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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

平和憲法のために竹島を失った!?「戦後」の終わり

最近、「戦後」という言葉は本当に使われなくなったようである。そして「戦後」という言葉が使われなくなったことによって、歴史的な意味で「戦後」は終わり、新しい歴史区分に入ったように思われる。
それでは「戦後」とは何だったのか?私は「戦後」とは平和憲法が絶対だった時代だと思っている。平和憲法に反対すると、エモーショナルな反発が返ってきてたちまち意見が封殺される。そのエモーショナルさが「大きな物語」となって、日本人に歴史的な一貫性を持たせ、国としての統一性になっていた。その日本の在り方に、我々は安住できたのである。
日本人は今でもエモーショナルである。しかしそのエモーショナルさが、全体を支配しなくなった。憲法問題も領土問題も、国民の意見が一致することはない。多くの人の反感を買う問題発言をする者がいた場合、「戦後」ならその者は必ず立場を失ったが、「戦後」でない現代ではその者は立場を失うとは限らず、理解を示す者や、称賛する者が現れることもある。「戦後」を終わらせた要因はいくつかあると思うが、やはりネットの力は大きいだろう。発言者の顔が見えないネット社会を批判する声も多いが、「戦後」を終わらせる意味では、周りに影響されずに言いたい意見を言える環境も必要だったということだろう。
「戦後が」が終わった、今の時代の問題は国民的合意がほとんど形成されないことである。憲法問題でも靖国問題でも、国民の意見が一致しないのはもちろん、国の方向性を決められる政治家も不在である。政治家に決断力がないというのではない。どの政治家が方向性を示しても、その方向に社会が動いていかないのである。最近の安倍政権の動きは、良くも悪くも一つの方向性を示しているが、安倍政権の示す方向に世論が一本化する可能性は少ないだろう。
なぜ、国を一つの方向に向けて動かせないのか?一つだけ例を挙げれば、竹島平和憲法のために韓国に奪われたことを、誰も指摘しないことだろう。1952年9月28日、サンフランシスコ講和条約が締結され、日本は占領から解放された。韓国が李承晩ラインを宣言し、竹島領有を宣言したのは、1952年の1月18日である。本当に竹島を奪われたくなければ、独立した時点で、日本は韓国と戦争するべきだった。しかし独立直後に戦争不可能と言う人もいるだろう。ならば1965年の日韓基本条約が締結された後、「領土問題は解決済み」と韓国が主張した時点で戦争をするべきだろう。
「冷戦中に西側陣営同士で争うことはできない」などの反論は、言い訳でしかない。それどころか韓国の主張に対し、日韓基本条約破棄で対応しないなど、噴飯物である。
竹島を返せ」という日本人の主張を、私は本気で取り返す気があるとさえ思わない。日本人は竹島という領土問題があることさえ、多くの人が知らない時期があった。私も学校で、竹島問題を覚えた記憶がない。学校が教えなかったとは言わない。教える内容が少なすぎたのである。一方、北方領土のことは知っていた。ロシアは旧ソ連の時代から、領土交渉に臨む用意があったからである。
竹島を知らない、充分に教えないのは、平和憲法の国に、戦争につながる領土問題があってはならないということだろう。それなのに、与党は改憲どころか、憲法解釈の変更で済まそうとしている。竹島憲法の関係もろくに論じない国で、竹島返還要求など無用であり、我々に必要なのは、なぜ竹島を失ったのかを考えることである。
日本の議論は過激に見えるものでも詰めが甘く、時として対立関係が議論を煮詰めないで済ます、共犯関係にさえなっている。日本の方向性は、どれだけ突っ込んだ議論ができるかにかかっているだろう。