仕事がいかに凄まじかったかについて、もう少し付け加えよう。
例えば、私は低いところにある物を高いところに移す作業をする時、膝を曲げて背筋をできるだけ垂直にし、足のバネを使って持ち上げて物を高いところに移すようにする。このようにすると、腰を痛めない。
しかし、腰を痛めないための動作ではない。腕の動きを最小にするためである。
普通の人は、腰をかがめて物を持ち上げるが、そのようにすると腕の移動距離が長くなり、箱積み作業が遅くなる。膝を曲げて体を上下させることで、腕の振りを最小にし、箱積み作業を速くすることができる。
この動作が、誰にも教わらずに癖づくほどになってしまったのだから、凄まじく過酷な作業である。
これだけではない。我々箱取り作業者は日報も書いていたのである。
製造の仕事は大部分が肉体労働だが、日報を書くのは頭脳労働である。
頭脳労働といっても難しい作業ではない。しかし日本の製造業ではしばしば見られるが、頭脳労働をこなすのに十分な時間が、肉体労働の比重の高さのために与えられていないということがある。
肉体労働一本なら、むしろ楽なのである。体の限界近くまで作業させても問題ない。しかし肉体労働から頭脳労働に移行するためには、クールダウンが必要である。
そのクールダウンの時間が全くなく、肉体は限界以上に酷使される。
日報もできた箱数を書くだけだが、その数字を最後まで書く時間が取れなかった。そこで数字をしっかりと記憶して忘れないようにし、箱取りをしながら何回かに分けて数字を記入していった。これはものすごくストレスがかかった。しかし、過酷な肉体労働に頭脳労働を加えることがどれほどの負担になるか、理解してもらうのは難しいのである。だから我々は、何度も失敗した。失敗して怒鳴り散らされ繰り返し同じ作業をすることでできるようになっていった。しかしお客様に良質な製品を届けるべき製造工程で、失敗というのはあってはならないのである。

私自身は、サイコパスではないかと何度も疑ったくらい、罪悪感から自由である。
しかしサイコパスではなかった。私は人を犠牲にせざるを得ない時に、自分にできる最大限のことをしたという自負があるから常に罪悪感を持たないのである。
この食品工場では、箱取り仲間を無視して供給作業をすれば出世コースに乗る。しかしその流れに私は乗らなかった。
Iの作業を手伝ったからといって、Iが救われる訳ではないのもわかっていた。むしろただでさえ逃げる性格でないIが、私が手伝うことでさらに逃げられなくなった可能性がある。「策が成功した!」と私が思ったのはこういう事情もあったのだが、策というほどのものでなないだろう。ただわかっていたのは、この非道な箱取り作業は、人が辞めていくことでは止められなかった。Iが潰れることで、初めて止められた。
また私は予防線も張っていた。私は常々「俺がA、Bラインに入ったら潰れる」と言っていた。そのせいか、私はIの不在の時にA、Bラインをやるだけで、最後までA、Bラインの専属にはならなかった。自分が潰れるまでやることではないと思っていた。そしてこれらのことを、全部自分で決めていた。
そして私が箱取りをしている間は、常に怒りに燃えていた。それでいて、私の箱取り作業に追随できる者はIしかいなかった。私は運動神経には全く自信がないが、体がボロボロになっても、工場内でたった二人しかできない仕事をしていること自体は誇りに思っていた。
完璧にできた訳ではない。元々身体能力を超えた作業なので、一週間もA、Bラインをやらないと勘を忘れて、よくガムテープの交換を忘れたりした。そんなことがあっても、「元々無理な作業をしている」としか思わなかった。もし「自分にまだ何か足りないものがある」などと考えたら、私の能力はもっと低下していただろう。「100%間違ったことをさせられている」と思ったからこそ、私は箱取りで最大限の力を発揮することができた。
ロボットアームが導入されて箱取りから開放された時、あれほど誇りに思った仕事に未練は全くなかった。

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