坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

近親婚の古代史と父親のわからない貴族達

古事記』『日本書紀』に狭穂姫、狭穂彦の物語がある。
狭穂姫は垂任天皇の皇后で狭穂彦はその兄である。しかし狭穂彦が天皇を殺すことを企む。
狭穂彦は狭穂姫に、「私と夫のどちらが愛おしいか」と尋ね、狭穂姫は「兄の方が愛おしい」と答える。すると狭穂彦は狭穂姫に短刀を渡し、天皇を殺すように言う。
狭穂姫は天皇が眠っている時に短刀を取り出すが、短刀を振り下ろせず、涙を流す。涙が天皇の顔に落ちて天皇が眼を覚まし、狭穂姫は暗殺未遂の顛末を述べ、兄の元へ向かう。
狭穂彦と狭穂姫は稲城に立て籠るが、狭穂姫は懐妊しており、稲城の中で子を産む。
狭穂姫は垂任天皇に子供を託すが、自らは炎に包まれた稲城の中で兄に殉じた。

狭穂姫の物語は、古事記の中でも文学性の高い物語だと言われる。「美しい兄弟愛の物語」とも言われるが、
「これって近親相姦じゃない?」
と、私などは思ってしまう。
物語の中で、狭穂姫は「ご自身の子と思うなら引き取って下さい」と言って、子供を天皇に託す。天皇は子を受け取るが、この子供は狭穂彦の子と見るべきである。
しかしややこしいが、この子供の父が垂任天皇でないことを、直接には意味しないのである。ここは神話的に見るべきで、狭穂姫が垂任と狭穂彦の二人と性的行為を行い、垂任が狭穂彦の子供を自分の子と認知することで、垂任と狭穂彦は習合したと見るべきである。

人類史の始まりにおいては、世界中が母系社会だった。
エマニュエル・トッドの本に、私はまだ手を出せないでいるが、ウィキペディアを見る限りではそういうことらしい。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
母系社会が父系社会に転換したのは、戦争に勝つためである。父系社会への移行により、国家は都市国家レベルから、広域国家へと発展していった。

日本においては、魏志倭人伝などを見る限り、人々は姓を持たないようである。姓が父系社会の成立を表すとすれば、邪馬台国は母系社会ではないかと考えられる。

古代史学者の水谷千秋氏は、5世紀までの古墳の被葬者が同世代の男女ペアだった場合、その多くは兄妹、姉弟だと主張している。
ここでもう一歩踏み込むべきだった。この関係は近親婚の関係ではないかと。
母系社会とは、家の継承権を女性が持っているということである。
母系社会を男系社会に切り替える手段として、男は実の姉妹と婚姻したのである。しかしいつからかインセストタブーが生まれ、近親婚は無くなった。

平安時代まで、日本の婚姻形態が通い婚だったことはよく知られている。
いや通い婚の形態は、夜這いという形で、西日本を中心に近代まで残った。
平安貴族が通い婚を続けたということは、平安貴族が父系社会を完成させることができなかったことを意味する。
しかし一人の女性に複数の男性が通うことがしばしば起こる通い婚で、父親がわからない子供が生まれなかったのかという疑問が湧く。
公式には、無かった。「公式には」というのは、事実としてはあったということである。
その例として、大江広元が挙げられる。源頼朝の参謀だったこの有名人、ウィキペディアを見れば一目瞭然、父親が三人いる。オー、ファーザー!
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%BA%83%E5%85%83

日本において、氏と苗字は違う。氏は血縁によってしか継承できず、養子縁組で継承できない。
そして氏を与えることができるのは天皇である。日本において決して強い権力を持たなかった天皇が、氏を与える大権を持ち続けたのは、通い婚による血統の乱れを整理する必要があったからだと考えても、的はずれではないだろう。
また平安期からイエ制度が発達するが、養子縁組が可能な苗字に基づくイエの継承も、通い婚による血統の乱れのため、かえって血統を正すことを諦めた結果だろう。