坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

カップルが人前でイチャイチャすることについて~バーチャルとリアルは愛し合えるか?

日本人は欧米人のようにカップルが人前でキスをしたり肩を抱いたりということをしない。この問題について、どちらがいいかを私は長い間答えることができなかった。しかしネットの時代になり、私はこの問題に答えることができる。

ネットと3D技術の進歩により、バーチャルが持て囃されるようになった。
3D技術は当初の「不気味の壁」と言われていたものをいつの間にか克服し、観る者にリアルより高い快感を与えるようになった。このような技術の進歩により、バーチャルとリアルの愛が曲や物語などで作られるようになっていった。観たことはないのだが、映画『アバター』などでこうなることは予測されていたのかもしれない。
しかし日本で作られるバーチャルは多くは二次元、つまりマンガやアニメの延長として成立している。そのためリアルとの接点を持たない。これはリアルで愛し合うということをむしろ拒絶したものではないか?と考えることができる。

「それは人の自由ではないか?」と言われた場合、「その通りだ」とまでは私は言わない。バーチャルがリアルで愛し合うことを選択肢に入れて、入口として愛し合うならそれもいいが、二次元から入った場合、バーチャルがリアルに近づくということができず、リアルで愛し合うことなく終わる。というよりむしろ、リアルで愛し合うことを初めから諦めている。その不毛さをなんとかしたいという思いはあるが、しかし言っても変わらない。ここまで述べたことでは説得力がないのである。

ここでアンジャッシュ渡部の話をしよう。
例の不倫騒動で芸能活動を自粛している渡部は、一時期豊洲市場で働いたことがあるが、そこでも不倫騒動が尾を引いて働けなくなった。
そもそも不倫というのは婚姻という契約上の問題に過ぎず、他者が介入する余地は基本的にない。つまり不倫があった場合、夫婦間の契約違反として離婚に至ったり慰謝料を支払ったりする。当然刑事罰などはなく、社会的な罰もあってはならない。
社会的な罰はないが、人気の問題はあっていい。不倫により政治家が落選したりするのはいいということである。ビジネスの場合は微妙だが、不倫が原因で業績が著しく悪化する場合、それは基本的に能力で判断されていないという不当性があると捉えるべきだろう。
不倫に対する社会的な制裁があってはならないのは、この例でいえば、浮気をされた佐々木希は別にこの件で離婚していないからで、社会的制裁により被害者にさらなる被害が加えられているからである。被害者が報われないなら制裁に意味はない。このような無意味な行為が正義であるかのように行われている。

それではカップルが人前でイチャイチャすることについてはどうか?
別に法律は禁止していない。性的な法律上の禁止行為は未成年との淫行や猥褻物陳列罪、そしてあくまで民事上の契約違反という意味での不倫であって、これらの法律の底流にある思想が、カップルが人前でイチャイチャするのを禁止する方向に派生するとは思えない。
「法律はそうでも慣習としては」と思うなら、それは法と慣習に対する捉え方が間違っている。法と慣習は限りなく一致していなくてはならない。法と慣習が分離している場合、法の根底にある思想が慣習を打ち破るか、慣習が法に打ち勝って法改正されるかのどちらかである。法と慣習が分離していていいと思う者は何か意図があってそう思っている。
例えば、今のコロナ禍でワクチン開発が遅れたり、全ての店舗を夜8時までの営業にしたり電車を減便したりして通勤ラッシュがひどくなったりするのは、その人のしたことがその人に返っているからである。
ならばカップルがイチャイチャしてはいけないというのはどうかというと、そのカップルのどちらかに片想いをしている人がいるということはざらにあることである。それがわかっていれば、あるいはその人の前でカップルはイチャイチャしないという配慮をするかもしれない。
しかしその配慮が特定の人でなく、全ての人になされていて、それが常態化しているのが「人前でイチャイチャしない」という日本の慣習だとしたら?
ここで不倫について述べよう。
民法は一組の夫婦が添い遂げるのが最上としているが、そうならなくていいという意味で離婚がある。人は必ずしも最上の結果を出す必要はない。不倫については突き詰めれば「金で解決するように」ということで、逆に言えば金で解決すれば不倫をしてもいいととれる。このようになっているのは、理想の結婚が一度でできるとも限りないし、またそのような理想を放棄する自由もある。その多様さに対応しているのが民法である。婚姻については欧米と日本で民法上の違いがあると聞いたことはない。
それでも慣習は違う。ならば人前でイチャイチャさせないのは、いざという時にカップルに干渉するためではないか?

欧米では、夫婦は子供の前でもキスをしたりする。
また欧米では、子供が人のいるところで騒いだりすると「うるさい!」とだけ言って止めさせたりする。
日本では理由を諭す。「人に迷惑がかかるから」などと説明したりする。
欧米人が説明せずに子供をしかるのは、「子供は動物と同じだから」と説明しているのを見たことがある。そのように言われると、日本のしつけの方が正しいように思える。
しかし子供に理由を説明するべきだと思っているのは、理由がわかれば人は論理的な行動をするからだと思っているからである。実際にはコロナ禍でも人は少しも論理的に行動していないし、論理を教えられても中学校の強制部活動に従ったりする。
そのようになってしまうのは、論理的に説明しても子供の禁止事項の多くは「人に迷惑をかけない」で、結局は世間に従うことを教えてしまうからではないか?それならば禁止事項だけを教え、世間を教えないようにする欧米のしつけの方がいい。
また欧米の夫婦が子供の前でキスをするのは、子供といえども夫婦の仲を割くべきではないと考えているからではないか?

私の擬装請負体験⑫ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、日本では恋愛に対する妨害が非常に激しい。しかもこの場合、別に片想いをしているなどではなく、供依存をつくるために恋愛を引き裂こうとしてくるのである。このような仲で恋愛をするのは大変、というより基本恋愛は成就しない。
夫婦が子供の前でキスをしたりして、子供の母親と結婚したいという願望を諦めさせ、変わりに父親を内面化するというエディプスコンプレックスは、パートナーとイチャイチャすることでパートナーを守るという思考を内面化されるという点でむしろ優れているといえるだろう。
日本の子供が母親に「結婚して」などと言うのは微笑ましいが、物心がついた時から配偶者がいるような環境は、パートナーを守るという点では未成熟なままで育ってしまうのだろう。

日本にも欧米にも不倫があり、別に欧米より日本の方が不倫の件数が多いなどとは聞いたことはない。
しかし日本の場合、恋愛に恵まれる者と恵まれない者の格差が大きい。恵まれない者はとことん恵まれず、年齢を重ねるごとにその傾向は加速していく。その理由は年齢を重ねるごとに「モテない」という実績がヒエラルキー構造を形成するからである。
かつての童貞いじりはひどいものであり、最近は童貞が肯定されるようになったが、根本的なところまで変わったかどうか。
欧米では、カップルは人前でイチャイチャすることを前提にして、その上で不倫などが行われているのである。「手を出すな」というサインをカップルが出し、他の人はそれを受け取る。このようにしてルールが形成される。しかしそれはカップルが一緒にいる時のことで、二人が離れている時に一方に連絡したりして不倫に持ち込んだりするのだろう。中には殴り合いやレイプなどのルール外もあるだろうが、多くはルールを受け入れているということだ。

バーチャルとリアルの恋愛に話を戻そう。
二次元に限り、コロナ禍で人が減便を受け入れているようにバーチャルが「その人がやったことが返ってきた」ことでリアルとの恋愛を望んでいるのなら、バーチャルがネットを越えてリアルで愛し合うことはないだろう。私ならそんな恋愛は最初から望まない。

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