坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「男のナルシズム」を正しい方向に向けろ

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さすが枝野さん。政府の新型インフルエンザ特措法改正案に私権制限条項が入っていないのを見抜いて政府との折り合いをつけにきた。
新型コロナウイルスの危機の早期の収集を図る枝野氏に比べ、山尾志桜里氏はわかっていない。



 

事態は既にパンデミックの危機回避から、経済的影響を防ぐことにシフトしようとしている。リーマンショック並の不況の懸念が囁かれている中で、山尾氏が言うような私権の制限が継続されるはずがないのである。「民主党政権時代の法律でも正しいとは限らない」など墓穴もいいところである。「何でも反対」の野党精神が剥き出しになると、こんなつまらない同士討ちをやらかす。枝野氏の全面否定でなく賛同した上で異論を言えばずっと穏当なのに、これで立憲のイメージはまた悪くなる。

そのうち宇崎ちゃん問題について書きたいと思っていたが、何か変な方向に行ってしまったので、2年前くらいにはてなで話題になった問題を扱うことにする。

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これね。
この表紙の新刊が出た時、ゾーニングしろという批判があったりしたのだが、私はその騒動を見ながらに少し違うことを考えていた。普通の女性の胸は鎖骨はしたから少しずつ隆起していくが、この画像では鎖骨が見えないくらいの勢いで胸が風船のように膨らんでいる。
それに着衣も、これだけ胸元が開いていれば乳首が見えるが、これでは乳首がかなり下の方についていることになる。
もっともこのような日本のマンガやイラストでは珍しいことではないといえるかもしれない。マンガで全裸なのに乳首が描かれていないのはよくあることである。ただしそのような表現と見た場合、実際には乳首は見えていることになる。
萌え絵はそのほとんどがロリコン精神の発露だと思っているが、このイラストはむしろ大人の女性への性欲を表したものである。
しかし2017年頃の萌え絵というのは、男のコンプレックスが最も強く表れた時期だと思う。
上のイラスト同様、大人の女性への性欲を表したボディコンスーツを着た女性のイラストなどはしばしば見かけたが、それもやはり乳首が下向きについていると思えるような、乳房の半分以上が露出したもので、眼も大抵はタレ目でしかも眼鏡をかけていたりする。
大人の女性の魅力を感じたいなら、眼はつり目の方が私は好みである。
この時期の男は、大人の女性の魅力に浸りたいと思いながらも、気の強そうな女性と真正面から向き合うことができなかった。大人の女性の魅力を感じたいのに、その女性の魅力が自信となって内面から表れる時、顔を可能な限り柔和にしないと向き合えなかったのである。
いつからか、イラストにパンツが描かれなくなったが、そうなると前からのアングルなのに、スカートがめくれてパンツが見えないのに尻が見えるようなイラストが描かれたりするようになった。それだけ表現がいびつになったということである。
そのいびつな表現が、上のイラストにも表れている。「気持ち悪い」という批判には、幾分かこの表現のいびつさへの不快さが混ざっていると思う。

ところで最近、『日替わり内室』とか『王室姫密』とかの宣伝を見たりすることない?
収牢されている女性が美人だと無罪にしてブスだと処刑したりする鬼畜なあれで逆に男が美人秘書に引っ掛かって無一文になるというCMを入れて変なバランスととっていやそんなとこでバランスとんなくていいってって突っ込みたくなるあれねwww。
名前の通り一夫多妻型の立身出世を目指すシミュレーションゲームで、『日替わり内室』は中国のゲームだというのはわかっているが、『王室姫密』が中国産かどうかは確認できていない。ただ清朝を舞台にしているそうだから多分中国産だろう。
このゲームは宣伝回数の多さからブームになっているとまでは言えないと思われるが、宣伝すれば売れるという点では売れ筋なのだと判断できる。そしてこのゲームのの特徴は、萌え絵でなくリアル路線だということである。つまり二次元、ロリコン傾向だった日本の男が、現実の女性に眼を向けるようになった、少なくともその萌芽現象なのだといえる。
このように言うと、警戒する女性もいるだろう。そういう男に性的な眼で見られ、セクハラやレイプの対象にされるのではないかと。
当たりである。警戒という点では、今まで以上に警戒した方がいいのは確かである。
しかし日本のセクハラ、痴漢や強姦の問題は、表面化したものよりも表面化しないものの方がはるかに多いと思っていて、最近になって東日本大震災でのレイプなどが報道されるようになったりして、こんな事件が今まで報道されてなかったのかと驚かされたりする。表面化しない犯罪が表面化した場合を考慮すると、これから男の性的犯罪が増えても、それが劇的といえるかどうかには少々疑問がある。
そして私が一番言いたいことは、女性に警鐘をならすことではないのである。それは犯罪であると同時に現象である。つまり男の自己表現が犯罪という形で表れるのは問題であっても、自己表現そのものは否定してはいけないということである。

sakamotoakirax.hatenablog.com

で「統合型」フェミニストは男を去勢すると述べたが、男の自己表現の否定は去勢なのである。
男にナルシズムは必要である。
そして男女同権の社会を実現するために最も有効なのは、男の「悪性のナルシズム」を「正しいナルシズム」に転換することである。別に男は痴漢やレイプができなければただ不快になる生き物ではない。女性を助けたり、男女同権に貢献したりしても、その行為に満足することは可能なのである。その行為に直接的な見返りがなくてもである。
ならばどうすれば男のナルシズムを正しいものにできるかという点だが、基本的なところを今までと変える必要はない。セクハラや痴漢は訴えればいい。その行為自体は根本的に変えてはいけないものである。ただその行為の及ぼす影響を、今までより少し広い視点で見ることである。男の性犯罪によりミソジニーに陥る女性も多いと思う。その場合は人間不信のひとつの在り方で、それも私は根本的に否定はしない。しかし女性一人一人がミソジニーに陥るべきかどうかは、そうなりそうになる度に一度は自問すればいい。私が言いたいのはそういうことである。
なお、宇崎ちゃん問題には社会性がなかったとは私は思っていない。フェミニストにそれを社会的な問題として定置させる力がなかったのである。フェミニストには柔軟さもなければ、貫徹する意思力もなかった。そういう主張は擁護できない。
原因は、フェミニストは自分達で思っているよりも保守的であること、フェミニズムが一部の者達の「利権」でしかないことだろう。一部の者が報われて、絶対に報われない者を放置する思想は、最後には奴隷根性に陥る。

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