来年、消費税率が10%に引き上げられるが、相変わらず年金への反映が無いままである。
小泉進次郎氏が高校無償化論を提示して以来、高校無償化論と年金問題は綱引き状態のようになっている。もっとも高校無償化論は、以前に比べて下火になった感はあるが。
高校無償化論が下火になった理由だが、結局は非正規、派遣の斬り捨て、自己責任論にするための非正規の野垂れ死にを狙った方便でありながら、その罪の意識に直面した途端に高校無償化論を推進する意欲が削がれたということだろう。
橋下徹氏は著書『権力奪取論』で、国民が年金の充実よりも高校無償化を望んでいることを指摘し、野党に政権奪取のため、高校無償化を年金政策よりも強力に進めることを説いている。その説明のために大阪府知事時代の高校無償化の例を挙げているが、
今回の衆院選についての一週遅れの議論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」
で述べた、小泉進次郎氏との議論の時とは打って変わって、橋下氏は年金を犠牲にして、高校無償化の方向にシフトしたようである。しかしそれで若者人口の多い、大阪のような大都市で指示を集めることはできても、高校無償化論では地方に行くほど支持を集めることができない。
それでも橋下氏の目論見は「政権奪取」で自民の勢力を削り、単独でなくあくまで連立で政権を取ることにあるので、都市部を中心に「高校無償化論」で勢力を拡大するというのは一応理解できる。
しかし「高校無償化論」で勢力を拡大できるのは地方政治であり、国政ではない。国政は表向きの政策論争が何であっても、実質は護憲と自主憲法派の対立の場である。
大阪で高校無償化が成功したのは、大阪府という自治体が年金政策を考慮する必要がないからである。
国政はそうではない。国政では「高校無償化」を唱える護憲派が「派遣の見殺し」という自己欺瞞を形成しながら、それによる罪悪感を潜在的な自主憲法派である自民に突かれて主張が精彩を失っていっている。
もちろん自主憲法派が年金政策の充実を求めているわけではない。自民の政権政党、保守本流ととしての判断がそうさせているのであって、自主憲法派の年金に対する意識は根本的に護憲派と変わらない。
維新でない橋下氏の新党が都市部でどれだけ成果を挙げても、その新党が国政に乗り出した時点で、政策面での大幅な変更を迫られることになるだろう。
日本人が年金政策に積極的になれない理由は、派遣の問題の他にもう1つある。
我々日本人は、我々の親の世代を恨んでいる。
今日まで護憲を守り続け、年金問題での対策を講じずに高齢化社会を迎えさせ、偽装請負という国民の大分裂の元となった日本型経営を生み出した親の世代を恨んでいる。
そして親の世代に復讐したくて、年金政策で親の世代を見殺しにし、そして親と同じになろうとしている。
親と同じになり、下の世代に疎まれ、さらに自分の首を絞める道を歩もうとしている。そしてだからこそ、年金政策を充実させて安定した高齢化社会にすることが、自らが親と違う人間になることなのである。
私は今なら、引き下げられた分の年金が元に戻れば、高校無償化を推進することも可能だと思っている。しかし現状がこれ以上続いた場合、高校無償化に踏み切るための年金のハードルはより高くなるだろう。
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