坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

私の犬への異常な愛

昔、実家で犬を飼っていた。
秋田犬で、私が30歳で営業の仕事を辞めて実家に帰ってきた時には、13歳になる老犬だった。まだ職についていないということで、就職活動をしながらも、私は犬の世話をするように家族に言われた。
私は無職ということで、肩身が狭かった。
犬の世話をすることで、自分の寂しさを埋めていた。社会人も長くやると、寂しさが身について離れなくなった。
暇さえあれば犬のところに行った。しかし犬も13になると、ベタつかれるのが嫌になるらしい。私が犬のところに行くと、犬は顔を背けるようになった。
それでも構わず、私は犬にベタベタと抱きつき続けた。時々犬は怒ったが、気にしなかった。
時々犬を叩きたくなって叩いたりした。散歩では人がいないのを確保して、わざとリードを離して散歩させたりした。そうして私は、犬をできるだけ自由にさせていると満足していた。
本当はもしひょっこり人が現れても、犬は私のことを思って人に向かって走っていったりしない、そう信じたかった。
犬が人に向かって走るのは犬の習性である。その本能に逆らうほどの買い主への忠誠心が犬に芽生えていると思いたかった。人間の共依存の精神は、そういう妄想を抱かせる。

今は老犬のため、足腰が弱っていた。
座ってる姿勢から立つのにも時間がかかった。犬が立つのを待って、散歩に連れていく毎日。
犬はもう走れなかった。散歩する距離も短くなっていた。
私は犬に、もっと元気になってほしいと思った。
私が実家に帰ったのは夏だった。老犬になった犬は夏の日差しと暑さを嫌う。
日中も午前10時くらいまでなら、散歩に連れていくことができた。
私は犬の散歩する距離を長くするため、散歩道を変えようとした。
犬は散歩が長くなるのを嫌がったが、3日にいっぺんなら、渋々ながら3日を変えるのに同意する。わかった。私は少しずつ、散歩の距離と時間を長くしていった。
無職の間、私には時間があった。散歩の時間は最後には2時間になった。

私は犬のから立つを拭くように、母親から言われた。
「犬はあまり洗わなくていいんだ」と母親は言った。その代わり濡れ手拭いで体を拭けばいいのだそうだ。
私はほぼ毎日、犬の体を拭いた。
体を拭くだけでなく、足腰が弱ってエサのある場所にいけないからなのか、齢で食から細ってるからなのか、ドッグフードもあまり食べなくなっている犬の口元にドッグフードを手で掬って食べさせたりした。
犬の回りは清潔にした方がいいと母親に言われて、掃き掃除をするように言われた。私が手でドッグフードを掬って食べさせた後に掃き掃除をしたりすると、犬は立ち上がってエサのところに行って食べたりした。
毎日がこんな調子で、犬の側を離れるとまた犬のところに行きたくなった。私が犬から離れられなくなっていた。
しかし私は、犬の尻だけは拭かなかった。
そこまでしなくても、と思っていた。あまり体を洗わない方がいいといっても、3ヶ月に一度くらいは洗うだろうと思っていた。
「そろそろ洗うべ」
私は言ったが、「まだだ」と母親が言った。犬を洗わなくなってから、3ヶ月以上すぎていた。

私は派遣の仕事に就職して、1日2回やっていた犬の散歩が、1日1回になった。私は夜勤のみだったので、昼の散歩は母親がごく短めにやっていた。
ある秋の日、霜が降りた寒い日だった。
家に帰って、犬が鳴くように吠えた。散歩に行きたいということである。
私はまだ暗いので、寝ようと思った。しかし空が明るくなってきているのに気づき、散歩に行くことにした。
その日は、いつもより遠くに散歩に行くことにした。
途中、散歩している秋田犬とすれ違った。秋田犬のクロである。
なんとその犬は飼い主がトラックを運転していて、犬はトラックに引っ張られて散歩をしていたのである。
秋田犬には品評会などがあって、賞を取るために犬に筋肉をつけさせるということもやる。私も犬を品評会に出すためということで、犬を自転車で引っ張って散歩などをしていたが、今思うとそういう散歩の仕方をしていいのかどうか。
しかしその時の私も大人気なかった。
犬がトラックに引っ張られている犬を気にして後ろを振り返りながら歩く様子を見て、
「追っかけっか」
と犬に話しかけた。それで犬に通じて、犬は反転した。
追いかけるといっても、トラックに引っ張られている犬に追いつける訳がない。すぐに追いかけるのを止めるつもりだった。
犬は走った。もう走れないと思っていた犬が全速力で走った。
犬はすぐに息が切れた。私はリードを引っ張って、追いかけるのをやめさせた。
(足の萎えた老犬が走れるようになった)
私は嬉しかった。犬はこれからもっと元気になり、もっと走れるようになると思った。
しかしその日が、犬が元気に散歩をした最後の日だった。

翌日、犬は散歩に行くのを嫌がった。
犬から、甘いフルーツのような匂いがする。ふと犬の尻を見ると、尻にびっしりと蝿がたかっていた。
(俺が拭かなかった尻だ)
もう5ヶ月も、犬の体は洗っていなかった。拭かれなかった尻は、新陳代謝の衰えた老犬の皮膚を腐敗させていた。
翌日から、甘いフルーツのような匂いは激しい腐臭に変わった。
以後、用を足すために近所を散歩させたりした。犬は足もフラフラで、稀にその場に座り込んだりした。私は犬を立たせようとリードを引っ張ったが、犬は跳ねるように転がるだけで、立てなかった。私は、犬が自力で立ちあがるのを待つしかなかった。
犬の首を撫でると、そこに小さなウジ虫がいっぱいたかっていた。
私は声を上げて、慌てて手についたウジ虫を振り払った。犬は自分が否定されたように、悲しそうにクーンクーンと泣いた。
私は犬を洗って、蝿を落として外でなく、家の中に入れようとした。実は犬は以前家の中に入れていたのだが、よく糞を洩らすようになったので家に入れないことにしていた。しかし親は許さなかった。
獣医に診てもらおうとしたが、獣医は往診ができないとのことで、犬を連れてくるように言った。しかし時間的に行ける者がいなかった。
犬の尻に蝿がたかって3日ほどして、私が夜勤から帰ってくると、犬は意識を失って体を震わせていた。
目が覚めて犬のところに行くと、母がいたので、「犬はどうだ?」と聞いた。すると「犬は死んだ」と返ってきた。
「死んだ?」足元に犬の死体があるのに、私は犬が死んだことが信じられなかった。
犬は兄の友人のトラックで運ばれて、動物用の火葬場に持っていかれた。
犬のいた場所には、おびただしい死臭が残った。しかし私にとっては。死臭が犬がいた痕跡だった。
死臭は、日毎に薄れていった、犬の痕跡が消えていくのに、私は耐えられなかった。
犬の骨は帰ってこなかった。
「骨をもらってくれば良かったな」母が言った。
(骨じゃない、肉だ)
私は異常だった。骨では犬に対する想いを埋められなかった。犬の肉が腐臭を発しながら腐りなくなっていくのを眺めていたかった。

犬の死は、私の共依存の感情を断ち切った。
犬が幸せだったかといえば、決して幸せではなかったと、今では思う。
私は犬の不幸を、別の幸福で埋めようとしていただけだった。犬を幸福にした分だけ、不幸にしていいと思っているのと同じだった。共依存に持ち込む相手がいなくなったことが、私にとっての一番の収穫だった。  

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