坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

上に任せれば全て快適な方向に解決してくれる?

かつて小沢一郎は「グランドキャニオンには柵がない」と言って、人が自分の意志と力を頼りに自由競争を生き抜く社会を目指そうとした。
しかし現実にはそうはならなかった。
堀井雄二が『ドラクエ1』を作った時、スタート地点をラダトームの城と町の中間にしたところ、テストプレイで城にも町にも入らずに歩き回ってモンスターに殺される子供が続出し、最初に玉座の間にかんづめにするというアイディアが盛り込まれた。
それ以来、ゲームの世界は開発者が至れり尽くせりでプレイヤーはゲームの内容を理解できるようにしてきた。
海外はそうではなかった。
ファミコン版で『ウルティマ3』があるが、実況を見ると、城の中にバリアがあり、プレイヤーがバリアだと気づかずにバリアに入って全滅する動画がいっぱいあった。『ドラクエ』ではプレイヤーが一歩で死ぬようなところにバリアはなく、鍵がかかって行けないところにある。
その他『ウルティマ』は誰とでも戦うことができ、兵士や王様相手にも戦える。
ここまで自由度が高いとストーリーが進行しにくいが、日本ではプレイヤーが最初から道を外さないようにしっかりとレールを作って、その上にストーリーを乗っけてゲームを進行させるスタイルが主流になった。

このことはゲームだけでなく、社会についても言えることで、日本人はこの社会にしっかりとレールを作ってくれることを求めた。特に消費行動に関しては、これまでの業界中心の対応から、消費者メインへと変わった。この消費者中心へのリベラルな変化は非常に画期的で、法律的には消費者が損をすることはなくなった。「グランドキャニオンには柵はない」どころではない。自己責任くそ食らえ、消費者の損は全て販売側の責任というパラダイムの成立である。
利権は秩序であり、秩序は安定である。そして安定した秩序を求めた結果、利権を排除して消費者中心の秩序へと転換したのである。
つまり日本においては、上に任せておけば、上は我々が道を外さないようにレールを敷いた上で、我々に快適な環境を提供してくれるのである。

最近の社会で特筆すべきこと、それはペットに対する関わり方の変化である。
私が子供の頃は、犬は外で飼うのが当たり前だったが、私が高校の頃に飼った秋田犬は屋内で飼った。
今のペットは屋内で飼うのが当たり前なだけでなく、ペットは家族扱いである。動画では人間の子供と犬や猫を兄弟のように扱うものが多い。
私が秋田犬を飼っていた頃は、犬はもちろん名前で呼ぶのだが、犬のいないところでは「犬」と呼んでいた。かわいがっても、人間と同列に扱っていなかった証拠である。
秋田犬は元々2階で私の母と一緒に寝ていたが、齢を取って、秋田犬は朝起きた時に、2階から1階への階段を降りられなくなった。そこで母は1階の離れで秋田犬と一緒に寝るようになった。
私が社会に出て、転勤で故郷を遠く離れ、久しぶりに実家に帰ってきたある日、秋田犬は私の側から離れなかった。
その晩、私が2階の元自分の部屋で寝ていると、秋田犬が私の寝ている部屋に入ってきた。
私は朝秋田犬が階段を降りられなくなるのを知っていたので、秋田犬を追い出すかどうか迷ったが、兄が気づいて秋田犬を1階に追いやった。
翌日、私が秋田犬に近づくと、秋田犬は私から顔を背けるようになった。
私は自分が過保護すぎるから、秋田犬が私から顔を背けるのかと思っていたが、秋田犬は自分を2階で寝かせてもらえなくなったことで、自分を対等に扱ってもらえなくなったのを怒っていたのである。対等と思っていないくせに、表向きだけかわいがる態度に対する不信感は犬でさえ持つ。
その後、痴呆症になってよくおもらしするようになったので、秋田犬は家の中に入れなくなった。

最近ではペットを家族同然に扱い、保健所で殺処分にされそうな犬や猫がいれば、SNSで拡散して引き取り手を探す。ペットを商品として売るために繁殖させるだけさせて、売れなかったら殺処分にするペット業界のあり方も大きく疑問視されている。
このペットに対する風潮はもはや不可逆的で、やがてペット業界さえも変化させていくのではないか?

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