坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(30)~『亜人』3:下村泉

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下村泉は、本名を田井中陽子という。田井中は母の再婚相手の姓である。義父はろくに働きもせず、母親がスナックで働いて生計を立てていた。
高校時代にバイトで100万貯めて家を出て彼氏と暮らすつもりだったが、目標到達を目前にして義父にその金を使い込まれてしまう。
泉は母の勤め先まで押し掛けて義父と別れるように迫るが、母は取り合わない。
傷心の泉は彼氏の元に赴くが、そこで彼氏の浮気現場を見てしまう。絶望した泉は、手首を切って自殺を図る。
そこに義父が帰って来て、泉に欲情した義父に強姦されそうになる。
抵抗した泉の頭を、義父は洗面台に打ち付け、泉は絶命する。そして蘇生し、亜人であることが発覚する。
義父は泉を警察に売ろうとする。母親は抵抗するが、目が覚めた泉が見たのは、義父への抵抗を諦めて引き下がるように見えた母の姿だった。泉は二人に気付かれないように家を出る。
泉は木賃宿のような所に住み、援助交際をして暮らす。数年経ち20歳を過ぎたが、病に倒れる。自分を護衛する亜人を探していた戸崎が訪ねた時は、泉は既に危篤状態だった。
戸崎は泉が亜人であることが通報された時の警察の録音記録を泉に聞かせる。その記録には、義父を止めるために母が義父を刺し、義父が母を刺して共に死ぬ状況が録音されていた。

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と言って、泉は再び死亡。そして戸崎の前で蘇生する。
以降、泉は戸崎の元で働くことになる。戸崎に別の経歴を与えられ、「下村泉」を名乗る。泉が亜人であるという記録は、「誰にも見つからない場所に保管してある」と戸崎が言う。母の墓の前で「今度は最後まで逃げない。やり直してみせる」と泉は誓う。

泉の上司である戸崎の泉の扱いは中々厳しい。

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永井の人体実験を見せながら、「亜人だとバレれば君もああなる」と脅す。中野を追跡した時には、泉に中野を車で轢くように命令したりする。
しかし戸崎は、そうせざるを得ないのである。
泉は女性である。亜人とはいえ、女性が戦えるとは思えない。だから戸崎は、泉が自分の命を守るために戦うように、機会ある度に泉を脅していく。
その環境で、泉は耐えている。普通の女性なら逃げ出す環境で、泉は踏み留まっている。フォージ安全ビルの戦いでは、「こんな危ないこと女性にさせられるか」と泉を庇う中野に、「私は仕事をサボる気なんてない」と返して積極性を見せている。
これが、泉が母に誓った「逃げない」の意味である。

下村泉は「見棄てられたヒロイン」だが、大抵の「見棄てられたヒロイン」が、男に「女性を救え」というメッセージを発しているのに対し、泉が特徴的なのはむしろ女性に対して警告していることである。

『鏡面の波』のPVで女子高生が男子高校生に告白されそうになって逃げ出し、光の矢が刺さるシーンがある。
なぜそうなっているのかといえば、それが「逃げるな」と女性にメッセージを発しているからである。
泉が逃げないのは、自分を救ってくれる人間がいるのを見逃したくないからである。自分を救ってくれる人間を見逃した時、大抵の女性はその人物を憎んでいる。実際泉も母を憎んだ。
女性が自分を救ってくれると信じる時は、それはその女性を愛する時、男に限れば、セックスした相手であることが多い。
しかしここに、

日本型ファンタジーの誕生②~主人公を傷つけるヒロインと距離感のあるヒロインたち - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の疑問への答えがあった。「女性として愛さなくても、女性を救う男はいる」。戸崎に婚約者がいるのは、戸崎が泉を愛さないためである。
戸崎は泉が亜人である記録を保管などしていなかった。「だから今全て投げ出したっていい」と戸崎は泉に言うが、「なんとなくわかってましたよ」と泉は答える。
しかし作中には、泉が人並み以上に直感が優れていると思える描写はない。直感的でないのは泉の著しい特徴で、泉は全体的に無個性である。そのため「スゲー美人」と言われているのに色気を欠いている。
フォージ安全ビルでの戦いで、田中に手錠で拘束された泉は強引に腕を引き抜こうとし、戸崎に手伝うように頼む。
それは、戸崎の婚約者が死んだ直後のことだった。泉が腕から血を流しているのを見た戸崎は、「鍵を探してくる」と言ってその場を離れる。
戸崎が婚約者以外の女性への優しさを示す、いい場面である。しかし泉は、

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泉は、戸崎が婚約者以外の女性に優しくなれることをわかっていなかったのである。

戸崎はその後、戸崎の後釜となる後輩の曽我部が泉が亜人だと勘づいているのを知り、曽我部を殺し、その際自分も腹部を刺される。その傷を隠して記者会見に臨み、亜人への人体実験の事実を公表して後に絶命する。

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戸崎が命を懸けたのは償い、それも泉に対してではなく戸崎が関わった亜人に対しての償いのためである。しかし結果的に戸崎は泉を救った。

泉にはひとつの重要な役割がある。それは田中の救済である。
田中は「見棄てられたヒロイン」に対応する、「報われない男」である。
日本のサブカル作品では、「見棄てられたヒロイン」を「報われない男」が救い、また救われるという図式が繰り返されている。古くはゲームの『俺の屍を越えていけ』の黄川人と敦賀の真名姫の関係にその図式が見える。
敦賀の真名姫は人魚で、不労不死を求めた人間にその肉を食われるが、黄川人が傷を嘗めて直す。実は黄川人はラスボスの朱点童子なのだが、真名姫が主人公の一族に味方すると決めた後も、黄川人に「あんたが負けたら、あたしがその傷を嘗めて直してあげる」という。救い、救われるという構図は、他にも『キングダム』の政と向、『東京喰種』の金木研と霧嶋董香、笛口雛実の関係に見ることができる。
もうひとつある構図が、「見棄てられたヒロイン」と「報われない男」が結ばれて子供が生まれるという構図である。『僕だけがいない街』の雛月加代と杉田広美の関係にその構図を見ることができる。
佐藤に裏切られ、傷心の田中が厚生労働省の職員に連行されるのを、泉はは体当たりで車を止め、田中を救出する。仲間になった田中は、

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と、先々の展開を予想させる発言をしている。
「見棄てられたヒロイン」と「報われない男」の結婚は、二人の幸福を願う暗示である。

不幸な女性にを救おうとして男がしばしば手を焼くのが、その女性の非理性さである。理性的な意見を全く受け付けない。そして男は、不幸な女性に近付かないようになる。
しかし『亜人』は、不幸な女性に「理性的になれ」と言っているのではない。それはむしろ、女性性の否定に繋がりかねない。
亜人』は「なんとなく」信じられるものから逃げるなと言っているのである。泉はそうしてゴールにたどり着いた。

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