坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

ロシアは拡大したのと同じ時間をかけて領土縮小する

ロシアのウクライナ侵攻について。
ロシアという国は、アジアには強いがヨーロッパに対しては弱い。ロシアの歴史を見ていくと、新兵の訓練不足とか君主の戦略の誤りとか、今のウクライナの戦争に共通する問題があるのに気づく。
長い間ロシアはヨーロッパの脅威とされてきたが、ロシアがヨーロッパから奪えた領地は、スウェーデンからバルト海沿岸地域と、ポーランドをドイツとオーストリアと分割して得た領土しかないのではないか?二次大戦で東欧を共産圏に置くことができたのは、独ソ戦ナチスに勝ったどさくさにすぎない。ロシアが他国の領土を得る時は、常にどこかの国と同盟を結んだ時である。
それでも我々がロシアを脅威と思うのは、ロシアがナポレオンとヒトラーに勝ったからである。ナポレオンのロシア遠征ではモスクワを占領されながらも焦土戦術で国民を犠牲にし、独ソ戦では2600万人という、一国が消えてなくなる犠牲を出しながらも、ナチスドイツ相手に勝利するという奇跡を成し遂げた。
独ソ戦は世界征服の野望に燃えるヒトラーに対するスターリンの読みの甘さにあり、スターリンは良策を進言する将官を次々と左遷し、終には後退する兵士を背後から撃つということまでやってのけた。独ソ戦の転換点となったスターリングラードの戦いでは、60万以上いたスターリングラードの住民が9800人まで減少した。
普通なら戦意も戦闘遂行能力も失うほどの犠牲である。ここまでくると、幽霊でも相手にしているような薄気味悪さをロシアに対して持つ。そう、ロシアの驚異とはどんなに犠牲を出しても戦うことにある。
しかしエマニュエル・トッドによれば、独ソ戦ソ連の勝利が二次大戦の連合軍の勝利を決定したという。
その通りだろう。独ソ戦でのドイツの死者数は1075万8000人である。
ドイツはこれだけの人的、物量の損失を出すことで、ようやくその勢いを弱めたのである。アメリカでさえロシアの活躍には及ばなくて、イギリスの歴史家のベイジル・リデル=ハートはアメリカの戦争の性向を「ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された」と述べている。
これではアメリカの参戦に賭けて、ロンドン空襲を耐え忍び、地中海作戦で枢軸国側のアキレス腱であるイタリアを翻弄しようと画した英雄チャーチルでさえ、ナチス相手に踏みこたえた功績しかないことになる。

ロシアはイヴァン雷帝から独裁が始まり、ピョートル大帝から西欧の技術を導入するようになった。
ピョートルが求めたのはあくまで技術であり、思想ではなかった。産業革命が起こる以前から、西欧の技術ばかりでなく国家機構や法律などが優れていたから、そして西欧の影響が東欧や北欧にまで及んでいたから、ロシアはヨーロッパの諸国に勝つのが難しかった。だから西欧の技術を導入すれば西欧に追いつくことができると考えた。
もっともピョートルも、国民に西欧流に髭を剃らせるなど、単なる技術の導入だけでなく国民の意識の変革も必要だと感じていたようである。しかしピョートルの意識改革は大ざっぱだった。「粗野とまでは言わないが、凡庸な頭脳の持ち主」というロシアの作家ソルジェニーツィンのピョートル評は、そういうところにあるのかもしれない。
ピョートル以後、ロシア人の意識改革に取り組んだのは、エカチェリーナ2世だった。エカチェリーナ2世はドイツ人である。ロシア人の血を全く引かないエカチェリーナ2世は、貴族の支持を必要としたため急激な改革は不可能だった。

ロシアは東ローマ帝国の皇帝の妹を公妃としたウラジーミル1世のキエフ大公国の歴史的な後継者を任じている。ロシアの皇帝を意味するツアーリとは、東ローマ皇帝の継承者だという主張である。そしてこのことがロシアのウクライナ侵攻の遠因となっているのだが、ロシアの大国意識は、西欧に勝ちたいということの裏返しであり、東ローマ皇帝の継承者という多少強引な論理(明確にそう主張してはいないのだが)さえも西欧へのコンプレックスの裏返しであると思う。
そのロシアが、ナポレオン戦争後、本格的に西欧に追いつけなくなっていった。
そのことがはっきりしたのは、クリミア戦争からである。イギリスで産業革命、フランスで生まれた国民国家に対して、当時のロシアは未だに一次産品が穀物だった。クリミア戦争に勝てなかったロシアは、戦債の支払いのために農業の効率化に迫られ、農奴解放を実施した。
農奴は解放されたが、土地は有償であり、49年年賦という負債が農民に課せられた。農地は直接農民にでなく共同体に渡され、そこから農民が支払い額に応じて分与されることになっていた。そのような仕組みであるため、土地を得た農民はほとんどおらず、農地の大部分は共同体の所有とされた。
このように、農奴解放も不十分なものだった。そしてこの頃から、ロシアの領土縮小が始まるのである。1867年にクリミア戦争の戦費調達のために、アラスカをアメリカに売却したのがロシアの領土縮小の始まりである。
農奴解放後、ロシアは産業革命を進め、シベリア鉄道を開設した。しかしロシアはオーストリアハンガリー二重帝国、トルコ帝国と並ぶ「落日の帝国」だった。それがわかるのは、日露戦争でロシアが負けたからである。当時の日本も発展途上の国であり、奉天会戦の後、日本に戦う余力などなかった。しかしロシアも戦争を継続することができず、日露戦争ロシア革命の遠因となる。

