私は小学校、中学校と全然勉強しなかった。
学校は行けばいいものと思っていた。
小学校低学年の時に、いじめで学校に行きたくなくなって、「学校に行きたくない」と母親に言うとビンタを食らって無理矢理学校に行かされ、それ以来学校は行くことに一番の意味があるのだと思っていた。宿題を全くしなくても怒られなくなり、成績は後ろから何番目という状態だった。
ただ歴史は好きで、中学の時県の模試で3位だった。それでも親からは、「歴史ができて何の意味がある?」と時々言われた。
あまりに成績が悪かったので、中学3年の時には「高校に入れなかったら就職しなんねんだぞ」と言われた。そう言われても、私はピンとこなかった。高校に入れなくても、今と同じ生活が続くのだろうと漠然と思うだけだった。
小学校の時は、学校から家に帰れば4時、5時のアニメを観て過ごした。私が10歳の頃までは、まだテレビゲームも十分に普及していなかった。
子供の頃は、こういう生活が終わることなく無限に続くものと思っていた。しかし時々、「こういう生活を続けてその先に何があるんだろう」という、漠然とした不安に囚われることがあった。
ファミコン、買ったのが確か11の頃だったか。ビデオゲームの黎明期はゲームの難易度が鬼畜で、私もゲーセンで一回チャレンジしてすぐ終わるくらいだった(もっとも子供の頃の私には難易度などわからなかったが)。しかし私の家にファミコンが来た頃は、難易度の低いゲームが増えていて、それなりに楽しめるようになっていた。ゲームをしている時には、漠然とした不安を感じることはあまりなかったと思う。
しかしドラクエが出てからは変わった。大学受験、就職活動の時などに現実逃避のためにドラクエをやると、マンガやアニメのようにストーリーを消化する感覚と、プレイヤーとしてゲームをすることによる没入感と自己投影の強さが現実逃避の気持ちをより強くした。「このままではいけない」と思いながらその中毒性から抜け出せなかった。
小中学校の時は、私は基本いじめにあっていたが、私以上のいじめにあっている者もいた。
「あいつ変だよな」と言われる奴がいたので、私もそいつをいじめた。そいつは私の近所の一学年下の奴で、それまでよく遊んでいた。
そいつを何度かいじめて、そいつと遊ぶことはなくなったが、ある時そいつのお母さんと街中でばったり出会って、普通に話しかけてきたのでびっくりした。
また同じ学年でも、私より成績の悪い者がいて、みんなが陰でそいつの悪口を言っていたので、私もそいつの陰口を言った。そいつを直接いじめることはなかったが、そいつは私を同類だと思って寄ってくることがあった。
私はそいつを避けようとしたが、避けられない時もあった。そういう時は、最低限話を合わせながら、曖昧な態度を取り続けた。
人をいじめたり陰口を言ったりして、自分が優位だと思うことはほとんどなかった。私はただみんなと同じ輪の中にいたかっただけだった。
高校になって、いじめはなくなった。
クラスの中では、あまりカーストの高くない、3、4人のグループと一緒になって、休憩時間はトランプばかりやっていた。
高校も3年になると、体育の授業でも、体育館の2階で隠れてトランプをするようになった。
卒業間近になって、お別れ会が開かれた。乾杯する時に、ちょっと目立ちたくなって、わざと椅子の上に立って乾杯した。
その後、みんなが楽しそうに歓談し、女子はみんな「別れるのが寂しい」と言っていた。しかし私はその時、「もう少しでもここにいたくない」と思っていた。
今になって思えば、ちょっと目立ちたいだけで突き抜けた目立ち方をしなかったためにみんなにスルーされて傷ついただけだった。
恥ずかしい、というのとは違った。いや、やっぱり恥ずかしかったのかもしれない。恥ずかしさをプライドで抑え込んでいたのかもしれない。
いずれにせよ、高校の友達は表面的には仲良くしても、本当に互いを認め合える関係でなかったのは確かだった。
子供の頃から、母親とはよく買い物に出かけた。
買い物に出かけて、休憩でどこかの喫茶店に入って、ふと、自分をこの環境から解き放ってくれる出会いがいつか訪れることを強烈に願う自分がいることです気づくことがあった。
子供の時分と言っても、思春期に差し掛かった頃の話である。つまり母親と一緒に街を歩くのが少し恥ずかしくなっていた頃で、このままだとこれから先もずっと母親とばかり買い物に行くことになるんではないかという、淡い恐怖感があった。
現状に不満でありながらも、そこから自分の意志で抜け出そうと思っていない者は、他の誰かが自分をその環境から連れ出してくれることを願うようになる。そして「運命」を信じるようになる。「運命」を信じた者は、無意識に「運命」が思考に組み込まれるようになる。
大学でサークルの代表をやって非常に苦しい時、実家に帰って花火大会を見た。
とてもきれいな花火だった。その花火のようなきれいな世界があり、そういう世界に行けるようにと強く思った。それから毎年花火を見るようになった。
偽装請負の問題にぶち当たり、食品会社や派遣できつい仕事をし、家族とも縁が切れて、春、桜を見るというただの白い花にしか見えなかった。
少しも色づいてなかった。私は桜を見るのがやりきれなかった。
花火大会を見に行って、花火とそれを見に来た大勢の人を見ると、「ここは自分の居場所じゃない」と強く思うようになった。花火の光が強すぎて、そこから逃げたくなった。
ブログを書くようになって、非常に尖った記事に書き続けた。
尖った記事を書き続けて、とうとう一人になった。そこでやっと、自分が何者はがわかった。誰もに見出されて人は何者かになるのではなく、試練尖った戦い、ものすごい努力をして自分を見つけていくの誰とわかった。
そしたら、もう花火を見てもきれいだと思わなくなった。そうして花火大会には行ったり行かなかったりするようになった。
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