坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(29)~『東京喰種』4:ドナート・ポルポラは「鬼子母神」

瓜江久生とドナート・ポルポラが戦った時、ネットではドナートの圧倒的な強さに湧いていた。
「フレームアウトして暴走した瓜江の強さはドナートの指一本分」という論調で書いている者が多かったが、私は違和感を持っていた。
最近のマンガは、指一本で敵を倒せるようなパワー偏重のスタイルを採らなくなり、むしろパワーアップを否定するスタイルが増えている。『東京喰種』も「供喰い」がパワーアップになるが、精神の狂うというデメリットつきになっている。そんな『東京喰種』において、今さらパワー偏重のスタイルを採るだろうか。

『東京喰種』には、公表されていない、隠された設定がいくつかあると思う。そしてそれは、作品を見ていくことにより論証できるのである。
「隻眼の梟」は赫包が6つから8つあることが明らかになっているが、それは戦闘中に喰種捜査官が視認したことによるものである。篠原もカネキと戦った時に、カネキの赫包の数を意識している。
喰種捜査官にとって、戦っている喰種の赫包の数は重要な情報であることが、以上からわかる。
赫包を視認するのは、赫子の噴出でわかるのだろうが、赫包の形状についてはイメージ図しか描かれていない。赫包が球形のものだというのもイメージである。
大きさも、体内にこんな異物があるのは不自然だろうと思える大きさで描かれている。
赫包は、生まれた時には「二種持ち」等でない代わりひとつしかない。そしてその位置は「羽赫」「甲赫」「鱗赫」「尾赫」の位置に合わせて肩、肩甲骨、腰、尾てい骨あたりにある。
赫包の数が増えるのは、「供喰い」によってである。そして赫包の位置が戦闘中に視認できるものである以上、最初の赫包と同じ位置にあっては視認が難しいだろう。だから二つ目以降の赫包は、体内のどこにでも発生すると考えられる。
瓜江がドナートの分身を倒すと、ドナートの指が消える。これで「フレームアウトした瓜江の力はドナートの指一本分」と言われるがそうではなく、ドナートの分身は分離赫子であり、その赫包はドナートの指にあった。「指一本分」の力ではなく、「赫包ひとつ分」の力なのである。

瓜江と髭丸がドナートに遭遇すると、早々に窮地に陥る。

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いきなりヒゲの腕が飛ばされるwww。
なにしろ赫子の予備動作がないので、避けたり防いだりするので精一杯である。瓜江は❌印が集合した赫子に天井に抑え込まれ、瓜江が動けない間に、ヒゲのもう一本の腕がもがれる。
瓜江はドナートと「世間話」をして気を引き、ヒゲを逃がす。追おうとするドナートを、瓜江は赫子を振り払って抑え込むがドナートの攻撃で腹に穴を開けられ、窓ガラスで頭を削られて放り投げられる。そこには髭丸の叔父が死んでおり、瓜江は死を予感する。
それでも立ち上がる瓜江。その時、瓜江の両眼が赫眼になる。

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そんな瓜江に、ドナートは語りかける。

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瓜江は「ちぎゃう!!」と否定するが、ドナートは無視。

ボロボロになるまで戦い食事も喉を通らない。それがお前の選んだ事か?認めてもらいたかったか、褒めて頭を撫ぜられたかったか。その残滓のごとき想いを周囲にぶつけて果たそうとしたのだろう。まっこと無為だな。お前がどれだけ栄転しようと、お前がどれだけ成果を残そうと、お前が満たされる事はない。お前には本当の家族がいないから。瓜江久生、私は断言しよう。お前が真に恨んでいるのはお前の父親だ。お前を一人残して逝った弱い人間を恨み続けてきたのだ。

 

そう言うドナートに瓜江は一閃、ドナートは消滅する。もちろんそれは分離赫子で、ドナート本体は指が一本欠けただけ。

しかし瓜江は正気に戻らない。
その後才子とシャオがやってくるが、その時の瓜江は、

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才子の絵そっくり!!!