第2のロシアの領土縮小は、第一次大戦ロシア革命後のバルト三国の独立である。
アラスカの売却から見ると、ロシアが縮小傾向にあるのがはっきりする。第二次大戦で東欧を衛星国にしたのは、ドイツが負けてその占領地に軍事的な空白が生じたためで、ロシア=ソ連が東欧諸国を独力で占領できる力があったからではない。ソ連が東欧を衛星国にしたのはナチスドイツという強烈な外的要因と、スターリンという国民をいくらでも犠牲にする強烈な内的要因による合作なのである。
少し話を戻せば、レーニンによる社会主義革命をスターリンがついで、ソ連の工業化を推進した。
当時のソ連の主な輸出品はやはり穀物で、スターリンウクライナの小麦を過剰に徴発して多くのウクライナ人を餓死させるという飢餓輸出を行い、それによって外貨を獲得してソ連を工業化した。
スターリンの独裁は陰惨を極めるが、スターリンはロシアに2つの贈り物をした。工業化とロシア人を「国民」にしたことである。

スターリンの死後「スターリン批判」が行われる。
スターリン批判」のような理性回帰は、ロシアの歴史にしばしば見られる。「スターリン批判」を行ったフルシチョフペレストロイカを行ったゴルバチョフは、精神的にはピョートル1世やエカチェリーナ2世の子孫である。硬直化した社会を立て直すために行われたことだが、このような改革が体制の崩壊を招く場合もある。フルシチョフの時はフルシチョフの失脚により体制が維持された。しかしペレストロイカは、体制を崩壊させずにはいなかった。また中国の改革開放路線が政治改革でなかったのと対称的に、ロシアでは政治と経済の改革が一体であることが多いのが特徴である。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧革命が起こる。翌90年には東西ドイツが統合し、91年にはバルト三国が独立。その年の12月には独立国家共同体の設立でソ連が崩壊する。この89~91年が第3のロシアの崩壊である。

その後ロシア経済は混乱したが、KGB出身のプーチンがロシアを立て直した。
1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡、行方不明となっており、プーチンの関与の可能性が指摘されている。
独裁色の強いプーチンだが、2000年代はBRICs諸国の一国としてロシアを新興経済国の一員とすることに成功した。私もプーチンは好きではないが、この時期のプーチンはそれなりに評価している。
しかしロシアの主な輸出品は石油と天然ガスソ連時代と変わっておらず、工業や第三次産業が大きく発展した訳ではなかった。
プーチン旧ソ連諸国を傘下に収めることで実質的なソ連帝政ロシアの復活を画しており、チェチェン南オセチアに侵攻した。しかし2014年のクリミア侵攻による経済制裁で、ロシアは低成長国となった。
ウクライナ侵攻はウクライナNATO加盟の話が引き金になっていると言われており、恐らく真実だろう。プーチンにとってウクライナはロシアの勢力圏内で、ウクライナを勢力圏内に引き止めるためのウクライナ侵攻だったと考えられる。
しかしロシアの被害は甚大で、一日3兆円の戦費がかかり、ロシアは一時デフォルト寸前までいった。暴落したルーブルは回復したが、金利は17%、取引量も大幅に減っていると思われる。
二次大戦以降ソ連よりの外交を続けてきたフィンランドは、今回の紛争でNATOへの加盟を決めた。こうしてロシア寄りの国がまたひとつなくなったことになる。フィンランドの件もまたロシアの領土縮小の一環である。
ウクライナは最終的に、NATOに加盟せず中立的な立場を維持することでロシアと停戦することになるだろう。しかしプーチンウクライナを繋ぎ止めるために始めたこの戦争だが、ウクライナの中立化に成功してもウクライナ人の心は既にロシアから離れている。これからは反ロシアがウクライナナショナリズムになっていくだろう。またウクライナは経済が破綻し、治安も最悪だが、今回の戦争では国が一丸となってロシアと戦っている。この戦争がウクライナの社会をどう変化させていくのかは非常に興味深い。
結局ロシアは、西欧に追いつきたいと思いながら、西欧に勝つことなく、領土縮小を続けていくのだろう。その領土縮小は、ロシアが領土を拡大したのと同じ時間がかかるのではないかと私は思っている。

ロシアのウクライナ侵攻では、左派を中心に「降伏しろ」とか、ロシアへの敵愾心を燃やすウクライナへの批判的な意見が目立つ。
それでこそ平和主義国家日本である。湾岸戦争の時でさえ、占領されたクウェートのために戦うアメリカを非難する声というのは聞かれなかった。平和主義者はたとえ攻撃を受けている国であっても、戦闘行為に訴える者を評してはいけない。ただし、自衛隊と米軍とアメリカの核の傘に守られた安全な日本からウクライナを非難しても説得力はない。
2014年に安倍政権の集団的自衛権行使容認に反対して、焼身自殺を計った人物を覚えている人はいるだろうか?
その人は一命を取り留めたと報じられただけで、名前も知られていない。しかしこの人物こそ平和主義の殉教者である。今こそ平和主義者はこの人物を探し出し、殉教者として讃え、この安全な日本からでなく、ウクライナに向かい、ロシア軍の戦車の前で反戦デモを行うべきである。

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