坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

剛腕だけど柔軟な人物達

ビスマルク
19世紀までドイツは無数の小邦に分裂していたが、この頃には統一への機運が高まっていた。ドイツ統一でもオーストリアを中心とする第ドイツ主義とプロイセンを中心とする小ドイツ主義の2つの流れがあったが、ビスマルクプロイセンの宰相として「現在の問題は演説や多数決によってではなく、鉄と血によってのみ解決される」と演説し、鉄血宰相と呼ばれた。普墺戦争普仏戦争に勝利し、ヴェルサイユ宮殿で主君のヴィルヘルム1世をドイツ皇帝にした。自由主義者とは対立したが、労働者に対しては世界初の社会保険制度を定め、また団結権を認めて懐柔した。しかし後には社会主義者鎮圧法を制定した。ビスマルクの定めたドイツ憲法は日本の大日本帝国憲法の元となった。
外交では勢力均衡を重んじ、フランスを孤立させる政策を取った。皇太子のヴィルヘルム2世とはそりが合わず、ヴィルヘルム2世が即位するとビスマルクは宰相を辞任した。その後ヴィルヘルム2世は帝国主義的な政策を取り、第一次世界大戦が勃発する。ドイツは敗北し、領土は縮小しワイマール共和国が誕生する。

フルシチョフ
スターリンが死ぬとスターリン批判を行い、大量の粛清があったことを世界に公表した。それに伴い民主化軍縮を行った。スターリン批判により東欧が動揺すると、ハンガリー動乱を鎮圧して動揺を抑え混んだ。
アメリカにはソ連の指導者として初めてアメリカを訪問し、「雪解け」と言われたが、「いつか奴らを埋めてやる」と言ったりする強硬な面もあった。スプートニクを打ち上げることで宇宙開発競争でアメリカを引き離した。
ケネディの時には、ベルリンの壁を作り、アメリカがベルリンに空輸を行うなどしてアメリカと対立する面もあった。キューバ危機ではあわや核戦争になるかと思われるほどの危機的な事態となったが、キューバからソ連のミサイルを引き上げることで危機を回避した。しかしアメリカもまたトルコにあるミサイルを撤去することで相互に譲歩する形で危機を回避していたのだが、トルコからのミサイル撤去は公表されなかった。
その後、ケネディとの間に部分的核実験禁止条約を締結する。この条約がCTBT(包括的核実験禁止条約)、NPT(核拡散防止条約)、START(核兵器削減条約)へと発展していく。
1964年に失脚し、モスクワ近郊の国有の別荘で、軟禁生活を送ることになった。フルシチョフは失脚したが、ゴルバチョフペレストロイカとは違い、体制は維持された。

鄧小平
中国の最高実力者。
「唐辛子風味のナポレオン」とも呼ばれる。
毛沢東大躍進政策で大失敗し、国家主席の残念を劉少奇に譲り劉少奇は鄧小平と共に資本主義を導入した政策を行ったが、毛沢東文化大革命により巻き返しをはかり、劉少奇と鄧小平を失脚させた。
鄧小平は南昌で労働者としてトラクター工場や農場で働くことになったが、周恩来の尽力で国務院副総理に復帰する。
「白猫でも黒猫でも鼠を取るのが良い猫だ」と言って改革・開放路線を推進した。
しかし東欧革命の影響で、天安門広場学生を中心に10万人規模のデモが起こるとこれを軍隊を使って鎮圧、第二次天安門事件を引き起こした。
その後南巡講話で改革・開放路線を継続することを述べた。
改革・開放路線は深圳などの経済特区から、徐々に資本主義経済を広げていくというやり方で、この方法で中国は日本を抜いて、世界第2の経済大国になった。
90年代、ソ連のように中国が崩壊して、ボートピープルが大量に押し寄せてくるということが現実味をもって語られていた。
私は鄧小平を全面的に肯定はしないが、鄧小平に感謝している。
中国は今ロシアに接近しているが、毛沢東時代に戻らないといいけどね…。

 

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