高杉晋作は「長州割拠論」を唱え、長州全体が火だるまになって暴れ回り、滅亡の危機に瀕しながらそこから逆転し、倒幕、明治維新を成し遂げた。
「長州割拠」とは「幕府の承認はいらない」ということである。将軍は大名の主君であり、大名の盟主であり、大名の承認機関であった。将軍は毎年大名の領地を安堵するのだが、この儀式は将軍はその気になればいつでも大名の領地を取り上げられるというのは一面的な見方でしかなくて、この領地の安堵自体が大名への承認なのである。しかし幕末になり、尊王攘夷運動が盛んになると、長州は下級武士を中心に徳川将軍でなく天皇の下についた方がいいと思うようになった。しかし幕末の長州は「天誅」といって佐幕派を斬ったり、偽勅を作って天皇の意思にに反した行動を多く取ったため、ついに時の孝明天皇に嫌われ、禁門の変で朝敵となり、それでも「薩奸会賊」と叫んで第一次長州征伐で幕府に恭順する羽目になり、高杉晋作のクーデターで恭順派を排除して第二次長州征伐で幕府に勝った。長州は朝敵となっても天皇を否定した訳ではない。しかし「君側の奸」と言い訳しながらも、長州は自分達を自分達で承認したのである。
現代において長州に値する存在、それは参政党である。参政党が現代における「自らを自分で承認する存在」である。
「小麦は有害」などと全く科学的根拠のないことを言って支持者から多額の寄付を取る。
「小麦は有害」というのはホリエモンの「小麦の奴隷」に対するルサンチマンである。しかしそんなことは関係ない。人が誰かの承認を求めるより、自分で自分を承認する方が重要なのである。
幕末、開国論や大政奉還など、理性的な発言をするものは佐幕派が多かった。佐久間象山などがそうである。現代でも理性的、つまり台湾有事とかクアッドの重要性を唱える者はエスタブリッシュメントが多い。つまり一番承認されている者が一番理性的だということだ。
しかし歴史を一番動かしたのは長州である。理性が歴史を動かすとは限らない。非理性もまた歴史を動かす重要な要素なのだ。
ここで坂口安吾の『堕落論』を挙げよう。「だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ち切ることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ち切ることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである」
参政党の支持者が今ウクライナ情勢で失点を繰り返している元護憲派だというのは正しい指摘だろう。戦後日本の護憲構造は崩壊した。護憲派は自らのアイデンティティを失い、社会に承認されなくなった。そして自らを自らが承認するための最初の動きが参政党なのである。
「外国に関与させない」と参政党は主張するが、外国との関係は大事である。日米同盟だけでなく、日本はこれから多角的な同盟関係を国際社会の中で結んでいかなければならない。
しかし歴史を動かしたのが長州であったように、自分達で自分達を承認するエネルギーは凄まじいものである。それで開国、明治維新までいったのである。
もっとも長州も参政党も集団である。個人ではない。「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないもの」と安吾が言っているのに政治をしている。しかし個人への分化はこれから起こるのである。
そして危険なエネルギーである。しかし安吾の言うように「正しく堕ちる道を堕ち切ることが必要なの」である。その過程で多くの間違いが起こる。その過程で日本がどのように変容するか、予測は困難で、そこから生じるカオスはとてつもなく大きいものになる。しかしそれでも、我々はその動きを見届けなければならないのである。
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