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才子は「瓜江を救う」ために瓜江と戦う。

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このためのネーミングとニート設定かーい!!
瓜江は「全部俺に押し付けやがって、佐々木クソ佐々木」「俺は強い」「俺を見ろ」とぼやきながら才子と戦う。そんな瓜江の顔を才子はその「爆乳」に埋め、

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愛の告白だー!!(゜ロ゜ノ)ノ
こうしてシャオが瓜江の赫包付近にRC抑制剤を打ち、瓜江を鎮静化する。しかし才子は「瓜江は自分の力で戻ってきた」という。

ドナート・ポルポラはロシア系の喰種で、孤児院を経営しながら、裏ではその子供を喰っていた。そのドナートに育てられたのが亜門鋼太朗である。ドナートは亜門だけは殺さなかった。
亜門はなぜドナートが自分を殺さなかったのかをずっと考え続けていた。しかしその理由は亜門にではなくドナートにある。
それを説明するために、

日本型ファンタジーの誕生⑲~『アイアムアヒーロー』3:「クルス」と「巣」の意味 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

日本型ファンタジーの誕生(28)~『不思議くんJAM』も日本型ファンタジーだった - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の二つの記事が必要だった。
アイアムアヒーロー』では、「クルス」は「学校の王」ジョックに代わる存在で、「巣」の意思決定は「女王蜂」にさせていた。「クルス」の存在はあくまで「女王蜂」あって成立していた。
『不思議くんJAM』では、石狩不思議=王子シッダルディがジョックで、「犠牲の血の冠」の赤石知覧を見れば、「冠」が何かかがわかった。『不思議くんJAM』はジョックからクイーン・ビーを見た構成になっており、ジョックから見て、クイーン・ビーは「装飾」なのである。
ドナート・ポルポラは、ピエロの中で「クラウン」と呼ばれる。後に「二代目クラウンからピエロを譲り受けた」と語っている。
ドナート・ポルポラは、カネキを「隻眼の王」にして「世界の運命を決めた」エトと並ぶ、もうひとりの「世界の運命を決めるヒロイン」である。
ではドナートが女に見えるか?
見えないから、作者は苦労している。

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ドナートは小児を専門に捕食する喰種で、女性が専門だとは書かれていない。
なお、ドナートが六月透を「美味そうだ」と言ったことはあるが、六月は当時男で通していたので、ドナートが六月を女性だと見抜いたかは定かではない。
作者は苦し紛れにドナートに女の話をさせて、この場だけはドナートは女なんだと、読者にわからせようとしている。それでもなかなか女には見えないが、作者の意図は髭丸を逃がすためとはいえ、喰種と捜査官が普通に世間話を始めるのだからすぐにわかるwww。
そしてドナートの言うことは気持ち悪いが、要は「子供も女も喰っていない」と言っているのである。
ドナートは、500人の自分の子供を養うために人間の子供を捕まえて喰っていたが、釈迦に子供のひとりを隠されて半狂乱になって探し回り、以後改心して子供の守り神となった鬼子母神である。
そして瓜江vsドナートの戦いは、鬼子母神=「世界の運命を決めるヒロイン」であるドナートが、瓜江を変えるための戦いである。

それでは瓜江久生とは何者か?
瓜江は、佐々木排世=金木研を表の主人公とする『東京喰種:re』の裏の主人公である。
そしてこの二人が対照的なのは、カネキが「自責」の人間なのに対して、瓜江は「他責」の人間であることである。
両眼が赫眼になった時の瓜江が「おれつ」と言うのは、「俺強え」ということなのだろう。自信と自我自賛は「他責」に支えられている。何か都合が悪いことがあると他人のせいにしているから、自分への評価が崩れない。そう、それはまるで

「成長体験」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

である。
こうなると、嫌っている相手から感謝されたり評価を受けたりすると、素直に受け取らなくなる。不知吟士に警告した時は、不知を追い詰めるためだったが、逆に感謝されて「気持ち悪い」と思ったりする。一方黒磐巌の評価を受けた時は、自信を失っていたので「俺はそんな奴じゃ…」となる。
カネキとの共通点もある。それはクイーン・ビーにフラれることである。カネキが神代又栄に勝てないのは、リゼの代わりに義父がカネキをフッたからである。
瓜江も六月にフラれる。しかし単にフラれるだけではない。
瓜江は安浦晋三平を嫌っている。不知の死で仲間を守るために強くなることを誓った瓜江だが、晋三平への態度は「まだまだだな」と思わせる。
しかし実はそうではない。瓜江はマザコンが嫌いなのである。マザコンならぬオバコンの晋三平は、100人のオッガイの「母」となる六月に傾倒していく。カネキがリゼを殺さざるを得なかったのに対し、マザコン嫌いの瓜江は六月を救う。
オッガイといえば、両眼が赫眼になった瓜江もオッガイである。
オッガイについては、「クインクスとは作りが違う」とあるだけで特に説明がないが、これも「公表されていない設定」で、半喰種が「他責」をするとオッガイになるのである。瓜江の他にオッガイになったのは安久クロナで、双子のナシロの死を受け入れず、嘉納に元に戻してもらおうと思い、「できるのにやらないだけ」と自分に言い聞かせることでオッガイになる。

