坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本人よ武士になれ!

日本の歴史で、武士の誕生ほど革命的なものはない。
武士は賤民であった。大和時代からの古代氏族が武士になったこともあるが、平安時代には天候不順により農村が壊滅し、それに伴い古代氏族も滅亡するということがあったらしい。つまり武士の多くは、賤民から這い上がって土地の支配者になったのである。
そして武士は寄進地荘園と言って、土地を有力な貴族や寺社に寄進し、自らはその土地の管理人になった。
法理的には元々の自分の土地を、名義上でも他人のものにするのは危険なことだが、武士はそうすることで官位を貰い、また姓を持つことが許された。武士が発生した頃から、祖先を源平藤橘とする者が増えていき、秦氏の子孫であった島津氏なども源頼朝の子孫を称したりする。
こうしてやがて日本人全体が源平藤橘を祖先に持つようになる。
それも何代か名前のわからない祖先がいたり、また系図によって祖先の名前が違うなど、いつでも系図から外すことができるように細工がされてあった。
こういった屈辱に、武士は耐えた。そして武士は通い婚を止めて、嫁入り婚を始めた。
貴族と言っても、その血統は実に怪しい。
怪しい理由は、婚姻を通い婚によって行ってきたからで、一人の女性に複数の男が通うと、誰の子供かわからない子供が生まれたりする。大江広元は三人の男のうちの誰の子供かわからないし、歌人赤染衛門は母の前夫の子である可能性が高い。
このように、血統の確かさが疑われる貴族に対し、武士達は遠い祖先を偽りながらも、嫁入り婚によって自分達の血統を確実に伝えようとした。これは革命的なことで、それまでの男系女系の双系的な社会が、より男系的な社会になった。しかも武士は最初は一夫一婦制から始めたのである。
そして武士は貴族に仕え、「東夷」と蔑まれながら屈辱に耐えた。「侍」というのは貴族に仕える自分達を指した言葉である。
権門勢家という分権的、無秩序な世の中で、「斬り込み強盗武士の習い」とその野性を存分に発揮しながら、武士達は成長していった。
この武士達が、平将門の目指した関東独立国に刺激を受けて、ついに源頼朝鎌倉幕府設立という形で自らの政権を作るに至る。鎌倉幕府によって武士達は土地の権利を獲得したが、官位は低いままだった。北条氏の執権職で官位は相模守である。
武士は元寇をも跳ねのけ、その武威を示した。
鎌倉幕府以後も武士達は力をつけ続け、貴族の荘園を奪うばかりでなく、天皇になろう、天皇を超えようという動きを見せる。それが明から「日本国王」に封じられた足利義満であり、織田信長豊臣秀吉の動きである。  
戦国時代は武士が最も武士らしかった時代で、武士は自信に溢れていた。そして太閤検地により、武士は貴族への隷属から脱した。源平藤橘のいかがわしい家系も、武士にとってはそのいかがわしさこそがむしろ誇りとなった。
江戸時代には戦国武士の野性は伝わらなかったが、江戸時代は教養の時代で、教養により武士は磨かれ、開国の後には世界中が武士に敬意を示すようになる。

そして我々は、皆武士の血を引いているのである。
賤民であっても武士になれる。いや身分としてでなく、心構えとしてである。
間違ってもいい。自分の野性を存分に発揮する。落ち込んだ時は女性に優しくしてもらい、励ましてもらう。女性に優しくされることで、男は自信を得て、女性に優しくなれる。そうして男は成長していくのである。  

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