坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

コンスタンティヌスの凱旋門について思うこと

ローマのコンスタンティヌス凱旋門
ナポレオン3世が建てたエトワール凱旋門のモデルになった凱旋門だが、塩野七生は『ローマ人の物語』においてレリーフの造形能力の低さについて触れ、「この種の『力量』もまた、国力に影響されずには済まないからではないかと思う」と述べているが、私の考えは少し違う。



コンスタンティヌスの時代は3世紀、元老院が容認した皇帝だけでも、その前半だけで14人の皇帝が廃立されたという軍人皇帝時代の後のディオクレティアヌスによって4分割された帝国を、コンスタンティヌスが統一していく時代だった。
ディオクレティアヌスの皇帝権力強化により、軍人皇帝時代のように次々と皇帝が擁立されることはなくなったが、この時期の蛮族の侵入という問題はそのまま残されていた。
広い帝国内を安全に移動できた時代は去り、蛮族が攻めてくれば人々は城壁のある街に籠り、また蛮族撃退のための軍事費も嵩み、税金は重くなって、人々は苦しくも不安な時代を生きていた。

能力があれば、必ずしも幸福に過ごせる訳ではない。
そのいい例が、軍人皇帝時代の皇帝ガエリヌスである。
ガエリヌスは皇帝ヴァレリアヌスの息子で、父ヴァレリアヌスがササン朝ペルシアのシャープール1世に捕らわれたことで跡を継いだ。
ガエリヌスは、平和な時代なら名君になっただろうというのが、研究者の一致した意見である。
しかし、ヴァレリアヌスの捕囚により権威の失墜した帝国を統治するガエリヌスに、災難が次々と降りかかる。
ガリア(現在のフランス)では、マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムスがガリア帝国を建国し、東方のシリアでは女王ゼノビアパルミラ帝国を建国した。
ガエリヌスは、2つの国の独立を認めざるを得なかった。
そうしているうちに、ガエリヌスは暗殺された。
ガエリヌスは、現実を正しく認め、対処しただけである。
しかしガエリヌスが正しくても、他人はガエリヌスが良くやっているとは認めない、そういう場合がある。

能力というのは、成果があってこそ認められるものが多い。
少なくとも、成果のない者の能力の判断は難しい。政治の世界では特にそうである。
しかしその成果が、環境によっては全く出せない時がある。ガエリヌスの場合もそうである。
だから「この皇帝じゃだめだ」と、兵士達は次々と皇帝を暗殺し、皇帝をすげ替えた。
しかしそれでも、成果は出なかった。それが軍人皇帝時代である。

美というものは、成果を得られる時代に生きてこそ、より強く感じられるものだと思う。
成果を得られることで、人は自分が正しく生きていると感じられるならば、その人生の充実にふさわしいだけの美を人々は求める。
しかし努力しても成果を得られなければ、人々は自分の人生を懐疑的に見つめざるを得なくなり、その人生への懐疑が美に反映される。

塩野七生は、『ローマ人の物語』13巻『最後の努力』で、コンスタンティヌスを相当の悪人として描く。
客観的に書いているのに、コンスタンティヌスへの嫌悪が充分に伝わってくるその筆力は実に見事で、この文体からにじみ出る嫌悪は太宰治の『ヴィヨンの妻』に匹敵すると私は感心している。
しかし塩野七生には申し訳ないが、私は今ではコンスタンティヌスを塩野が言うほどの悪人とは思わなくなっている。
塩野は、コンスタンティヌスはここまで努力をしても、帝国の命脈は100年ほどしか持たなかったことを指摘する。そして一神教を悪とする塩野は、ヨーロッパをキリスト教世界に変えたコンスタンティヌスを糾弾するが、最近は私は塩野に賛同しなくなった。
人はどんな時代でも生きる必要があり、どんな時代でも国家が必要である。
コンスタンティヌスは成果がなければ自分の人生に意義を見出だせない人々に、逆境、衰退の時代でも生きる道を示し、バラバラに解体されそうなローマ人を帝国に繋ぎ止めたのである。

コンスタンティヌス凱旋門の中世的なレリーフは、単なる国力低下による造形能力の低下というよりは、人の心の反映であると私は見る。
そして中世の造形美術は、塩野が言うように一貫してギリシャ・ローマの美術に及ばなかった。
それではルネサンスとは何だろうか?
それに答える前に、ギリシャ・ローマの裸体美術について述べよう。ルネサンスもよく裸体の絵画、彫刻が作られた。
ギリシャ・ローマでは、裸体は神の表現とされた。
この見解は正しいが、一面的な見方である。多くの宗教的観念は、心理学的に説明できる。
つまり裸体はエロスそのものであり、エロス自体が神だったということである。
ルネサンスの時代、人々はエロスにより忠実だった。つまりそれまでは、自らのエロスと正面から向き合うことがなかったのである。
中世人にできずに、ルネサンスの時代の人々がエロスと正面から向き合えたのは、規範が確立されたからである。
それもキリスト教的規範がである。キリスト教が地域の宗教と習合しながらヨーロッパ世界に浸透していったことをここで思い出すべきだろう。ルネサンスは15世紀に起こった運動だが、2世紀前にはアルビジョワ派などという異端があったことも忘れてはならない。中世がキリスト教世界というのは表向きのことで、人々はまだキリスト教的道徳に服していなかった。それがルネサンスの時代には、人々は完全にキリスト教的道徳を認めたのである。
だからといって、ルネサンスの時代の人々が皆道徳的に生きた訳ではない。
チェーザレ・ボルジアが残虐の限りを尽くしてイタリアを統一しようとしたように、またチェーザレの父のアレクサンデル6世が、教会の腐敗を代表する人物だったように、人々は悪とわかっていて悪を成したのである。
チェーザレのビサ大学時代の同学に、ロレンツォ・デ・メディチの次男のジョバンニ・デ・メディチが在学していた。ジョバンニが教皇レオ10となった時代に宗教改革が起こる。
ルネサンスがより人間らしく生きようという運動ならば、宗教改革は教会の改革だけでなく、より正しく生きようという運動でもあった。それはリベラルとリバタリアンの関係に似ている。
ルネサンス宗教改革も、ヒューマニズムからスタートしたが、その道は2つに分かれた。

 

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