主人公らしく、瓜江には対応するヒロインもいる。それが米林才子である。
東京喰種:re』には、時々誰かわからない女性の絵がある。

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誰?
またこんなカバーの折り込みも。

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才子?
そして10巻以降のオビには謎のクインクス1期生が。

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才子が細いwww。
この絵は1巻のコマの使い回しだが、その時点で才子は未登場なので細いのである。
こうして一部確証はないが、ヒロイン性の薄い才子を実はヒロインだと気づかせ、瓜江が裏の主人公だと気づかせる細工がされているとわかるのである。
瓜江に「他責」を止めさせるのがドナートの役割だが、瓜江は「自分で捜査官になると選んだ」と、父親に認められるためだというドナートに逆らう。
ここに、父親の肯定と否定がある。
瓜江は父親のせいにしないことで父親を肯定したが、父親の認められるのを否定したことで父親を否定した。
ドナートは、父親のせいにしろと言っているのである。「どうした?こっちにこないのか?」と。それを瓜江はギリギリで踏みとどまった。だから才子の言う通り、瓜江は「自分で戻ってきた」のである。

瓜江はSSSレートの喰種「うろんの母」によって窮地に立たされる。
その時瓜江は「不知、お前がいてくれれば」と思う。
しかしこの時に気付くのである。自分がまた「他責」をしていると。
不知が死んだ時、「恨むなら自分の弱さを恨め」と言ったカネキの言葉で、瓜江は仲間のために強くなろうとする。しかし「自責」でも「他責」でも乗り越えられない壁があるのに気付いた瓜江は、第三の「受け入れる」道があることを知る。
この時、瓜江の甲赫の赫子が剣と盾の形に変化する。

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一方、黒磐巌が瀕死の状態になっている。
黒磐は瓜江の父の元パートナーで、瓜江の父が死んだ時に助けられず、その事を悔いていた。黒磐は瓜江に謝るが、「あんたは悪くない」と黒磐に言う。
瓜江にこのような役割を持たせているのは、瓜江がエリートだからである。
「持てる者」と「持たざる者」では、「持てる者」がより多くの不遇を「受け入れる」べきで、「持たざる者」に受け入れさせるべきではない。エリートならなおさらである。

その瓜江の最重要の仕事、それは「龍」になったカネキの救出にある。
カネキの救出については、喰種との共同戦線は丸手斎が、カネキの掘り出しはトーカが行っており、瓜江はそのサポート役に徹しているが、前者は役職上の問題、後者は理念的な問題である。
「龍」が 何なのかについては、あえて語らないでおく。
ここで重要なのは、カネキの救出に誰が活躍しようと、構成上カネキの救出に一番必要なのは瓜江でだということである。。
『東京喰種』だけではない。
亜人』の永井圭と海斗の関係もおそらくそうである。「フラッド現象」はおそらくそのためにあるのだろう。
進撃の巨人』のエレンとジークの関係もそうである。最近は話が複雑化しているが、基本形が同じなのは間違いない。窮地にたった「持たざる者」の救出には、エリートの存在が絶対に必要だということを、これらの作品は語っている。

しかし、瓜江ははたして

日本型ファンタジーの誕生⑯~『進撃』6.新しい日本人の創生 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた「怪物でない人間」だろうか?
瓜江は才子と結ばれていないし、特等になれてもいない。
理由のひとつは、瓜江が黒磐に「あんたは悪くない」と言ったことだろう。それは必要なことであっても、自由意思の侵害である。またその瓜江が裏の主人公なのは、行動に問題があっても、それが必要だからなのである。

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