坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「あるがまま」を実践する

私の信条は「人の言うことを聞くべからず」、「自分に嘘をつくべからず」、「後悔するべからず」である。

「自分に嘘をつくべからず」は大学の四年の頃には信条として持っていた記憶があるが、どうしてこのような信条を持つようになったのか全く分からなかった。

それが最近になってわかった。20歳の頃、大学受験でノイローゼになって、その時に森田療法の本を読んで、その本の中にある「あるがまま」という言葉が自分の中で熟成されて、このような信条を持つようになったらしい。

 

このブログで何度も取り上げた食品会社で、何人かがケガをしたが、私は会社で最も激しい労働をしていたにもかかわらず、上から「大きなケガをしたことがない」と言われた。

そう言われてみればそうで、作業員の中には自分の身長の2倍の高さがあるパレットの山に上ってパレットを取ろうとして、指の爪を剥がした者もいれば、ビニールの紐を切るのに自分にカッターの刃を向けて切って、親指をざっくりと切ってしまった者もいる。

私はそういうケガがなかった。強いていえばある2つのラインの箱取りをやる時、2つのラインの間でどうしても走らないとダメで、往復したところで最も箱を取りやすいポジションに行くとそこにレーンがあって、そのレーンによく小指をぶつけた。ぶつけたその小指は爪が膨らんで、分厚くなって普通の爪切りでは切れなくなり、さらに伸びた爪がおかしな方向に曲がっていた。私はニッパーを買ってきてそれで爪を切った。ようやく最近、爪の形が普通に戻った。その食品会社では作業靴はスニーカーでいいと言われていたが、今となれば鉄板入りの靴でも買って履いていれば良かったと思う。

高いところに登ったり、何か危険度の高い作業をする時も、自分の重心の置き方などを考えて、決して焦ったりはしなかった。危険度が高いほど、スピードより自分の体を重視する。そう決めてしまうと、案外早く仕事ができたりしてしまうものである。

しかしなぜ私がどんなに忙しくても、またどんなに危険な作業をしていても自分を見失うことがないようになったのは、森田療法の「あるがまま」という言葉が私の中で育っていったからだろう。

 

「あるがまま」を実践していくと、いろんなことがわかるようになる。

よく「何やってんだ!」と言う者があるが、「何やってんだ!」と言うのはその人がなぜそういう行動を取るのか理解していないということである。理解を拒絶していると言ってもいい。相手を理解しない、理解を拒絶して相手を指導することはできず、「何やってんだ!」と言うのは実質的な指導の放棄である。

私は学生の頃相手から批判を受けると、批判されたこととは別件で相手の非を指摘することで相手の批判をよく封じたりした。

私は道徳的であろうと思って生きたことはない。むしろ若い頃はより策略的であろうとした。別件で非を鳴らすことで相手の批判を封じても、自分が策略的であることで悦に浸るだけだった。

しかしある時気づいた。私は母親の真似をしていただけだと。そう、母親もよく別件で相手の非を指摘することで相手の口を封じていた。そのことに気づいてから、批判された時に別件を持ち出して相手の批判を封じることはしなくなった。

このように言うと、いかにも私が母親を嫌いであったかのように読者は思うかもしれないが、私は家に寄り付かなかった時期を別にして、一貫して母親とは仲がいい。ただ母親というのは、愛されるのは容易でも尊敬されるのは難しいのである。

もっとも「あるがまま」「自分に嘘をつくべからず」だけでなく、自分にしてもらいたいように人にしてもらいたいと思ってこのように考えることができるようになる。

はじめは、「あるがまま」に生きること。

 

 

古代史、神話中心のブログhttp://sakamotoakiraf.hateblo.jp/もよろしくお願いします。