私の子供の頃のファンタジーについての記憶は、学校の図書室でのことである。
小学生の頃は図書室で、『西遊記』や『グリム童話』などをよく読んでいた。
するとある時、友人が私のところに来て、 「そんなのを読むなんて気取ってるな」 というようなことを言った。
だから私の子供の頃のファンタジーのイメージは、気取った奴が読むものだった。
このような記憶は私だけのもので、多くの人が共有するものではないだろう。
しかし私の子供の頃の記憶を語るのは、それが世間一般から大きく解離したものではないと思うからである。なにしろ私の子供時代は、アニメはロボットアニメが主流で、ファンタジー作品はほとんどなかったからである。
この流れを変えたのはテレビゲームだった。
70年代の終わりからアーケードゲームとして出現したゲームは、80年代にテレビ用ゲームとして発展して言った。
このゲームからRPGが派生するが、RPGの発展は少々独自で、欧米でRPGが生まれ、パソコンゲームで発展していった。
欧米のRPGは加齢によってステータスが下がるなどの要素があり、日本のパソコンゲームもその流れを踏襲していた。
例えば『ザナドゥ』ではレベルアップすると鍵の値段が高くなったり、カルマが上がるとレベルアップできなくなるなどの制約があった。
プレイヤーはこのような制約の中で、どのようにプレイすればクリアできるのかを考え、それがRPGのゲーム性になっていった。
一方、RPGの導入では遅れながらも、ゲーム業界では主流だったファミコンでは、ステータスが下がる要素が排除されたゲームが製作され、それがパソコンのRPGを駆逐していった。
この流れについては賛否両論あり、私は批判的な方だが、『ウィザードリィ』がめんどくさくて途中で投げ出し、『ドラクエII』でシドーを倒せなかった私には、偉そうなことは言えない。
だからここでは、少し違ったアプローチをしようと思う。
今では3Dが主流になり、『FF XV』に至っては実写と見まがうほどになってしまったが、かつてのファミコンのRPGの演出も悪いものではなかったと思う。
ファミコン時代のRPGの演出は、「古さ」を醸し出すことにあった。茶色と黒だけの色でレンガを構成するのもそうだし、『ドラクエI』のひびの入った壁もそうである。
この「古さ」の演出は、単に時代の古さだけではなく、ファンタジーの世界に没入させるために重要だった。今の3Dでは、かえって「古さ」の演出は難しいのではないか?
そして、RPGのストーリーはステレオタイプだった。
剣と魔法、囚われた姫、火を吐くドラゴンとステレオタイプなストーリー、キャラクターが踏襲された。
ステレオタイプなのは、ロム用量が少なくてストーリーを盛り込めないからである。
ストーリーを盛り込めないから、ゲームは最もストーリーを感じさせる演出をした。
それは西洋のファンタジーの世界観の基本的な要素を繰り返すことだった。
「ドラクエI」の主人公の設定もそうで、「勇者ロトの子孫でその生まれ変わり」というのは、最も宿命を感じさせる設定である(生まれ変わりという概念が西洋にはないとしても)。
すなわち竜王を倒す宿命で、その宿命がストーリーとなる 。
『ドラクエI』と言えば「カニ歩き」が有名だが、少ない用量でプログラムを作った苦労話はよく知られている。
カタカナは「へ」と「り」をひらがなと併用し、18文字しか用いなかったなどである。
しかし、ちょっと待って欲しい。『ドラクエI』は、用量の少なさが話題になる割には、動きがなめらかである。
動きがなめらかなのは当たり前ではない。『ハイドライド』などは動きがぎこちない。 そして『ドラクエI』の、このエンディングである。 このエンディングを削れば、四方面のドット絵くらい作れるとは、誰でも思うだろう。
つまり『ドラクエI』は、キャラクターに「カニ歩き」をさせてもストーリーを重視した作品なのである。
動きがなめらかなのも、ぎこちなくても動けばいいという考え自体が、プレイ重視のゲーム性追求の発想であり、『ドラクエI』では動きをなめらかにするのは、ストーリー性の追求に必要だったのである。
もうひとつ、『ドルアーガの塔』(以下『ドルアーガ』)を見てみよう。
『ドルアーガ』は難易度の高いゲームだが、この作品は難易度の高かったパソコンゲームとは別系統に属する。
その理由は難易度の種類にある。
『ドルアーガ』は体力値の概念があって、体力値の表示がないゲームで、それ自体がこの作品を難易度の高いものにしているが、それ以上にゲームの難易度を上げているのはその謎解きにある。
『ドルアーガ』は全部で60のステージがあり、そのほとんどに宝物があるが、その宝物を出現させる方法を、各ステージごとに見つけなければならない。
しかもヒントは一切ない。
アーケードが初出の『ドルアーガ』は、プレイヤーを悩ませた。攻略法を知るため、他のプレイヤーのプレイを見て、攻略法をメモった人もいるという「伝説」のあるゲームである。
ゲームの黎明期ならではの伝説だろう。黎明期の頃は、プレイヤーはゲームの難易度など分からなかったし、考えなかった。
また『ドルアーガ』は、「呪文」「化身」という言葉を最初に使ったゲームだった。
現代人はファンタジー慣れして、特に「化身」という言葉は使わないが、当時は非常に新鮮だった。マジシャンの呪文が、本当に「呪いの文字」のように見えたものである。
『ドルアーガ』はファミコンに移植され、攻略本も出て、プレイヤーは攻略本を片手にプレイした。やがて『裏ドルアーガ』も見つかり、全120ステージとなったが、その攻略法もすぐに紹介された。
攻略法を見てプレイするというと「根性がない」と思いそうだが、『ドルアーガ』に限ってはそれは当たらない。
プレイヤーはプレイをしながら、ストーリーを追っていた。
それは実に不条理なストーリーだった。全ての謎を解くのに、どれだけの犠牲があったのかをプレイヤーは感じずにはいられなかった。またこの不条理なストーリーを必要とするほど、日本人はファンタジーに飢えていた。
このようなRPGのヒットによって、ファンタジーへの扉が開いた。
マンガ、アニメなどで西洋のファンタジーを模倣した作品が作られ、その勢いは、当時の主流だったロボットアニメを一分野にしてしまった。
ゲームがファンタジーへの扉を開いたが、日本人はまたそれだけ、ファンタジーを求めていたのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。