坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

私の恥ずかしい話②

私が大学の弁論サークル、帝京大学雄弁会に入会した時、一人の先輩がいた。私が一年生の時四年生の先輩である。何かというとうるさい先輩で、何かというと私に食ってかかってきた。その先輩は極右で、「南京大虐殺はなかった」とか「従軍慰安ぶの強制連行はなかった」とか、または「極東軍事裁判国際法違反」だとか、あるいは韓国嫌いの発言をするなどしていた。

今でこそ珍しい意見ではないが、私が大学1年だったのは95年なのである。私は改憲派でこそあったが、戦前の理解については完全に自虐史観であり、そのような耳慣れない意見を言われると腹の中が煮え繰り返るものがあった。

しかも当時

https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2020/11/06/031845?_ga=2.174052010.849850125.1672736091-2118085205.1616043980

で述べたように、私は世界連邦主義者だった。その先輩、A先輩とするが、今にして思えば私を目の仇にいていたが、特に世界連邦のような理想論が嫌いらしく、しきりに私に向けて議論を吹っかけてきた。

大学1年の時で、それまで議論などしたことがないから、議論できる環境を得たことに興奮し、議論に飢えていた頃である。

その私が、議論に疲れたwww。何しろ議論するたびに、毎回議論の手順がほとんど同じなのである。最後にA先輩がキレて終わるのも同じ。「お前は戦場に行って死ね」と言われたことも何回かある。多分世界連邦の議論だったと思う。「戦争をなくしたい」と言ってそんな風に言われたんだと、今となっては朧げに思い出すだけである。

A先輩に限ったことではない。大学だから2年、3年と学年が上がっていくわけだが、4月になれば毎年新入生が入ってくる。弁論サークルに入ってくる人は我が強い人が多いので、ガンガン議論してくる。しかし論理の組み立てが甘かったり、主張そのものが間違ってたりということが多い。そういう間違いを指摘しても間違いを認めないことが多いので、何時間も激論が続くと言うことになる。

しかも学生なんて、そんなに多く議論のネタを持っている訳ではない。だから毎回同じような議論をして、同じような結末になる。毎年こんな生活を続けていると、大学を卒業する頃には、「もう議論しなくていいんだ」と思って卒業するようになるwww。

A先輩に話を戻すと、A先輩はサークルで大事にされていた。なんでも大量に会員を除籍して内乱を収拾した英雄とかで、人を不快にさせることも多いがサークルの一番の重鎮ということだった。

 

2年の後期、当時の1年が全員サークル活動に顔を出さなくなるという事態が起こった。

「このままではサークルが潰れてしまう」と危機感を持った私は、後輩達全員に電話をかけ、「なんで来ないんだ」と怒鳴り散らした。こういうところが私のいけないところで、昭和49年生まれの私は当時結構体育会系なのである。後輩達は顔を出すようになったが活動には消極的で、後輩達の私の評判は悪くなった。

そういう中で、私は幹事長になった。幹事長というと自民党の役職みたいで、「ナンバー2じゃない?」と思うかもしれないが、伝統ある弁論部では顧問が会長なので、学生のトップは幹事長である。A先輩も幹事長だった。

幹事長選挙は立候補したのが私一人なので、投票なしで私は幹事長になった。後で信任投票くらいすべきだったと、私は前幹事長に文句を言ったものだが、前幹事長にすれば信任投票では私が不信任されると思ったのかもしれない。

というのは、この後内乱が起こったからである。内乱と言っても、私を幹事長から降ろそうとしたが、後任の幹事長を誰にするかが決まらずうやむやになったが、後輩の一人が私に知らせてくれたものである。

今でこそ思い出すのもなんでもないが、当時は後輩に裏切られたと思い、非常にショックだった。

後輩を憎み、後輩に頼らずに自分の力でやろうとして有名な政治家を呼んで講演会をしようと意気込んだり、それまでサークルでやらなかった春合宿をやったりと意気込んでいたが、手伝ってくれる人がいない中で一人で動き続けて、それでも評価される訳でもなく、3年の前期はすっかりくたびれ果ててしまった。

A先輩は「坂本は弱腰だ」と言い続けていた。

「反対派を切れ」というのである。

無理だった。会員の除籍は幹部会の過半数の賛成が必要で、私以外幹部は後輩、つまり私を幹事長から降ろそうとした当事者達で、私を降ろそうとするのに同調しなくても仲間の除籍などできない者達だった。私が「除籍」を口にしようものならそれだけでサークルが回らなくなる状況だった。

夏休みに入って、すっかりくたびれた脳で「あーこのままじゃサークルは潰れる」と思いながら実家でぼーっとして過ごして、「どうせ潰れるならやるだけやろう」と腹を決めた。

腹を決めたといっても、自分が何かをするということではない。私は自分がやるイベントとしては、学祭の野外ステージの演説以外はやらないと決めた。そしてそれ以外のイベントをやる場合は、他の会員が主体的にやる場合にすると決めたのである。

自分でやるイベントがないから幹事長の仕事も大分気楽になったし、「野外ステージ以外やらない」と言うと、会員達は何かやりたくなる。最もイベントを主導するほどの人材がいなかったので実現したイベントはなかった。途中私の幹事長職を解任しようかという主張をする者もいたが、それもなんらかの動きになったりすることなく、無事に幹事長の任期を満了した。

 

その後4年生になり、私は大御所と言われるようになった。それで鼻が高くなってしまったりしているからタチが悪い。

確かに一度幹事長を経験した以上、政治技術は発達しており、また責任から自由になった分身についた政治技術をさらに伸ばして能力を発揮することもできるが、結局は責任を持っている者が一番成長するしえらいのである。私の後に幹事長になった後輩は、うまくやれていないなりに頑張っていた。私は自分の肩に責任が乗っていないのは自覚していたが、幹事長になった後輩に対し自分の方が偉いと思ってしまう気持ちは抑えられなかった。

そして私は5年生になった。そう、私は留年したのである。あるOBから私は「後白河法皇」と呼ばれた。仲のいい後輩からは「サークルに過剰適応してる」と言われた。就職活動には身が入らず、しばしばサークルに入り浸っていた私は、確かにサークルに依存していた。

そして自分に権威がついたと勘違いする。サークルの中だけで得意になっていたわけだ。

その間、OBになったA先輩だが、相変わらず私とはしょっちゅうケンカした。そしてケンカするたびに「坂本は弱腰だからな」とA先輩は言った。もちろん私が幹事長の時に、私が会員を除籍しなかったことである。

(一生言い続けるつもりか)

嫌がらせがパターン化するに連れて、私のA先輩への怒りは募っていった。

しかしOB達はA先輩を庇うばかりである。「Aさんは本当はいい人なんだよ」というばかりで、少しも私の被害から救ってくれない。ついには「A先輩は人徳者だ」などと言い出すOBが出る始末である。

そして5年の後期になって、私は一つの決心をした。

私の一つ下の後輩達は私と関係が良くなく、A先輩と仲が良かった。(A先輩がOBになってもよくサークルに顔を出していたということである)もっとももうすぐ卒業する。もちろん私も一緒に卒業するのだが。

しかし私の二つ下の後輩からは、私の影響が強い。

そして私から三代後の幹事長が決まろうとしていた。

Bという一年生だった。BにはA先輩の影響が全くない。

私はサークルの中で、A先輩のことを悪く吹聴していった。当然私に逆らってA先輩を庇うものはいない。

このように下準備して、A先輩に電話した。

「ーー坂本は弱腰だからなあ」

とA先輩は、もはやパターン化したセリフを言った。

(来たな)言われていたのは、私が幹事長の時、新勧で人を集められなかったことだった。

「Aさんだって、人が多くいてもみんな切ったら同じじゃないですか」

私がいうと、当然A先輩は怒った。

口論になり、お互いに相手を罵り合って、最後にA先輩が電話を切って終わった。

(これで俺がOBになってもサークルの中心だ)

その後、A先輩と会うことはなかった。

 

新しく幹事長になったBだが、高校の時、「学校に行こう」という番組に出演していた同級生がいて、その同級生と生徒会長の座を争って、「人気者だからといって生徒会長にしていいのか」とか言って生徒会長の三分の一の票を集めたという経歴の持ち主だった。私にはそれがすごいことなのかわからなかったが、後輩の一人がいうことにはすごいことらしかった。

そのBは、同じ学年のCと仲が悪かった。Cはよくいる「話のわからない奴」だったが、矛盾を指摘してキレたりすることもなく、私は決して嫌いではなかった。

話は変わるが、除籍条項というサークルの問題があった。

A先輩が内乱を収集した後にできた会則で、私の一つ下の後輩達は、彼らが私の幹事長職を辞めさせようとしたということで私を警戒して、除籍条項を廃止しようと主張していた。

私は除籍条項は守るべきだと主張していた。除籍条項はよくサークルの話題になった。

そしてBも、除籍条項については一つの考えを持っていたのである。

 

「除籍条項を改正しようと思ってるんですよ。もっと簡単に人を除籍できるように」Bが言った。

「いや、人を切ると言っても簡単じゃないよ」

私は言った。前に述べたように、除籍には幹部会の三分の二の賛成を必要とする。会員を除籍するには、幹部の説得が必要だった。そして気の短い私でも、幹事長の独断で会員を除籍するようなことには反対だった。

「除籍の条件を決めるんですよ」

Bが言った。「会員に相応しい人格を磨かなければならないとか」

(人格といってもどういう人格が相応しいのか)

私は思った。そんな曖昧な基準で会員は除籍できない。

Bは、会則を全面的に改正しようとしていた。

「ローマの独裁官みたいな職を作ろうと思うんですよ」

Bが言った。「4ヶ月くらいの任期で一人でなんでも決めることができて、任期が切れたらみんなに責められてわー、みたいな」

(こいつ、政治マニアか?)

私は冗談だと思ったし、事実冗談だった。

事態は次第に私とBの知恵比べの様相を呈していった。

(ただの目眩しか。優秀な人材らしいからな)

 

「Cは『会員に相応しくない人材だからクビ!」

すでに幹事長になったBがいうと、他の会員がどっと笑った。

Cを除籍にする空気が、すっかり出来上がっている。

(冗談じゃなかったのか?)

私はCに知らせようか考えた。

(どうすればCを救えるか)

無理だった。サークルはすっかりBを中心に回っていた。私は大先輩として立てられていただけだった。

(A先輩を排除した今、このまま卒業すれば俺が一番の権威者になる)

私は、Cを見捨てることに決めた。

卒業式には、後輩と一緒に式に出たくないというプライドのせいで行かなかった。

 

社会人になって聞いたことは、BがCを除籍にしたこと、怒ったCとの間にドロドロの争いが起こったこと。そしてCが顧問に掛け合って、顧問により幹事長に任命され、Bは幹事長を降りたということだった。

(そんなドロドロの争いをするくらいなら、サークルが潰れてしまえばよかったのに)

自分の理想通りのサークルでなければ、潰れてしまえばいいと思うのが身勝手だということに、私は思いが至ってなかった。(それにしてもBは、見事に俺をやり込めてくれたな)

私は今まで多くの人間に腹を立ててきたが、智略でやり込められると腹を立てないということをこの時知った。

OB会には入会しなかった。

社会人になって、仕事はいつも辛かった。そんな時は、

(Bが、俺にサークルを残してくれればよかったのに)

と思ったりした。OB会にはいつでも入れるのだが、プライドが邪魔していたのである。

 

Cとは今も年賀状のやりとりをしている。しかしCを見捨てたことについての謝罪はまだしていない。

 

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